04
 岸辺露伴の担当に就いてからの、ユウリの一日のスケジュールはこうだ。
 東京に戻る予定の無い日は毎日、朝七時に起き、ホテルのビュッフェで朝食をとる。それから身支度を整え、岸辺邸に向かい、朝食を作る。必要であれば途中で買い物をする。
 あとは近所のファミレスやホテルでパソコンに向かい、デスクワーク。もちろん、露伴に何か仕事を言いつけられた場合はそちらを優先する。
 週末になれば東京に戻り、自宅でゆっくりと休養した。
 忙しい毎日だが、慣れとはおそろしいもので、近ごろは、この多忙さに充実感すら抱きはじめているのだった。


 そんな生活を続けて、一ヶ月が経とうとしていたある日のことだった。
 ユウリは朝方、目をさまし、ベッドサイドのデジタル時計を見るなり絶叫した。

「あーッ!!」

 時刻は午前十時を過ぎていた。完全なる寝坊である。昨晩、遅くまで編集長と今後のことについて電話で話していたことが原因だろう。
 それは、S市郊外にある編集部の社宅――賃貸マンションの一室がようやく手配できたので、近いうちにそちらに引っ越せという内容だったのだが、今のユウリには、そんなことは頭の中から吹っ飛んでいた。

(ろ、露伴先生に怒られるッ!!)

 彼女の頭の中を支配しているのは、今ごろ自宅で怒り狂っているであろう露伴のことだけである。
 以前、買い出しを怠ったために、朝食にヨーグルトを用意できなかったことがある。そのときもひどい荒れようだった。ヨーグルトを買い忘れただけで無能呼ばわりされたのだ、寝坊して朝食の準備さえできなかったとなると、もしかしたら編集部をクビにされるかもしれない。
 …冷静に考えたら彼にそこまでの権限はないのだが、今のユウリは完全に思考回路が断線していた。

 顔を洗い、歯を磨く。いつも以上に適当に身支度をして、ユウリはホテルを飛び出した。

「きゃっ!」
「わッ」

 急ぎすぎたあまり、バス停付近の曲がり角で、男子学生にぶつかってしまった。ごめんなさい、と謝ろうとして、ユウリは思わず、

「あッ」

 とつぶやいた。

(あのリーゼントの子!)

 はじめて杜王町を訪れた日、バスの車窓から見た、あのド派手なリーゼント頭の少年だった。こうして真正面から向かい合ってみると、かなり背の高いことがわかる。
 が、彼にしてみれば、ユウリなど赤の他人であり――もちろんユウリにとってもそうなのだが――「あッ」と声を上げられたことが不思議でならないようだ。

「あの〜、ぶつかっちまってスイマセン。ってゆーか、お姉さんとどこかで会いましたっけ?」

 ぽりぽりと額をかきながら、少年は首を傾げた。記憶の中からユウリの顔を探しているのだろう、ユウリの顏や服装をちらちらと見比べては、わッかんねーな、という顔をする。
 見知らぬ女に声を掛けられたら誰だって困惑するだろう、ユウリは慌てて首を振った。

「なッ、なんでもないの。ぶつかっちゃってゴメンね」

 リーゼントの彼とはそれで終わった。彼は見た目に反してなかなかの好青年だった。不注意で飛び出してきた自分を怒るどころか、「お姉さんこそ大丈夫ッスか〜?」と気遣うほどの優しさがあった。

(露伴先生にも見習って欲しいくらい…)

 と、露伴のことを考えて、ハッとする。そうだ!自分はものすごく急いでいたのだ!
 ユウリはバス停へ走り出した。かろうじてバスには間に合ったが、席に座ってからも呼吸が整わず、不恰好で恥ずかしかった。

(もー、朝から最悪っ)

 と、そこで、車窓から、見覚えのあるリーゼント頭が見えて、目を奪われる。

(さっきの子だ)

