―――確かに、死んだはずだった。

気が狂うような激痛。それが徐々に消えていく恐怖。あの子達を守りたいという決意と半ばで置いて逝ってしまう悔しさ。奴の野心溢れる眼と悠々と立ち去って行く姿。…全て覚えている。

なのに、なぜ。
自分は生きているのだろう。
そして一体、此処は何処なのだろう。

状況を把握するために優は周りを見渡そうとしたが、妙に地面が温かく、かつ少しの柔らかさを持っていることに気付く。
おやと首を傾げたその時、それなりの声量の、しかし落ち着いた声が鼓膜を揺らした。

「グララララ…お前ェ随分と妙なところから出てきやがったなァ」

聞こえたそれに優が上を見上げる。
体躯に見合っているであろう巨大な顔に嫌な予感が胸をよぎるのを感じながら下を向く。

――膝の上。

「ッ申し訳ありません!」

困惑も混乱も一旦端へ置き、優は白ひげの膝から滑るように降りた。
やや驚いた表情を浮かべていた巨大な老爺――と言うには少々しゃんとし過ぎて若々しく見えるが――を見るに、おそらく自分は唐突に現れたのだろうと当たりをつける。
それは自身の直感と目の前の男の表情のみによる推測だったが、あながち間違ってもいない。
彼女がそれを知る術は白ひげと認識を磨り合わせる以外にないが。

優は着物の裾を捌いて居住いを正し、真っ先に先程まで自分が乗ってしまっていた非礼を詫びた。
最低限の警戒はしていたが、自身の人を見る目にはそれなりに自信がある。この人は、大丈夫だ。

「――突然現れたであろう身で言うのは烏滸がましいことと重々承知ですが、どうか、ここは何処なのかを教えて頂けませんか」

そう言って優は美しい所作で手を揃え床に頭をついて懇願した。射干玉の髪が床に広がる。

「グララ…そう畏まるんじゃねェよ。ここは、グランドライン後半の新世界だ」

答えるのに迷いはなかった。白ひげもまた――1000人を優に超える家族を持つのだから然もありなん、といったところだが――自身の目には自信を持っている。そして相手を一旦のところ信用できると判断したのも優と同じ。

すぐに寄越してもらえたその返答に、しかし優は思わず頭を抱える。無理もないだろう。グランドラインという全く聞き覚えのない地名。新世界とは果たして地名なのか。そして何より、床が揺れていることに彼女は気付いてしまった。

船というものに1度だけ−−正しくは往復で2度−−乗ったことがある。それは、このような揺れ方をしていなかったか。
若干の差異は感じられるが、記憶の中のそれとほとんど変わらない。
はぁぁ、と息を吐き出して落ち着けと言い聞かせる。

優の少し時間をくれという言葉に白ひげは鷹揚に頷いて見せた。
黙り込んだ女を前に、白ひげは考える。
外見から察せられる、それなりの年齢であろう者が、自分を知らないことがあるだろうかと。
自惚れでも何でもない。ただ自分の顔は広く世界に知れているし、何よりこの大きさは目を引くという事実。
おそらく世界中に自分を知らない者はいないだろう。
ならばなぜ、目の前の女は自分を知っている素振りが無いのか。
低いものも合わせれば可能性は多岐に渡るが、この摩訶不思議なグランドラインにおいて一番高い可能性は、異世界、というものではないだろうか。

ふと、昔聞いたお伽噺のような伝説を思い出す。
グランドラインには扉があるんだ。そこは色んな世界に繋がっていて、色んな世界に行けるんだよ。そう楽しそうに言っていたのは誰だったろう。
過去に耽りかけた瞬間、機会を図っていたかのように視界の端で動いたものに自然と視線が吸い寄せられる。
女が顔を上げ、凛とこちらを見ていた。

「ありがとうございました。…ここは、海、ですよね」

礼と共にまた頭を下げ、そしてまた上げると、確かめるような――事実確かめである――問い。
間髪入れずに肯定を返す。

「地図を見せて頂きたいのですが…」

やはり間を空けず、白ひげは優が現れる少し前まで進路の話をしていたために置きっぱなしにされている地図を指し示した。

「…見ても?」
「構わねェよ」

優は失礼しますとまた頭を下げ、怪しく見えるような素振りは意図的に省いて地図が置かれた机の前に立つ。
畳1枚分は優にあるだろう大きさの地図に、見覚えは全くなかった。
海を真っ直ぐに横切る陸地など見たこともない。

