優の濁った瞳から、はらりと雫が落ちる。
涙が伝った赤い花が一層その瑞々しさを増していく。
「帰ってよ、真弘。…お願いだから」
そう言って優は、涙を隠して顔を俯かせた。
悲痛を練りこんだような声に真弘の心が揺れなかった訳はない。けれど、その言葉に頷く訳にいかなかった。
「こんな…こんな状態のお前を置いて、俺が帰れると思ってんのかよ」
「お願い、真弘、本当に…おねがい、帰って。もう私にかかわらないで」

弱々しい声で、体で、必死に自分を拒む優に、悲しみやら怒りやらで頭がおかしくなりそうだった。
「っなんでだよ!」
顔を歪めて、真弘が吠える。
なんで、なんで、なんで、なんで−−!!
「何で、頼ってくれねぇんだよ…!!」
ひゅっと、優が息を呑んだ。
「お前は昔っからそうだ!全部1人で抱え込んで、1人で背負おうとして!俺が何を言っても聞きやしねぇ!何でそうなんだよ!何でいっつも1人で戦おうとするんだよ!なぁ、優…!!」

真弘はそう絶叫して優の薄い肩を掴んだ。優がしているように間違っても自分の顔が見えないよう俯いて、必死に荒れ狂う感情を抑えて声を絞り出す。
「なぁ、頼む…頼むから、そんなに1人で戦わないでくれよ…!お前は1人じゃねぇ。祐一も拓磨も慎司も大蛇さんもお前の味方だ。そんで何より、この鴉取真弘様がいる!…それとも、そんなに俺は…俺達は頼りにならねぇか?信用出来ないか?」

「っちが…!」
青ざめた顔をさらに青くして、優がぱっと顔を上げた。
「ならなんで!!」
そう絶叫して、真弘も顔を上げた。
普段の余裕ぶった表情とかけ離れた、感情そのままの表情。怒ったような、でも今にも泣き出してしまいそうな弱い顔。
「なんで…そんなになっても誰も頼んねぇんだよ…」
真弘は呟きながら失望に項垂れる。細くなった腕をなぞるように真弘の手が滑り落ちた。
また顔を隠してしまった片想い相手に、優の頭が慌ただしく回る。
話すべきか、話さないべきか。

暫く、静かな呼吸音と吹き込んでくる風の音だけが狭い洗面所に鳴っていた。
揺れる紫がかった黒髪を見つめていた優は、ようやく覚悟を決めて口を開いた。
緊張で喉が干上がったかのように声が出しにくい。
「この花、ね、…病気なんだ。こういう病気」
どうにか捻り出した言葉はいまいち要領を得なかったが、話し始めれば自然と紡ぎ出された。
「花を生み出していく病気なんだけど、無制限に増えていくから家もこんなになっちゃって…。変な病気だよね。…でも、触ると感染(うつ)る。だから真弘は早く家(うち)を出ていって」
自分が調べたように真弘が調べないように、優は少しだけ症状をずらして伝えた。

「…治んのかよ」
ぼそりと囁かれた言葉は、一番聞かれたくないことだった。
−−誤魔化されてくれればよかったのに。
歯噛みしながら、どうこの場を切り抜けようかと考える。しかし、半ば栄養失調の体がそう上手く動いてくれるはずもない。
「なおらない」
震えた声で囁き返すことしか出来なかった。

瞬きの間に、青ざめた顔が優の視界を埋める。
「じゃあお前はどうなるんだよ…!今でさえそんなに痩せちまってボロボロなのに、このままだと命に関わるんじゃねぇのか!?」
「…うん…関わるよ。だって不治の病だから。治療法もないし、もう後余命幾ばくかってところ」
は…?とがらんどうな真弘の声が落ちる。彼の目も零れ落ちそうなくらい見開かれていた。
「私ね、死ぬんだよ、真弘。もう後ちょっとで、このまま死んじゃうんだ」
言い聞かせるような優の声音は、痛いくらいに真弘の脳を揺らした。

(死ぬ…?優が…?)
信じられなかった。信じられるはずがなかった。
だって、今までずっと一緒に生きてきていた。それこそ下手な家族より長く共にいた。
そんな彼女が、もう後少しで死んでしまうと聞いて、どうしてすぐに信じられる?
けれど、真弘はどうしようもなく理解しているのだ。ずっと共に過ごしてきた優という女は、こんなタチの悪い冗談を言うような奴ではないと。

−−それでも、信じたくなかった。
「うそだろ…?なぁ、嘘だって言ってくれよ…!」
「…無駄死にはしないよ」
目を逸らして告げられた一言は、ただ本当だと言われるより余程堪えた。
あのね、と再び目を合わせた優は、打ちのめされる真弘をよそに、酷く優しげに微笑んで言葉を重ねる。
「分家筋とはいえ先祖返りで力も強いから、封印の力を強めるにはなかなかいい素材だと思う。…私は封印の礎になるよ。でも…ううん、だから、真弘は幸せになって。私の分まで、幸せになって」
「…嫌だ」
真弘には優が死ぬことを受け入れることなど出来なくて−−どうしても、信じたくなかった。

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