01 極彩色とモノクロが出会い、混じり合う。二人の物語は、例えるならそんな単純なところから始まった。 慌ただしい朝だった。ユウリは、勤めてもう二年になるジャンプ編集部に出勤するなり、 「今日から新しい仕事に就いてもらう」 と、気難しいことで有名な上司から告げられた。 「…は?」 今なんて? ユウリはずれた眼鏡を持ちあげながら、デスクわきに仁王立ちする上司を見上げた。 「お前、確か、担当編集者の経験はあったな?」 「は、はぁ。去年に、半年くらいやりましたけど…」 「なら良い」 横分けの前髪をぴたりと撫でつけるように手を動かしながら、上司は続ける。 「ある漫画家の担当者が、体調を崩してしまってな。急遽退社することになったんだ。急な話ですまないが、お前に彼の後を引き継いでもらう」 「えっ、ええ…!?」 寝坊したお蔭で朝食をとる暇もなく、行きがけに買ったウィダーインゼリーをちまちまと吸っていたユウリに、彼はなおも見下ろすような視線を送る。 「これは決定事項だ。これからすぐに出てもらう」 「そ、そんな…。構いませんけど、いくらなんでも急すぎじゃあありませんか?」 「仕方ないだろう。人手不足で、こちらとしても困ってるんだ」 ―――それは社員への待遇のせいもあるんじゃあないのか? 毎日始業から終業までへとへとになるくらいこき使われ、女と言うだけで無駄にお茶汲みまでさせられているユウリは、ふとそんなことを思ったが、とても口には出せなかった。 「…で、誰なんですか?その漫画家っていうのは」 ウィダーインゼリーを吸い切り、ゴミ箱に投げ込む。 カン、と鈍い音がして、それはゴミ箱から外れて床に転がった。 「あー、はずれた」 気だるげにそれを拾いに行くユウリの背に、「それが、だな…」どこか歯切れの悪い声が投げかけられる。いつでもハキハキとしている彼にしては珍しいことだ。 ほんの少しの沈黙があって、彼はくちをひらいた。 「…岸辺露伴だ」 ユウリは屈んだ姿勢のまま動けなくなった。 ・ ・ ・ 東京から新幹線と電車を乗り継いで数時間。歴史と牛タンの町、M県S市杜王町。その駅構内の自販機前に、ユウリは居た。 ガコン、と音を立てて、アイスミルクティーが取り出し口に落ちてくる。 それを拾い上げ、ユウリはバス停へと歩き出した。 季節は初夏。すれ違う人々は半そでや七分丈の涼しげな装いだったが、ユウリは手の甲をすっぽり覆うくらいの暑苦しいパーカー姿だった。それが妙に気恥ずかしいことに思えて、袖をぎゅっと握りしめる。 堅物と恐れられる上司から、漫画家『岸辺露伴』の自宅の住所が書かれた紙切れを持たされ、 「行って来い!骨は拾ってやる」 と背中を押されたのはつい数時間前のことだ。「骨は拾ってやる」の部分は小声だった。 編集部で働き始めて二年。もはやその意味がわからないユウリではない。 岸辺露伴。人気作品『ピンクダークの少年』その作者。 作品の独特の世界観もさることながら、筆者の悪名――いや、武勇伝はジャンプ編集部では彼のデビュー当時から賛否両論の嵐を生んでいる。現に彼の担当編集者になった者は半年と持たずに体を壊すか精神を病むかして辞職している。 経験の浅い自分にまさかその役が回ってくるとは思っても見ず、ユウリは漫画家の名前も聞かず、容易に引き受けてしまったことを激しく後悔していた。 岸辺露伴本人に会ったことはないが、彼の噂は痛いほど耳にしている。現にこうして、東京からわざわざ原稿を取りに遠く離れた県外まで出てきているのだ。それだけで、彼の傍若無人ぶりは十分に窺えた。 ユウリは決して気の強い方ではない。それどころか、むしろ言いたいことを言えずに、会社でもプライベートでも常にひっそりとしていて、目立たないくらいだ。別に、静かに暮らしたいという願望があるわけでもない。きっとこれが自分の性分なのだと思う。選ぶ服もモノトーンばかりで地味だった。こんな自分を見たら、岸辺露伴はガッカリするだろうか。 (なんかもう疲れたな…。これが毎週続くのかぁ…) バス停でぼんやりと突っ立っていると、地鳴りのようなエンジン音が聞こえて、はっとする。バスが到着していた。次いでドアがひらかれ、ユウリは慌ててバスに乗り込んだ。 バス内はひと気がなく静かだった。ユウリは景色を眺めることに集中した。 美しい街だった。古い歴史をもつ杜王町は観光地としても有名で、ガイドブックで何枚か写真を見たことがある。車窓からはそれと違わぬ景色が見えた。 バスがやがて街なかへと進み、辺りの景色が賑やかになってくる。大きなデパートや洒落たカフェもあり、そこそこ栄えた町なのだなと思った。 ふと、その景色の中に派手なリーゼント頭の学生を見つけ、ユウリは生唾を飲み込んだ。自分が学生のころならまだ分かるが、今でもああいう気合の入った子はいるんだ、と、ほとんど感動に近いものを覚える。彼の隣を歩く刈り上げ頭の学生も、学生服をガチャガチャとカスタマイズして、厳つい容姿をしている。けれど手にはアイスクリームを持っている。 (…なんか、変わった町だな) なんだか疲れてしまった。窓から視線を外して、腕時計を見る。入社と同時に購入した、シンプルな白の腕時計。指針は間もなく午前十一時を示そうとしていた。あの学生たちは完全に遅刻だろう。 程なくして、バスは目的地付近に到着し、ユウリはバスを降りた。ここからほど近い場所に、岸辺露伴の家がある。 外はよく晴れていた。初夏の日差しがアスファルトを照りつけ、午前中だというのにひどく暑かった。岸辺露伴の家に行ったら、麦茶の一杯でも御馳走になりたいものだ。 そんなことを思いながら、ユウリは住所の書かれた紙切れを握りしめ、最初の一歩を踏み出すのだった。 続 2012.07.10 |