TRICK OR XX
 自分はこの館に来てから、曜日の感覚どころか、過ぎ去っていく日々の感覚さえ忘れていっているらしい―――と、ユウリがようやく気付いたのは、派手に仮装したマライアとミドラーに、
「トリックオアトリート!」
と叩き起こされたある朝のことだった。

「…は?」

 起き抜けでぼんやりとしたまま、ユウリは、魔女と化け猫に扮したマライアとミドラーを交互に見た。ベッドでぽかんとしているユウリとは対照的に、二人は意味ありげにニコニコと微笑んでいる。

「どうしちゃったのよ。二人とも」

 彼女たちは、朝っぱらから何をやっているんだろう。そんなユウリの疑問に、セクシーな魔女の恰好をしたマライアが答えた。

「日本だってハロウィンの習慣くらいあるでしょう」

 と、ジャックランタンを模したプラスチックの入れ物を、ずいっとユウリの目の前に差し出す。
 ミドラーはといえば、ベッドに腰を下ろして脚をブラブラさせている。
(なるほど。今日はハロウィンだったのね…)
 そんなイベントも忘れてしまうくらい、自分の中の、時間の流れが失われていっていることに、ユウリは正直、驚いた。

「もう、そんな季節なのね」

 呆けたまま言うユウリに、マライアが、何ボケたコト言ってるのよ、と溜め息を吐く。

「アナタって、前から思ってたけど変なヒトよね」
「失礼ね。時間が過ぎるのがあっという間で、ちょっとビックリしただけよ」

 ふうん、と気のない返事を返すマライアを尻目に、ユウリは、この館に来てからのことを思い返していた。
 捕食対象でしかなかった自分が、捕食者であるDIO本人によって生かされ、犯し尽くされ、そして彼の半身であるザ・ワールドに恋をした。それらの記憶が、まるで走馬灯のように脳裏に映し出され、ユウリの胸を熱くする。
 あの時から、ユウリはずっと囚われている。世界の名を持つ彼を、一目見たあの時から、ユウリの時間は止められたままなのだ。

「ちょっとユウリ、聞いているの」

 ミドラーの声に、ユウリの意識は現実に引き戻される。

「ご、ごめん。聞いてなかった」

 そう言うと、ネコ耳をピコピコといじりながら、ミドラーが、
「まったくもう。ぼーっとしてるんだから」
「な、何よ。だいたい二人とも、何しに来たのよ」

 その問いに、マライアが、魔女のステッキをくるくると回しながら答えた。

「あら、初めに言ったじゃあないの。“トリックオアトリート”…お菓子をくれなきゃイタズラするわよ」
 そんな子どもじみた台詞とは裏腹に、その表情はとても妖艶だ。
「なっ。そんなコト急に言われたって、お菓子なんてないわよ」
「あらそう。じゃあ『イタズラ』するしかないわねぇ」

 と、マライアがミドラーに目配せをする。確信犯めいたそのやり取りに嫌な予感がして、ユウリは、ベッドから抜け出そうとするが、時既に遅し、ミドラーによって体を押さえ込まれてしまう。

「ちょっ、ちょっと! 何する気よ!」
「何って、イタズラに決まってるでしょ」マライアは涼しい顔で言う。「私たち、夜を共にした仲じゃあないの。そんなに嫌がらないでよ」

 マライアの言葉通り、確かにユウリは、マライアとミドラー、そしてDIOの三人と、身体を交えたことがある。もちろんそれも、この館の主人の気まぐれだ。

「でも、それとこれとは関係ないでしょ!放してよ!」
「そんなに暴れないの。磁石にしちゃうわよ?」
 恐ろしい脅し文句に、ユウリの体が強張った。
「な…なんなのよ!いいわよ、やるならさっさとやりなさいよ!」

 半ばやけくそ気味に言い放つユウリ。しかしそれも、「それじゃあ遠慮なく」と微笑むマライアに、衣服を脱がされはじめ、一気に後悔へと変わっていった。









「…とんでもない目に遭ったわ」

 悟りを開いたような目でユウリが呟く。その頭には黒いツノの付いたカチューシャ。背中には黒い羽根。小ぶりなヒップには細長い尻尾のアクセサリー。そのほかの服の布面積は驚くほど狭い。
 彼女は、朝早くから押しかけてきたマライアとミドラーの『イタズラ』によって、なんともセクシーな悪魔に変身させられたのだった。

