fake me
 分厚い扉を一枚隔てた向こう側で、声が聞こえた。

「DIO様」

 私は耳を塞いだ。つい先ほどまで、私の名を呼んでいた艶声が、あの男の名を紡ぎだし、他愛もない会話をし始める。やがてお喋りにも飽きたら、あとはもう身体を重ねるだけ。私の大嫌いな時間。大嫌いなあの男。けれど私の、一番大切なヒトが、誰よりも愛し、崇拝した一人の男。



 DIOの部屋の前で、私は、主人を待つ飼い犬のように、行為が終わるのをじっと待っていた。ただっ広い廊下で、何をするわけでもなく、蹲っているだけ。この館では、そんな私を物珍しがる者も、不審がる者もいない。話しかけてくる者もいない。これは極めて日常的なことなのだ。


「ユウリ。また此処で待っていたの?」

―――どれくらい、この場所に蹲っていただろう。エジプトの渇いた夜風を引き連れて、マライアが私を見下ろしていた。

 私はマライアに抱きついた。「遅いよ」私の大好きな煙草のにおいは、もう消えていた。今の彼女は、ただあの男との情事、その余韻を纏うだけ。

「マライア。お風呂入ろう。ね」

 マライアがうざったそうに歩きだしたので、私も彼女の腕を抱きしめながら、ついて行く。

「マライアってば」

 自室の部屋のドアを引き開けようとするマライアの腕を、強く引っ張る。マライアは、面倒くさそうに私を見ていたが、構わず、お風呂入ろ、と、何度か繰り返すと、あのねェ、と濡れたくちびるから溜め息を吐き出した。

「もう寝るの。疲れているのよ」
「ダメ。お風呂入らないと、ダメだよ。マライア」

 汚いから。汚れているから。違う人のニオイがするから。今のマライアはあの男に取り憑かれてる。まくしたてるようにそう言うと、マライアは心底憐れむような目で私を見た。

「貴方って本当に可哀想」 

 あの人の魅力が理解できないなんて…。
 そう言って、マライアは部屋の中へと消えて行った。私はしばらく、立ちすくんで動けなかった。その言葉の意味を考えていた。けれど答えが出ないので、私は彼女を追いかけた。

「マライア、待ってよ」

 明かりのない部屋。ベッドに腰掛け、マライアは煙草に火をつける。オイルライターの小さな火が、夜闇のベールをまとった彼女の顔を明るく照らした。

 私は、彼女の隣に腰を下ろし、整った横顔をじっと見つめた。

 私はマライアを愛していた。私にはない全てのものを、彼女は持っている。
 きめ細やかな褐色の肌も、ピンク色の唇も、ポルノ女優のように不健全な肉体も、彼女の持つ何もかもを、私は愛していた。この、憧憬にも似た感情を、彼女はついに理解してくれなかったけれど。

「マライア」

 マライアの腰に抱きつくと、白い煙をくゆらせながら、マライアが私の方を見た。
 輪っかを作るような、下品な動きではなく、空気をくすぐるように、フゥーと静かに、ルージュの落ちた唇から、白煙を吐き出す。背筋のあたりがゾクゾクした。

「アナタって変わり者よね」
「そうかな?」
「そうよ。少なくとも私はレズじゃあない」
「………」

 知っている。私だって別に、今までに女だけが恋愛対象だったわけじゃあない。

「でも愛してるの、マライア…あの男が憎くてたまらない」

 見上げると、「あぁそう…」マライアは無表情に、無感情に、私の髪をなでた。私の髪は、マライアのそれの補色。瞳の色もそう。互いを反転させた色をもつ私たち。

「DIO様は平等よ。私にも、ユウリ、アナタにもね」
「………」
「あの方がこの世界に存在している以上、私は他の誰も愛せない」
「マライア」

 泣きそうだった。私の大嫌いなあの男が、どれだけ完成された存在なのか、それくらい私にもわかっている。DIOは常に完璧な存在だった。肌で感じて、理解している。

「…でも、貴方の唇は好きよ」

 あの方と同じ色をしている。そう言って、マライアは私の唇に、煙草のフィルター部分を押し当てた。私は特に何か思うこともなく、されるがまま煙草を吸い、害悪でしかないその煙を肺へと送る。マライアの香りで肺を満たしていく。

「血の色をした唇。素敵ね、惚れ惚れする」
「本当?」

 マライアは、煙草を取り上げると、サイドテーブルに置かれた硝子灰皿に押し付けた。

「マライア、ねえ」

 顎をしゃくると、マライアは何を言うでもなく、静かに唇を重ねてくる。煙草の香りに混じって、微かな血のにおいがする。あの男のにおい。マライアの愛したにおい。
 私は所詮、あの男の代用品でしかない。それでもよかった。マライアに捨てられるより、一人にされるより、よっぽどいい。

「マライア、一人にしないで、お願い」

 怖いの。そう言うと、マライアは、

「怖い?」

 私の言葉を繰り返した。それから、馬鹿ね、と笑った。

「一人になることなんて、ちっともおそろしくないわ。そんなことよりも、あの人に見捨てられる方が怖いのよ。私はね」

 両手で私の頬を挟みながら、もう一度、キスをする。彼女は、私の唇をDIOのそれに見立てて、幸福そうな顔をする。私ではなく、DIOだけを、真っ直ぐに見つめている。それでもよかった。彼女が幸せなら。私をそばに置いてくれるなら。なのに、どうしてだろう。涙があふれて止まらなかった。




2012.06.05
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