24 哀れな女。兄によって架せられた運命がこの女を殺すのだ。背の皮を剥がれ、額縁に飾られるのか、それとも生きたまま、死ぬより過酷な見世物としての道を辿るのか。 「ま、どっちにしろ、俺らにゃ関係のねえコトだ」 筋の入った派手な坊主頭の男が言う。逞しい肩には意識のない女を担いでいるので、生憎、すくめることができない。 「まァね」辺りを覆う暗闇を照らすほどの金髪がさらりと流れる。「それに、この女、良い母体にはなりそうもないし」 「おいおい、こんなトコまで来て商売根性出してんじゃあねえよ。メローネ」 「しょうがないだろ。クセみたいなものさ」 問答をやめ、坊主頭の男は、「この辺でいいか」と、担いでいた女――ユウリを床に下ろした。放り投げるような粗暴さではなく、恋人にするように、優しく、だ。 メローネと呼ばれた方の、一見優男ふうの男は、床に横たわるユウリの手首を、背中に回し、華麗なほどの手際で、黒いプラスチック製の結束バンドでひとくくりにした。安物だが、女の力では絶対に解けないだろう。 「ッたく、しょうがねえなあ。嫌な役回りばっかりだぜ」 なんで俺たちがこンな誘拐犯まがいのコトをしなきゃあならねえんだ。 暗殺を生業としているくせに、そんなことを愚痴る彼に、メローネは「まあまあ」と肩を叩き、宥めてやる。 「確かに後味は悪いけどさ。さっさと済ませてオサラバしちゃおうよ」 「ああ」 決まり悪そうに、オレンジ色の髪の男は、ワンピースからのびたユウリの右足をそっと持ち上げた。 傷一つない、なめらかで美しい脚だ。おそらく、今まで、ギャングや犯罪といった血なまぐさいものには関わったことなどなかっただろう。たったひとつの入れ墨が、彼女の運命を変えてしまった。 「気にしているの?…大丈夫、痛みはないから」 ユウリは、意識を失っているだけでなく、メローネの打った麻酔により身体の一部が麻痺している。それがどういう意味をもつのか、この二人は当然、理解している。ゆえに表情が翳るのだ。無関係な一般人を傷つけるのは、どう考えても、気分のよいものではない。 「目を覚まして…、絶望して死ななきゃ良いがな」 「それは俺たちの心配することじゃあない」 「…わかってる」男は、ユウリの右足、そのひざ部分に脚をかけ、両の手に思いきり力を込めた。 渇いた小さな破裂音が聞こえた。小気味よいとも、気持ち悪いともとれる音。 男の手の中で、ユウリの右足は本来の形状を忘れてしまったかのように、醜く曲がり、あらぬ方向を向いていた。 「あーあ、勿体ない」 見る見るうちに鬱血し変色していく彼女の脚に、メローネがぽつりともらす。 意識も痛みもないはずだが、ユウリの目にはうっすらと涙が浮かんでおり、メローネはそれをすくい取ると、長い舌先で舐めとった。 「俺らの仕事はこれで終わりだ」 「行くぞ、メローネ」ユウリを見つめるメローネの腕をひく。「いつまでもこんな所に居る必要はねえ」 「そうだね。うん。行こう」 踵を返す二人の体に、闇がまとわりつき、この場に押し留めようとする。それを気にもせず、二人はこの場所を後にした。死んだように眠るユウリを一人、残したまま。 哀れな女。兄によって架せられた運命がこの女を殺すのだ。 ただ一人の男を愛することも許されず、前進することさえ世界が拒む。まるで、薄暗い場所で足掻き続けることこそが、ユウリに与えられたただひとつのサガだとでも言うように。 「…ん…」 二人の人殺しが去ってから数時間、ユウリはようやく眠りから解放された。 ゆっくりと目蓋がひらかれる。辺りと同じ色の、黒い瞳。少ない白目部分が闇に浮かび上がった。 (ここは…) 昼か夜か。暗闇に支配された視界は何も捉えることはなく。 「ッ!!」 手をのばそうとして、自身がすでに拘束されていることを知る。 細い紐のようなもので後ろ手に縛られ、力を入れるたび、それが手首に食い込んで、ユウリはその端正な顔に苦痛を滲ませた。 (…なによ、これ…っ) 下半身に至っては感覚が麻痺していて、力が入らない。 八方塞がり。そんな言葉が脳裏をよぎる。 「ブチャラティ…」 不安げな声が辺りに反響する。あまり広い場所ではないらしい。 自分を捕らえたのは、まず間違いなく、ポルポの命を受けた組織の人間だ。ということは、ついにポルポは自分の秘密に気づいたのだ。 自分を襲った男に、見覚えはなかった。組織が用意した運び人だろうか。 (………) 徐々に目が暗闇に慣れ、辺りの景色が鮮明になってくる。 