 廊下を一歩歩くたびに、尻尾がゆれて、違和感を覚える。今夜は館で仮装パーティがあるそうで、それまでこの格好で居ろとのことだった。二人の口調から察するに、これはDIOの命令なのだろう。本物の吸血鬼がハロウィンに仮装パーティを主催するなんて、冗談もへったくれもあったものではない。

(まったく…主人が主人なら、部下も部下よ)

 ザ・ワールドの寡黙さ、忠実さを、皆に見習って欲しいくらいだ。
 と、そんなことを思っていると、脳裏にふと、ある考えがよぎる。今日はハロウィン。DIOはまだ眠っている。
(………)
 暇つぶしにと書庫へ向かっていたのだが、ユウリはその通路を、踵を返して歩きはじめた。
 向かった先は、この館の主人の部屋。幾度となく監禁され、気が狂うほど犯された場所でもある。
 ノックをするが、返事はない。当然だ。太陽の光の蔓延るこの時間、DIOはまだ眠っているのだ。ユウリは特に何か言うでもなくドアを開けた。

「ワールド」

 DIOの眠っている棺へ向けて呼びかければ、愛しい男が姿を現す。DIOの目の届かないこの時間、それが、彼らが二人きりになれる唯一の時間だった。
 ザ・ワールドは、ユウリの格好に驚いたようで、いつもの無表情を崩して、目を大きく見開いていた。しかしユウリが甘えるように両手をのばせば、わかりきったように華奢なその身体を抱きしめる。

「驚いた?」

 ゆっくりと頬ずりをしてから、ザ・ワールドはコクンと頷いた。

「マライアとミドラーに着せられたのよ。ハロウィンだからって」

 冷たく厚い胸板に手を這わせながら、ユウリは言う。その目には、ユウリの部屋を訪れたマライアたちと同じような、悪戯っぽい光が宿っている。

「ワールド。ハロウィンは知ってる?」
「………」

 いつも通りの無言。けれど否定もしないので、これは肯定ととって良いだろう。おそらく、仮装パーティだなんだのと騒いでいたDIOによって、なんとなく知識を植えつけられたのだろうとユウリは推測した。

「それなら話は早いわね。…ワールド」

“トリックオアトリート”

 キスするような近さで、ユウリは呟いた。
 ザ・ワールドは、ぽかんとした様子で、ユウリをただ見つめるだけだ。

 ユウリはクスっと微笑む。
「ワールド、聞こえなかったの?“トリックオアトリート”、お菓子をくれなきゃ、イタズラするわよ」

 マライアの言った言葉を、そのままなぞる。
 ユウリの、そのしっとりとした視線に、ザ・ワールドは焦ったように部屋じゅうを見まわした。
 あたふたと視線を泳がせるザ・ワールドだが、部屋のどこにも菓子らしいものは見当たらない。しばらくすると、観念したように、ユウリに視線を戻すのだった。

「お菓子がないんじゃあ仕方ないわね」

 ザ・ワールドは相変わらずの無表情だが、今はどこか気落ちして見える。まさかユウリが本気で菓子をねだっていると思ったのだろうか。
 ユウリはといえば、珍しく取り乱したザ・ワールドが可愛くて仕方がない。『イタズラ』のし甲斐もあるというものだ。
 ユウリはザ・ワールドの手をとり、堅くこわばった人さし指を口に含んだ。唾液をたっぷりと絡め、まるで男の性器にするように、丹念に舐め上げる。左手はザ・ワールドの冷えた腹筋を静かに撫でる。

「お菓子の代わりに、アナタを食べてあげる」

 言えば、荒々しい動作で、ザ・ワールドが唇を押し付けてくる。ユウリは、彼の渇いた下唇に噛みつきながら、これじゃあイタズラにならないかしら、とぼんやり思った。




2012.10.01
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