薄々そんな気はしていた。――していたが、こんな非現実的なことは、異世界、それもそこにいるなんてことは果たしてあるのか。…現に今、起こっている。
他の可能性も、考えられなくはない。ないが、どれにしても余りに現実的ではなさ過ぎた。今起こってる状況とて現実的であるとは世辞でも言い難いが、他の可能性と比べると――まだ、現実味がある。

とは思ったものの受け入れられる訳もなく。優はもう1度地図を見、見落としがあるのではないかとあらゆる要素から可能性を探す。

まずこの地図は世界地図の一部を拡大したものである。――こんな形の島は自身が記憶している中にない。
壮大なドッキリである。――今、自分と関わりのある者達にそんな余裕はない。
もしかしたら夢かもしれない。――こんな現実味のある夢が果たしてあるものか。
敵対勢力の幻術(わな)か。――有り得なくはない。…ないが、わざわざこんな幻術を見せる意味がない。

優も流石に混乱を隠せなかった。普段なら常に警戒を怠ることのない彼女だが、可能性を模索することに集中し過ぎているために周りへの注意が疎かになっていた。

「見覚えがねェか」

唐突に掛けられた声にびくりと細い肩が跳ねる。
ぱっと振り向いた優が慌てて姿勢を正す。

「すみません、少し考え込んでいました。…えぇ、申し訳ないのですが、さっぱりです」

――ならば。白ひげは思う。少々荒唐無稽の感は否めないが、先ほどのあの推測が答えである可能性は著しく上がるだろう。

「お前ェは、違う世界から来たんじゃねェのか?」

白ひげが放った一言に優は一瞬鳩が豆鉄砲を喰らったような顔を見せた。無論それはその言葉が、もしくは言っている意味が信じられないのではなく、互いに同じような結論に至ったことへの驚きが強い。

「この地図を見る限り、ここは私の世界ではありません。貴方の言う通り、私は世界を越えたようです」

白ひげは思う。
年をとったとて、自分は海賊。未知に心をくすぐられ、未知を手に入れたくなるのは自分達海賊の性だ。

――どうしようか、と考えて。

身寄りのない女。異世界の者。だが、その眼は自分好みの強く真っ直ぐな眼。穏やかで柔らかな雰囲気はこの船には合わないものかもしれない。だが、この女への――異世界への好奇心など、抑えられるはずもなく。

「よし…お前ェ、おれの娘になれ!!」
「……え」

絶句した女に、さらに続けて言う。

「帰るあてもなけりゃァこの世界の常識もないお前ェじゃ、この世界、これから生きていけねェだろうよ。おれはお前ェとお前ェの世界が気になるんだ!衣食住は保証してやる。おれが求めるのは、お前ェの世界の話だけだ!
お前ェにだって悪い条件じゃねえだろう?
……それに、おれァ海賊だからなァ。もしお前ェが嫌って言おうと聞かねェぞ?」

海賊、と言う単語に若干目を見開いた女は、恐らく遠慮から――他にも理由はあるだろうが大部分はそうだろう――迷いを見せた。
大丈夫だ、と指で頭を撫でてやれば、安心したようにふわりと笑顔を見せ、口を開く。

「よろしくお願いします」

こいつなら、家族とも上手くやっていけるだろうという確信を抱きながら、ニィ、と笑う。

「グララララ…おれァ世間じゃ"白ひげ"と呼ばれる海賊。名はエドワード・ニューゲートだ。オヤジと呼べ!お前ェは?」
「優。大蛇優と言います」
「ユウか。お前ェはこれからおれ達の家族だ。堅苦しい喋り方もやめろ!異世界出身だろうがなんだろうが、この世界で胸張って生きやがれ!」

はい!と言って笑った優は、最初見た時とは比べ物にならないいい顔だったと、後に白ひげは言った。

prev : next
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -