02
 ―――約束が違う!!休憩にと入ったホテルの一室。高級そうなベッドに放り投げられ、ナランチャはユウリをキッと見上げた。

「そんな目で見てもムダよ。ナランチャ。私がどういう意味でアナタを誘ったか、わかるでしょう?」
「そんなん知るかよォ!!買い物だけって約束だろ!!てめぇ、いい加減にしねーとマジでぶっ飛ばすぞ!!」

 言うが早いか、ナランチャはのしかかるユウリの身体を突き飛ばした。無意識のうちに出た行動だった。
「きゃっ」尻もちをついても余りあるベッドスペース。柔らかなベッドに転ばされても、ダメージなどほとんどないだろう。
 けれど、「ぶっ飛ばす」と言いながらも、本当に突き飛ばすつもりなどなかったナランチャは、混乱した頭で、咄嗟に「あぁ!!ごめんっ!!」と叫んでいた。
『女は殴るな』という、ブチャラティの教えが頭に染みついているのだ。

「平気よ。でも少しびっくりした」

 ベッドの中心からずれた場所。ユウリはナランチャに手をのばし、母国の美女を思わせる黒髪をそっとなぜた。その、あまりに優しい手つきに、ナランチャの体が一瞬、怯む。
 髪から顔の輪郭へと移動する白い手のひら。薔薇の香りのする指先。母や姉といった存在を連想させるそれらが、初めて彼女に会った夜、あんなにもイヤらしく、自分の体を蹂躙したものと同じだなんて、とても、思えなかった。

「ずっとこうしてくれりゃあ良いのに」

 ぽつりとつぶやいた言葉。ユウリは、それをキスで掻き消していく。

「んっ、んン…」

 舌を絡めると、ナランチャの口から色気のない喘ぎがもれる。それすらも愛おしそうに、ユウリは彼の体を、ゆっくりとベッドに沈めた。結局は、最初の体勢に戻っただけだ。

「ナランチャ、素敵よ」

 ナランチャの腰に巻かれた、オレンジ色の布を剥ぎ取ると、そこにはキスだけで熱を帯びたナランチャ自身が存在を主張していた。

「あっ、う、うぅ…」

 ナランチャは恥ずかしそうに身をよじる。
 以前の、女を知らなかったころのナランチャであれば、キスだけではきっと、こうはなっていなかっただろう。ユウリによって呼び起された雄の本能が、これから起こるであろう甘美恍惚のひとときに、期待と熱をわき上がらせているのだ。
 ナランチャは、それがとても恥ずかしいことのように思えて、ぐっと歯を食いしばった。目を瞑ると、なぜだか、ブチャラティの顔が浮かんできて、後ろめたい気分になる。自分がとても淫らな生き物のように思えた。

(ブチャラティはいつだってスマートで、カッコよくて、きっと、今の俺みたいに、こんなイヤらしいこと、したり考えたり、しないんだ…)

 そう思うと、なんだか情けなくなってくる。シーツを握る手に力が入って、それを見越したユウリが、面白くなさそうに、

「セックスの最中に、違うコト考えるなんて」

 と、いきり立った陰茎にしゃぶりついた。
 声を上げながら、ナランチャは、熱に浮かされぼんやりとした頭の中で、この数日間のことを思い出していた。
 ユウリと出会ってから、なんだか、時が過ぎるのがあっという間だ。彼女はいつも勢いがあって、やることなすことバカげているが、ちゃんと『自分』を貫いている。自分のやりたいことをやり通している。信念があるのだ。そこだけは、ユウリは、ナランチャの憧れるブチャラティと通じていた。

「…ッ、あ…!」

 プップッと鈴口からもれる白い液体。達する直前、ブチャラティのことを考えていたせいで、なんだか、ブチャラティのことを汚してしまったように錯覚する。

 肩で息をしながら、ユウリを睨みつけると、彼女は甚く魅力的な笑顔で自身を彩った。

「アナタのコレ、…最高」

 そう言って、萎んだナランチャの性器に頬ずりをする。欲望に忠実すぎるその姿に、ナランチャは、一瞬でも彼女にブチャラティを重ねたことを後悔した。

「へっ、変態女ッ!!」
「その変態に乗っかられて、腰砕けになってるくせに」

 その一言に、ナランチャはカッと熱くなった。

「うっせえ!!だいたい、どーして俺なんだよ!?男なんて、俺以外にたくさんいるんだろ!?その中に、お前のこと本気で好きなヤツだって、いるんだろ!?それなら…」

 続けようとした言葉を、ユウリは、唇に閉じ込める。セックスは肉欲に溺れきり、快楽を見出すためのもの。少なくとも、ユウリにとってはそうだった。そのさなかに、愛だのなんだの、センチメンタルなことを喋る気にはとてもなれない。野暮だ。せっかくの興が殺がれてしまう気がした。

「…そういうコトは、いいの。愛しているとか愛していないとか、私にとって、そんなコトはどうだっていいの」

 問題は、アナタが私としたいのか、したくないのかよ。

 吐息を絡め合いながら、そうつぶやくユウリに、ナランチャはまるで、違う生き物を見るように、ぱちくりと目を見開いた。
 愛。幼いころに失った母親の愛。友人からの愛。恋人なんてもちろんいなかった。ナランチャは愛というものに飢えていた。反面、彼女は愛をどうでもいいと言う。信じられなかった。つい半年ほど前まで、ひどく病んでいたナランチャの左目には、このとき、ユウリがとても悲しいひとのように映った。




2012.06.11
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