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 マンションに帰って来た日から、ブチャラティはユウリのそばを離れなかった。今まで、つらく当たった分を補うように、惜しみなく、ユウリとの時間を大切にしていた。
 二人でパスタをひいたり、ブチャラティの作ったカルパッチョを食べたりと、幸せな時間だった。ブチャラティは、彼女のそばに居てあげなくてはならないような気がしていた。

「魚を捌くのが上手いのね」

 素人離れした手際で、魚をスライスしていくブチャラティに、見とれるように言う。

「漁村で育ったんだ。俺の父は漁師だった」
「へえ、そうなの?」

 ユウリは興味深そうに聞き返す。彼は、あまり自分の身の上話をしようとしない。それはユウリも同じだが、かと言って気にならないわけではない。

「漁師ねぇ…。ブチャラティの故郷の海は綺麗だった?」

 狭く、濁った日本の海を比較対象に思い浮かべながら、ユウリは言う。
 そんなユウリに、ブチャラティは、ああ、と笑顔を見せる。

「とても美しい海だ。いつかお前にも見せてやりたい」
「素敵。約束よ?」
「ああ」

 ブチャラティにしては珍しく饒舌だ。
 エプロンをつけ、二人、キッチンに立っている。そんなありきたりなシチュエーションに、彼も少しは浮かれているのだろうか。

「俺は日本にも一度行ってみたい。イタリアと同じ、四季のある美しい国だと聞いている」
「そうね、いつか二人で行きましょう。案内するわ」

 パン生地をこね、両手の塞がっているユウリに、ブチャラティはそっとキスを落とす。
 今日の昼食は、チーズとハムのブリトー。それに炙りサーモンのサラダ。朝方、二人で市場まで買い出しに行ったのだ。
 恥ずかしがって、外では手を繋ごうとしないブチャラティだが、二人きりのときはこんなに優しく、とびきり甘やかしてくれる。
 強請るように顎を引くと、ブチャラティはもう一度、ユウリの唇に自身のそれを重ねた。









「…ねェ、仕事は大丈夫?」

 手作りのドレッシングで味付けされたサラダを食べながら、ユウリが言う。
 仕事熱心だったブチャラティが、自分のそばを離れようとしないことを心配しているのだろう。
 一緒に居てくれるのは嬉しいが、かと言って、仕事の邪魔はしたくない。
 ブチャラティは静かにサーモンを嚥下すると、ああ、と事も無げに答えた。

「それなら、仲間に任せてあるから問題ない。緊急の用事があれば、呼ばれるだろうがな」
「そうなの」

 と、そんなことを言った矢先。ブチャラティのポケットで、携帯電話が震えだした。

「…プロント」

 電話はアバッキオからだった。一言二言、電話口の彼と言葉を交わし、電話を切ると、ブチャラティは困ったような顔をした。きゅっと結ばれた口元には、先ほどまでの微笑みは残っていない。

「…緊急みたいね?」

 ユウリは残念そうに、けれどどこか可笑しそうにクスッと笑った。

「すまない。他のチームとモメているらしくてな…俺が話をつけてくる」
「ふふ、気にしなくていいのよ。子どもじゃああるまいし、留守番くらい一人でできるわ」

 ユウリのその言葉に、ブチャラティは意地悪そうに目を細め、

「へえ。行かないで、って泣きついてきたのは、どこの誰だったかな」
「…ちょっと、誰のせいだと思ってるのよ!」
「はは。まあ、なるべく早く戻る」
「もう…期待しないで待ってるわ」

 そんなやり取りののち、ブチャラティは、ユウリの部屋を後にした。

「………」

 室内に静寂が戻る。
 一人は慣れたつもりだったのに、なぜか、胸騒ぎがした。


 それから、一時間も経たないころだった。

―――ピンポーン…

 ユウリの部屋のインターホンが鳴った。

(ブチャラティ…?ずいぶん早いわね)

 小走りで玄関に駆けつけるが、ふと、ユウリの胸に疑心が生まれる。

(…待って)

 インターホンは一度しか鳴っていない。それに、合図としている咳払いの音もない。ユウリは咄嗟に身構えた。

(…誰…?)

 胸の前で手を握り、ユウリは一歩、後ずさる。頭の中で警報音が鳴っていた。

―――違う。
―――ブチャラティじゃあない。

 ドアの向こうにいるのは、ブチャラティではない。
 では一体、ドアを隔てた場所にいるのは誰なのか?
 疑心暗鬼になり、ざわめくユウリの胸中。そんなことなどまるで気にも留めず、ドアは静かにひらかれた。

「ッ!?」

 あり得ない事態に、ユウリは半ばパニックとなる。現れたのは、キャップを目深にかぶった、背の高い男だった。
 「なッ…」ユウリは目を見開いた。見覚えのない男。それがどうして、この部屋の鍵を持っているのだろう。動揺、困惑、そして恐怖に体がふるえる。

「あ…、あなた、誰―――」

 瞬間、ユウリの腹にスタンガンが押し当てられ、「きゃあああッ!!」語尾はすぐに、悲鳴に変わる。
 力なく床に崩れ落ちるユウリ。四肢も指先も、力が入らない。目が霞み、思うように声が出せなかった。

「悪く思うんじゃあねえぜ」

 薄れていく意識の中、彼女が最後に聞いたのは、そんな男の声だった。




2012.06.16
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