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「…晩年、兄は精神を病んでいたわ。会社の経営がうまくいかないこともあったけど…一番の原因はやっぱり、芸術家として。彼は、自分の描く絵よりも、人間の見せる一瞬の美しさに心を奪われ、何も描けなくなってしまった。永遠に残存する無機物を媒体にして、美を追求できなくなったのよ。けれどまだ、自分の中にくすぶるビジョンを表現し足りない。彼はいつしか麻薬にも手を出すようになっていた。そうして、苦悩と葛藤、強烈なフラストレーションに侵された兄が、…最終的に見出した、真っ白なカンバス。それが…」

「実の妹の、美しい肌だった…」

 ずっと黙し、ユウリの話を聞いていたブチャラティが、口をひらく。ユウリは、ええ、と頷いた。

「永遠でも刹那でもない私の、…人間の肌を、兄はとても気に入っていたわ。一年以上もかけて、夢中で施術をして…。あのころの兄は、本当に生き生きとして、楽しそうだった。実の妹の背に、一生消えない傷を負わせることへの罪悪感も、何も感じないくらいね」

 ベッドの中で身じろぎする、ユウリの裸体を、ブチャラティはそっと抱きしめる。素肌と素肌がふれ合う感触。ユウリは、ブチャラティの腕の中で、ぽつりともらした。

「私、それでもいいと思ったの。兄には、今まで育ててもらった恩があるし、…何より、私は、優しい兄が好きだった」

 彼のためなら、どんな痛みにも耐えられる。自暴自棄になったわけじゃあない。私は私のために、この道を選んだの。

「けど、兄は、この絵を完成させて間もなく、麻薬中毒で死んでしまった。施術、いえ、この絵を描いているときは、あんなに元気だったのに…。まるで、この絵の完成とともに、命の火が燃え尽きたみたいだった」
「………」

 麻薬、というワードに、ブチャラティの眉間がぴくりと動く。
 ブチャラティの身体を抱きしめ返す、ほっそりとした白い腕。ユウリの、しっとりとした冷たい手のひらが背筋を這う。それから少し間をおいて、皮肉めいた笑い。

「入墨を彫っているときも、兄が死んだときも、まさかこんなことになるなんて、思ってもいなかったわ。もちろん後悔なんて、しちゃいないけど」

 媚薬に侵されていたのが嘘のように、ユウリは、今ではすっかり落ち着きを取り戻していた。つい数時間ほど前、回数さえ覚えていないほど、そう、文字通り、枯れるまで搾り取られたブチャラティは、「タフだな、お前は」と、色々な意味を込めて言った。

 ユウリはブチャラティを上目で見やる。

「まあね。でもさすがに、ブチャラティに冷たくされたときは落ち込んだわ」
「……すまなかった」

 途端、決まり悪そうに口を噤むブチャラティ。そんな彼の唇をつまんで、

「でも結局、愛してるって言ってくれたから、許す」

 軽く音を立てて口づける。悪戯っぽい表情で微笑むユウリに、散々搾り取られたはずの、ブチャラティの肉欲がふつふつとわき上がってくる。

 ユウリを抱きしめたまま、上に覆いかぶさると、ユウリは「…するの?」と小首を傾げた。抑揚のないその声に、ブチャラティは、先ほどまでの彼女の痴態を少し恋しく思う。

「ダメか?」
「うん」
「………」

 無表情のまま、鎖骨のあたりに頭を寄せてくるブチャラティに、ユウリは、冗談だよ、と腕をまわした。









「…素晴らしい」

 つやつやと光る、宝石のような苺を眺めながら、ポルポは感嘆の溜息をこぼした。天井の照明に苺をかざし、360度、しげしげと眺めたのち、無造作に口へと放り込む。
 口の中いっぱいに広がる甘みと、わずかな酸味。その脳裏に、ユウリの顔を思い浮かべ、熟れた果肉とともに咀嚼する。

「ふふ…」

 笑いをこらえることができず、歪んだ唇の端から、透き通った赤い果汁がつう、と伝う。

「フフ…。クク、…ハハハ…!!」

 手にしたワイングラスに波紋が広がる。独房内に響く、狂気を孕んだ笑い声。
 獲物を手中に収めたときの、圧倒的な充実感に満たされる。

―――素晴らしい!!

 名のある画家が、この世に最期に遺した日本画。それが、まさか生身の人間に刻まれた、「滅びゆくモノ」だったとは。
 キャンバスに描かれ、ヒトの手により永遠を約束されたものとは違う。ヒトはいつしか朽ちていく。けれどそれは決して、一瞬の輝きとも違う。
 永遠でも刹那でもない曖昧さ。その不完全さこそが美しい。

―――皮を剥いでしまうのも、剥製にしてしまうのも惜しい。あの女の器量なら、愛玩動物のように、生かして飼い慣らしたがる者はこの世にゴマンといるだろう。

 絵画にユウリ本体の値打ちを加算して考える。ポルポは頭の中でソロバンをはじきながら、歓喜に震えた。

(…問題はブチャラティだな)

 ブチャラティはユウリに惚れている。彼がユウリをそうやすやすと差し出すとは思えないが、ブチャラティは所詮、組織の犬。彼が組織を裏切るというのもまた、想像に難いことだった。

「本当に…君には心から同情するよ。ユウリ」

 言葉とは裏腹に、愉快そうにポルポは笑った。




2012.06.11
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