02
「想像と違ったな」

 玄関先で突っ立ったままのユウリをひとしきり眺めまわしたのち、若干二十歳の天才漫画家は言い捨てた。

「あ、あの、えっと…」

 自己紹介もしないうちに、そんなことを言われ、ユウリは何を言ったらいいのかわからなくなった。

「ぼさっとしてないで入ったらどうだ?」
「あ、はい…。おじゃまします…」

 のろのろと靴を脱ぎ、家へと上がる。思えば、男の家に上がるなどはじめてのことだが、これは仕事なのでノーカウントだと自分に言い聞かせる。

「あ、あの。私、今日から私先生の担当になった…」
「ユウリだろ?さっき編集部から電話が来たぜ」
「あ、そ、そうですか…」
「………」

(露伴先生、お、怒ってるのかな…)

 岸辺露伴は無言のままユウリを仕事部屋へと導いていく。沈黙は、必要以上の会話はしたくない、という意思表示のように思えた。
 もっとこう、初対面なりの和気藹々とした空気を期待していたユウリは、自分の何がいけなかったのだろうと模索した。

 廊下を歩きながら、露伴がちらりと後ろを向いた。ユウリはびく、と肩を強張らせる。
 露伴はもう一度、足の先から頭のてっぺんまでユウリを眺めた。
 うすい唇から溜め息がもれる。

「女の担当が付くって聞いたから、それなりに期待していたんだ」
「…へ?あ、そうだったんですか…」

 確かに、編集部の社員は男女ともに美形揃いだが、彼が何を言いたいのかわからない。

「………」
「………?」

 二度目の溜息。次いで、「期待外れだ」とでも言うような瞳が、ユウリを貫いた。そしてそれを当然のように口に出すところが岸辺露伴なのである。

「期待外れだな」
「えっ!?」

 それだけ言うと、露伴は仕事部屋のドアを開けた。

「座ってろよ。すぐに終わるから」

 言われるがまま、備え付けのソファに腰かける。
 露伴は仕事机に向かい、腕まくりをした。ユウリはその様子をぼんやりと眺める。
 彼女の胸中は、「期待外れだ」という、露伴の言葉がぐるぐると渦巻いていた。

(期待外れ…。期待外れって…)

 何をどう期待していたのか知らないが、いくらなんでも初対面の女に対してそれは失礼すぎるのではないか。
 けれどそれを否定できないのもまた事実。ユウリはしょんぼりと肩を落とし、作業に没頭する露伴の後姿を見つめた。

「はぁ…」

 露伴は、忙しなくGペンを動かしながら、ユウリの溜息を背後に聞いていた。

(溜め息を吐きたいのはこっちの方だぜ)

 四年間連載を続けてきて、担当者が変わることなどもはや慣れたものだが、女が担当につくというのは初めてのことだった。それだけに、柄にもなく楽しみにしていたのだが、実際に派遣されたユウリはといえば、お世辞にも期待通りとはいえない人物だった。

 まずユウリには色気というか、華やかさがない。それが女として致命的だった。
 顏のつくり自体はまあ、そこそこ整ってはいるものの、野暮ったい黒ぶちの眼鏡がそれを見事に打ち消している。ファンデーションを薄くはたいたくらいで化粧っ気もなく、服装もパーカーにジーンズと地味だった。

 何度か参加した編集部のパーティで見たような、着飾った女性陣を想像していた露伴は、彼女の姿をひと目見た途端にひどく失望したのだった。

(まったく、漫画家にはイマジネーションってものが重要なんだ)

 女性編集者がそばに居たら、もっと、色々な部分を刺激されるかと思ったが、それがユウリでは、刺激されるものも刺激されないだろう。下手をすれば、男である自分の方が色気があるのではないかとさえ思えた。

 そう考えると、理不尽極まりないのだが、ユウリに対して妙な怒りが込み上げてくる。後ろでじっとしていられることも、居心地悪く感じる。

 露伴はペンを置いた。平手で叩きつけるような乱暴さ。
 椅子を回転させ、うしろを向くと、ユウリがきょとんとした目でこちらを見ていた。

「…キミ、ずっとそうしているつもりかい?」
「え?」

 だってさっき、座っていろ、って…。
 ユウリの目はそう訴えていた。もっともだ。けれどそれは露伴には通用しない。

「信じられないな。漫画家のケアもキミたちの仕事だろ」
「へ…?」

 ぽかんとしているユウリに、露伴はカラになったホワイト修正液を差し出した。

「これと、あとペン先の予備と、トーンも何枚か」
「え?あの、露伴先生?」

 とりあえずそれを受け取りながら、ユウリは目を白黒させる。その様子に露伴は苛立ったらしく、

「わからないのか?」

――買って来いって言ってるンだ。今すぐに!

 と、冷たく言い切り、脚を組んだ。
 ふんっと鼻をならして、また机に向かう露伴。ユウリは呆然としながらも、何となく、今までの担当者たちが体調を崩した理由がわかったような気がした。




2012.07.11
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