こみ上げてくる咳を抑えられずに咳き込む音が静かな空気を揺らした。
空に浮かぶ三日月より少し細い月。
か細い光が差す部屋の中にうっすら見える少女は、胸の辺りをぐしゃりと握り、続けざまにまた咳き込んでいる。ほとりと真赤な花弁が零れた。
年齢に見合った、小さいとは言えない手に溢れる花弁。しかし当の少女に慌てる素振りはない。――原因は分かっている。

初めて優が花弁を吐いたのは一月前の平日だった。放課後、幼馴染と転入生が仲睦まじく話しているのを見かけ、ギリギリと締め付けられる痛みを堪えながら走り帰った日。
息を切らせながら自宅の玄関に倒れ込んだ少女は、何かがこみ上げてくるのを抑えられずに咳き込み、嘔吐き、次いで花弁が床に散った。

床に広がった花弁にしばらく呆然とし、不安に駆られた。病か、ウイルスか、霊力異常、ロゴスの罠、色々な推測が目まぐるしく頭を駆け巡り、未知への恐怖に先とは違う吐き気に襲われながらパソコンをつける。
インターネットで調べてみると、花びらを吐くという特異な症状に当てはまる情報はたった1つ。半分迷信のようなものだが、おそらく間違いない
嘔吐中枢花被性疾患。――通称、花吐き病。
片思いを拗らせると発症するというその病に罹った原因は、勿論というべきだろう。思い当たった。

優には、昔から一途に想う幼馴染がいる。
過酷すぎる運命をその身に背負わされた、悲しくて強いその人。
彼に想いを伝えるには自分たちが背負う役目は重すぎたし、彼はもう優への興味すら失ってしまっているだろう。
――彼だけじゃない。幼馴染は皆、最近来たあの子を気にかけていた。
しかし優とてその子を気にかける理由は分かっていたし、それを当然のことだとも思っていた。真実、そう思っていたのだ。

なのに心はそうは思えなかったようで、優は頭と心と体がそれぞれ分離したような感覚に苦しんでいる。
頭では彼があの子を気にかけるのは当然だと思っている。心は痛い苦しいと叫ぶ。体は思考に反してぼろぼろとただ花弁を零していく。
思い通りに行かない自分に怒りが募って、なんで、どうして、苦しいと泣く優はそれでも幼馴染を好いていた。
想いを捨てたいとは、どうしても思えなかった。

咳き込む傍ら零れた花弁を慣れた手際で集める。
止まらぬ咳に胸を焼かれる心地がした。
小さく山になった花弁が握り締められて破ける微かな音に、ぱたりと水音が混ざる。

「すき、すきだよ…だいすきなの、まひろ」

咳き込んで掠れた声が、月下の静寂を揺らした。

* *

祐一が優の様子がおかしいと気付いたのは、3日前のことだった。

昔から一緒だった7人の中でも仲が良かった自分達3人。年が同じだということから共にいる機会も多かった。
1つ下の拓磨と騒ぐことも多かったやんちゃな真弘を、優と2人でよく眺めた。卓に怒られる真弘と拓磨を見て苦笑したこともあったし、慎二と美鶴がじゃれるのを微笑ましいと見守ったこともあった。

祐一にとって優は、相棒とも言える存在だった。
決して恋愛感情ではない、けれど優しくて暖かい愛を、一種の仲間意識を、お互いに持っていたように思う。

そんな彼女は、転入生が−−新しい玉依姫が来てから何となく様子がおかしいように見えた。ただそれは本当に何となくで、何となくそんな気がする、気のせいかもしれない、そんな不安定で不確定のものだった。

はっきり様子がおかしいと感じたのが、そう、3日前だ。
真弘と珠紀が並んで歩く姿を優は校舎の2階から酷く辛そうな顔で見ていた。前を歩いていた2人も、横を歩いていた拓磨も、そんな優に気付かなかった。
ふっと何とも言えぬ不快感が胸を過ぎった。彼女にそんな目で見られる真弘への嫉妬だとか羨望だとか、そんな感情ではない。虫の知らせとも言えるそれだった。

優の異変に気がつけたのは、祐一だけだった。

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