03
 東京に帰れない日々が続いた。
 岸辺露伴の理不尽さ――というより、彼の場合はただのワガママだが――により、ユウリは一週間のうちほとんどを彼の住む杜王町で過ごしていた。

 はじめのうちは、いるものからいらないものまで、ありとあらゆるものをパシリ…いや、買い出しに行かされたり、かと思えば食事の準備をさせられたりと、家政婦のような扱いだった。
 それが今では、家の掃除―――さらには庭の手入れまで強いられている。ノーと言えない日本人、ユウリはまさにその典型だった。

 しかも、岸辺露伴の言いなりになったらなったで、彼の機嫌が取れるというわけでもない。
 彼はユウリに対しておどろくほどシビアだった。自分に逆らおうともしないユウリにむしろ苛立ちすら感じているようだった。



「…キミにはプライドというものがないのか?」
「あ、露伴先生」

 今日も今日とて、岸辺露伴邸の庭の草むしりに勤しんでいたユウリは、帽子のつばを持ち上げ、気難しい顔をして佇む露伴を見上げた。

 岸辺露伴の担当編集者になって、もう二週間近くが経とうとしている。
 ジャンプ編集部はこの岸辺露伴という漫画家に対して非常に過保護、かつ彼を特別視しており、家政婦まがいのことをさせられているという現状を電話口で報告した際も、岸辺露伴へ注意を促すどころか、
「そうか。ならばホテルを手配しよう」
 などと彼を支援する始末であった。これにはユウリもほとほと呆れてしまう。

 しかし、手配された杜王グランドホテルは快適そのもので、今となっては、朝食のビュッフェが日々のささやかな楽しみだった。


 今のユウリも、明日の朝のことだけを考えていた。そのせいか、口元にはへらっとした笑みが浮かんでいた。

「露伴先生、そんな恰好で外に出てたら日焼けしますよ」

 ただでさえ険しい露伴の表情に、ぴし、とさらに亀裂が走る。
 そんな恰好、というのは、Gペンをモチーフにしたボタンのついたセットアップだ。ボトムは足首まで覆われているが、トップスには袖もないし、そして何よりへそが出ている。東京でもこんな格好で出歩く者はそういない。

「大きなお世話だ。キミこそむしろ、もっと色気のある恰好をしたらどうだい」
「…え」

 それこそ『大きなお世話』じゃあないのか。
 そうは思ったが、ユウリはやはり、口には出せなかった。

「…えっと…露伴先生、原稿は終わったんですか?」

 なんとなく気まずかったので、話題を変える。けれど逆効果だったようで、露伴は「なんだって?」と口をへの字に曲げた。

「僕に原稿の催促をする気か?たった二週間で、ずいぶん偉くなったものだな」
「そっ、そんな!私、そんなつもりで言ったんじゃあ…」

 咄嗟に立ち上がり、両腕をぶんぶんと振る。が、その拍子に、引っこ抜いたばかりの雑草や手についた土が露伴に当たり、彼はますます眉間のしわを深くした。

「キミ、さっきから僕に喧嘩売っているだろ」
「ちっ違います!違うんです、露伴先生、すみません!」

 軍手を抜き取り、露伴の衣服についた土をあわてて取り払う。
 しかし、

「もう、いい」

 バシ、と手を跳ね除け、露伴は家の中へ戻っていった。

「あ…」

 叩かれた手は赤くなり、ぴりぴりとしびれはじめる。
 手をさすりながら、ユウリは露伴の後姿を見つめた。

(露伴先生…)

 胸の中に、波紋のように広がる、寂しさ。
 友人、だなんて言うととてもおこがましいが、せめて『漫画家とその編集者』―――露伴とは、仕事仲間として普通の関係くらいは築いていきたかった。
 今までずっと、彼の言いなりになってきたのも、ただ単に断れなかっただけでなく、彼ともっと近づけたらいいと、そんな思いもあったからだ。

 しかし、彼に尽くせば尽くすほど、自分たちの距離は開いていく一方だ。
 露伴の、自分に対する風当たりは日増しに強くなっている。
 長いものには巻かれろ、そんな当たり障りのない人生を送ってきたユウリには、今まで、誰か一人にこんなにつらく当たられたことはなかった。どうしていいかわからなかった。

(…とりあえず…)

 やれと言われたことをやろう。
 ユウリは草むしりを再開した。

(…それにしても、露伴先生、何しに来たんだろ)

 軍手をはめ、雑草の生えた花壇にしゃがみ込む。軍手で手首が覆われたユウリは、腕時計が午後三時を知らせていることに気づいていない。




2012.07.11

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