 彼はいかついバイクに跨り、法定速度で走るバスを悠々と追い越して行った。風にはためく学生服が、彼の後姿が見えなくなってもずっと、ユウリの目に焼き付いていた。






「あーッ!!」

 岸辺邸に上がり込むなり、ユウリは謝るより先に、ふたたび絶叫した。

「あれ〜。さっきのお姉さんじゃあないッスか」

 どもッス、とリビングでくつろいでいるのは、もはや見慣れた、先ほどのリーゼント頭の少年。

「キミ、露伴先生の知り合いだったの?」
「それはコッチのセリフっスよ〜。あ、シュークリーム食います?」

 うまいッスよ〜、と差し出されたのは、つい昨日、ユウリがカメユーデパートで買って来た秘蔵のシュークリーム。

(これ…たしか二個しか買って来なかったんだよね…)

 受け取ったシュークリームを、ごくり、と喉を鳴らして見つめる。少年はすでにシュークリームを食べ終え、指についたカスタードクリームをなめている。

(どうしよう。私がコレ食べちゃったら、露伴先生の分が…)

 と、そんなことを思っていると、後ろから鋭いチョップが降ってくる。

「いっ…!!」

 頭をおさえてうずくまる。おまけにシュークリームを奪われ、あ、と間抜けな声が出た。

「遅刻しておいて、ずいぶん楽しそうじゃあないか」
「ろ、露伴先生…」
「おまけに、僕に顔も見せずにシュークリームにご執心とはな」

「普通は一言謝りに来るモノだろ?」腕組みをして、仁王立ちする露伴に、ユウリはすっかり縮こまっていた。
 露伴のくちから「普通」だとか「常識」だなんて聞きたくはないが、今回ばかりは、遅刻した上にこの少年と油を売っていた自分が全面的に悪いので、黙っておく。

「ろ、露伴先生、すみません…」

 なんとなく正座をする。

「ふん。これが一般企業なら始末書モノだぞ」
「うう…ご、ごめんなさい…」

 しゅん、と背を丸めるユウリ。露伴はまだ言い足りないようで、ユウリに人さし指を突きつけながら、不快そうに歪んだ唇をひらく。「だいたい、キミは―――」

「あ。もしかしてお姉さん、露伴先生の新しい担当さんッスか?」

 露伴の言葉を遮り、少年がユウリの肩を叩いた。ユウリはびっくりして少年の方を見やり、「え、えっと…」と言葉を濁す。

 露伴はぴくぴくと額に青筋を浮かべながら、ユウリに人さし指を向けたまま固まっていた。

「少年漫画なのに、女の担当さんがつくこともあるんスね〜」

 少年はそんな露伴に気づく様子もなく、「俺、東方仗助ッス」と呑気に自己紹介をしている。

「え、あの、…私、は、ユウリ…」

 つられて名乗りながら、ユウリは眼鏡のブリッジ部分を指で持ち上げた。

「いいッスね〜、露伴先生、こんな美人の担当さんがいて」

 仗助の発したその一言に、「はぁ!?」「えぇ!?」露伴とユウリの声が重なり合う。

「わ、私のどこが…」
「そうだ、コイツのどこが美人なンだよ!?仗助オマエ、目ぇおかしいんじゃあないのか!?」
「………」

 自分が世間で言うところの美人ではないことくらい、物心ついたころから自覚しているが、かと言って赤の他人にここまで言われる筋合いも―――
(…まあ、いいや…)
 途中で考えるのが面倒になり、ユウリは沈黙した。

「僕は少なくとも、こんなにドンくさくてパッとしないヤツは女だと認めたくないねッ」

 ぜいぜいと息を荒げて仗助の言葉を否定する露伴に、仗助はなにかおかしいことでも言っただろうか、とでもいいたげに、頬をかく。

「ええ〜?俺はじゅーぶん綺麗だと思うぜェ〜」仗助は続ける。「先生も見る目ないッスね〜」

「なんだって!?」
「ヒッ!」

 ムキになったように、ギンッと血走った目を向けられ、ユウリは後ずさった。眼鏡が鼻先の方までずり落ちる。睨みつけるような視線。

「ジッとしてろ…」低い声が全身に絡みつくようだ。

「あ…あの…」ユウリは仗助の方へ身をよじった。「露伴先生っ…」

「…そ、そんなに見ないでください〜っ!!」

 射抜くような視線に耐えきれず、ユウリはキッチンの方へと走っていった。背後では、露伴の手からシュークリームを奪取した仗助が、ひらひらと手をふっていた。




2012.07.11
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