そう広くもない屋内に、木製の樽や古びた工具、巨大な木材などが散在している。どうやら、此処は廃墟となった物資の倉庫らしい。 耳を澄ましてみるが、車の音や人々の喧騒は一切聞こえてこない。助けを呼んでも無駄だと思われた。 倉庫の中心部では、固いコンクリート詰めの袋がいくつも積まれている。ユウリはそれを枕にするような形で寝かされていた。 拘束された手と上半身の力を使って身体を起こし、きょろきょろと辺りを見まわしてみる。 窓らしいものは全て内側から木で打ち付けられ、光がいっさい入りこまないようになっている。ドアはなく、錆びたシャッターが下りているだけだ。 ふと、脚の痺れが回復していることに気づく。歩いてシャッターの方まで行けるだろうか、と、自身の脚に目をやった。ユウリは叫びそうになった。 (なに…これ…) 脳髄が凍りつくような感覚。ガタガタと体がふるえだす。 異常だった。右脚の膝から下がおかしな方向を向いていた。 「いや…!!」 ―――殺される。ユウリは咄嗟にそう思った。 この組織は狂っている。絵画ひとつ、入れ墨ひとつ、女ひとりにここまでするのだ。 (殺される…) 背中を剥がれ、絵を抜き取ったら、私はもう用済み。 ユウリは辛うじて動く左足と、上半身とを使って、床に這いつくばった。 こうなることを予感していなかったわけではない。ブチャラティに背中の入れ墨を見せたとき、死への恐怖も捨て去ったはずだった。 ―――ブチャラティ… 床を這いずって、シャッターの方へと向かう。 この状況に立たされてようやく明るみに出た、ユウリ自身の生への執着。脚を折られ、手の動きを封じられ、まるで芋虫のような、無様姿をさらしても、どうしても、もう一度だけ、ブチャラティに会いたかった。 「きゃ…」 途中、折れた右脚が何かを倒し、そこからこぼれた液体が辺りを濡らした。液体は、ユウリ自身には掛からなかったが、その嗅ぎ覚えのあるにおいに、ユウリの瞳はハッと引き絞られる。 ガソリンだった。だとしたら倒したものはポリタンクか。使われないままずっとこの倉庫に残っていたのだろうか。 床に大きく広がる揮発油の輪からユウリは身を避け、壁際に避難する。両手両足のほとんどが機能停止している今、短い距離を移動するだけでもひどく体力を消耗する。 ぜいぜいと荒く息を吐きながら、ユウリはあることを考えていた。 都合よくぶちまけてしまったガソリン。倉庫には乾いた木材がいくつも転がっている。 「………」 ユウリはまた動き出した。それから、埃のたっぷりとのった工具箱や小物入れを、後ろ手を使って開け、中身を漁る。 ペンチ。違う。ハサミ。違う。ドライバー。違う!! ふり返りながら作業をしていたので、首が痛い。 無心でそれらをかき回し、泣きそうになるユウリの指先に、「!」ようやく、目的のもののひやりとした感触。 「あった…」 子どもでも使い方のわかる、銀のジッポライター。蓋をあけ、フリントをこすると、油のにおいとともに小さな炎が手の中に灯った。久しく見ていなかった光だ。 オイルが切れていないか不安だったが、杞憂に過ぎなかったようだ。 蓋をしめ、火を消した。倉庫内に暗闇が戻る。 ジッポライターを握りしめ、ユウリは床にへたり込んだ。これからしようとしていることに対する恐怖、徐々に感じるようになってきた右脚の痛み、それらがユウリの小さな体を震撼させた。 ひとつの物語が終わろうとしていた。ユウリは目を瞑ると、祈りを捧げた。 (―――どうか幸せになって。それから、できることなら、私のことを忘れないで) 涙があふれた。恐怖ではなく、愛する男への想いで胸の中が満ちていた。 ユウリはゆっくりと目を開けた。涙をまとった瞳には、強い意志が宿っている。 (私は組織のオモチャなんかじゃあない…) 必死に生きようとしたのも、ブチャラティを愛したのも、これから起こることさえも、全て、自分の意志だ。誰かに人生を決められるなんてまっぴらだ。 「……兄さん……」 寂しくさせてごめん。今、そっちに行くから。命を懸けて、あなたが描いた入れ墨は、ダメになっちゃうかもしれないけれど。 「………」 ユウリは空(くう)を見据えた。思い残すことはブチャラティへの感情だけ。最後の最後に、誰かを愛することができてよかった。ユウリはその唇に笑みを浮かべた。 「ブチャラティ」 ―――さよなら。 つぶやくと、ユウリはガソリンの染み込んだ床に、火のついたライターを投げ込んだ。 続 2012.06.21 |