こと季封村において、和風ではない家、しかも二階建ての家など片手の指に収まるほどしかない。その一つが、優の家だ。
真弘は木目が黒に塗られた親子扉をごんごんと叩いた。インターホンを押さないのは、ただの来客との区別に扉を叩いてほしいという約束があるからだ。幼い頃からの、今となっては考えるまでもなく行われる習慣。

優が出てくるまでの手持ち無沙汰な数十秒間に、なんとはなしに見慣れた親子扉を眺める。ワンドア・ツーロックという名称から分かるように鍵が二つある。鍵は上下に二つ、どちらもシリンダー錠だ。また、扉の黒に映える中世西洋的な朽葉色のドアハンドルは、エキゾチックな雰囲気のこの家に似合っている。

そこまで見て、しかしその間ぴくりとも動かないドアに真弘はふと首を傾げた。
(…寝てんのか?)
とりあえず、と扉の横にあるインターホンを押す。一度。二度。三度。返事がない。
駄目元でドアハンドルを掴み、後ろに引く。−−開いた。

「おいおい不用心だぞ優!」
大きく扉を開いてまず気付いたのは、床に散った花花。くすんだ赤をじっと見つめる。量はそこまで多くない。けれど、優の歩いた道を示すように、玄関から居間の方へ途切れることなく落ちているのが分かった。
「何だよ、これ…」

異様な雰囲気に怖気が走った。とん、と軽い音を立ててドアが閉まる。ぞっとして後ろを振り向くが、落ち着いて考えればドアクローザーがついているのだからドアは閉まるに決まっている。
思考とは裏腹に立毛筋が一気に収縮するのを頭の端で感じながら、靴を脱ぐ。そっと一歩踏み出した足の下、乾いた花弁が布と床に挟まれてぐしゃりと潰れる感触がした。

「ッ!?」
リビングに足を踏み入れた真弘は思わず息を飲んだ。半分以上が花で埋まったフローリング。夥しいそれはまるで赤い絨毯のようだった。
篭った臭いが鼻につき、急ぎ足で庭に面した硝子の引き違い戸を開ける。
ぶわりと入り込んだ風が冷たい。水気を失った花は真弘を避けるようにしながら外へ吐き出されていく。

「…ぁ………」

殆ど吐息のような、酷く幽かな声が聞こえた。余りに弱りきったそれに、真弘は血相を変えて視線を巡らせる。
(いない、いない、いない−−っ)
小さな部屋が多く連なる和風の家と違って、この家は部屋自体が広い。
その上リビングであることもあり、ソファやダイニングテーブルがどうしても視線を遮る。
だが、しかし。どこを見ても見つからない。首を動かしてまで見回す真弘は、脱衣所の扉が数センチ開いていることに気づいて動きを止めた。
びゅう、と一際大きい風が髪を揺らす。視界に過ぎった黒にはっと我に返り、フローリングを軋ませた。

「ッ優!!」
扉を思い切りドアストッパーに叩きつける。
反動で戻ってくる扉を受け止め、再びドアストッパーに力強くドアをぶつけ、今度は反動を抑え込む。
ぶわりと広がった花の匂いと何かが混ざった異臭。一面に広がる赤い花。−−その中で倒れ臥す、優の姿。さぁっと血が下がっていくような感覚さえ感じるような気がした。
洗面台の辺を掴んで崩れそうになる体を支えながら、真弘は優の横に膝をついた。
「優、しっかりしろ!優!!」

「…ぁ、…っだ、れ゙…ッ」
優は風邪をひいている者でもこれよりは綺麗な声をしているだろうと思うほど掠れきった声で誰何した。次の瞬間、細くなった体を丸めて激しく咳き込む。
その様子に焦燥感に苛まれた真弘は顔を上げ、何の計画性もなく周りに視線を巡らせる。幸いそれは功を奏した。
目に留まった洗面台に置かれたコップに水を入れ、優を支えて起こす。
口元にコップを持って行けばゆっくり喉が上下するのが見て取れてようやく安堵した。だが、問題はまだ山積みで。

「優、落ち着いたか?大丈夫か?」
「まひ、ろ…?」
自分の力で座れるまでになった優の虚ろな瞳が真弘を向く。ぱちり、ぱちり。数回瞬きして、はっと大きく見開いた。
「なんで…!はな、そうだ、っ花に触った!?」
「花ぁ?…触ってねぇけど」
「っなら早く出てって!もう家に来ないで!ッ、早く帰ってよ!」
「お前なぁ!そんな一方的に言われて帰ると思ってんのか!?…何があった?俺様に任せとけって。この鴉取真弘様が何でもちょちょいと解決してやるぜ?」
僅かな強張りこそあれど、真弘はいつものように得意気な笑みを浮かべてみせた。
優の顔が今にも泣き出しそうに歪む。

(――じゃあ、私のことを好きになってくれるの?)
それを口に出さなかったのは最後の理性だった。
自分の醜さに酷い吐き気がした。このまま死んでしまえばいいとまで思った。
あの頃は――いつだって3人で仲良く遊んでいたあの頃は、この大事な幼なじみの幸せだけを願えていたのに、どうして今の私はこんなにも醜悪になってしまったんだろう。

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