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 帰りの車中。

―――ヒトを愛し、傷つけ合い…そして互いを不幸にする、不完全な存在。…お前たちは、結ばれるべきではないのだよ―――
 ポルポの言葉が、気味悪く、ユウリの胸に溶け込んでいく。同時に湧き上がってくる嫌悪感。

(…ヒトを好きになって、何がいけないの?私を勝手に拉致しておいて、―――すべてを任せられると思った―――たった一人の男を愛することさえ…、私には許されないっていうの…?)

 怒り、悲しみ…、理不尽な現状に、負の感情が胸を焼く。胸が、頭が、体中が熱くなる。

(落ち着くのよ…。あんな奴の言葉に、惑わされたら駄目…)

 しかし、ユウリは冷静さを欠いていた。いつまで経っても体は熱いままで―――、鼓動さえ、いつもより速く、感じられた。

(なんだか…、頭がクラクラする…)

 異変に気付いたのは、そのときだった。

「…っ、………ふ…」

 寒い。体じゅうが火照って、敏感になっている。露出した四肢に、空気がふれることでさえ、身体にゾクゾクと悪寒が奔る。

(…何、コレ……っ?)

 小刻みにふるえだす自身を抱きしめる。眩暈?風邪?どちらも違っている気がした。

(まさか―――…)

 一瞬、浮かんだ考えに、ユウリはシン、と凍りつく。

(あのときの、ワイン―――…)

 栓をあけたばかりだと油断していた。この症状―――、何か、薬を盛られたのは確実だった。

(卑怯なマネを…ッ)

 自覚した途端、膝がふるえ出す。さすがに彼女の異変に気付いたブチャラティが、おい、と遠慮がちに口をひらいた。

「…寒いのか?」

 そう言って、エアコンのスイッチを切り替える。しかし、今のユウリには逆効果だった。むしろ、彼の声を聞いただけで、下腹が疼いてくる。

「平気……、気にしなくて、良いから………」

 ブチャラティとの、久しぶりの会話だというのに、余裕の欠片もない。

 下唇を噛みしめながら、ガタガタとふるえ、俯くユウリ。平気、と言ってはいるが、今の彼女は、誰がどう見ても普通ではない。

(…ユウリ?)

 リアシートで小さくなるユウリに、ブチャラティは手をのばす。けれど、その手はすぐに引っ込めた。「やっ…」のばした手に、ユウリが異常なまでに怯えたからだ。

「いや…、ブチャラティ…ッ」

 ドアに背を押し付け、この狭い車内で、ブチャラティとの距離を開けようとするユウリ。ブチャラティの一挙一動に、ビクビクと怯え、身体を強張らせるユウリと、彼女と接触した最後の日、涙目でブチャラティ自身にしがみ付こうとする彼女の、華奢な肢体を重ねあわせ、ブチャラティは、胸が押しつぶされそうになる。

―――嫌ってくれて良い。酷い男だと思ってくれて良い。俺は、お前を不幸にしたくない―――

(ただ、守りたかったんだ。傷つけてでも、泣かせてでも、お前がこの世界のどこかで笑ってくれたら良いと、そう思っていたんだ―――)

 そう、思っていたのに…。

「ユウリ…」
 
―――こんな状態のユウリを、放っておくわけにはいかない。ブチャラティは、路傍に車をとめ、ユウリの顔を覗き込んだ。

「…ユウリ」
「ヒ…ッ」

 ゆるゆると首をふり、逃れようとするユウリ。いや、いやと弱々しく叫ぶ、ユウリの小さな手を掴もうとした。

「ブチャラティ、……お願い、……何でも、ない、…から…っ」

 ブチャラティは思わず、息をのむ。

 涙の滲んだ、大きな瞳。上気した朱色の頬。しっとりと汗ばんだ、艶やかな肌。

「ユウリ、お前、まさか………」

 ユウリは答えない。けれど、はっ、はっ、と荒く息を吐き、

「ブチャラティ―――…ッ」

 ついには泣き出すユウリを見て、ブチャラティは確信する。

―――ポルポ―――!!


「ひ…っ、…ブチャラティ、…ッごめ、…なさ…っ」

―――迷惑ばかり掛けて、我が儘ばかり言って…、挙句、敵の罠にあっさりと掛かるような、馬鹿な女。嫌いになって当然だ。自分の、あまりの情けなさに、涙があふれてくる。止めるすべなど、無い。

「ユウリ…」

 名前を呼ばれると、狂いそうになる。もう、色欲だけが頭の中を占めていて、感情的なことが何も考えられない。下半身と頬だけが潤っていって、けれど発情しきった身体をブチャラティに見られたくは無く、自身の肩を抱きしめながら、もじもじと内ももをこすり合せるだけだ。

「ユウリ」

 ふたたびのばされた、ブチャラティの手を、ユウリは自分に残った最後の理性で、叩き落とした。

「やめて…ッ」

―――今、ブチャラティにふれられたら、どうなるかわからない。狂った姿を見せる前に、彼の前から消え去りたかった。

「優しく、しないで…。…っお願い、…私…、もう…」

 限界だった。これ以上、優しくされたら、彼の声を聞いたら、きっと理性の糸が切れてしまう。愛しい男。ブチャラティに、これ以上、みっともない姿を見られたくなかった。

「お願い…っ、一人に、して………。も…、限界、なの…」

 ところどころもれる、甘ったるい喘ぎを、ブチャラティは、堪らない思いで聞いていた。

―――限界なのは、こちらも同じだ。
 愛した女が、渦巻く快楽のうねりに耐えている、おそろしく扇情的なこのさまを、黙って見ていろというのは、若いブチャラティにとって酷な話だ。


(俺は…間違っていたというのか?)

 ガンガンと頭に鈍い痛みが奔る。自分がとんでもないことをしてしまったような気がして、喉がカラカラに渇いてしまう。

(俺がどう足掻こうと…、結局、ユウリを不幸にしてしまう運命だったのか?俺はユウリを救えないのか?…結局のところ、俺たちは―――)

―――出会わない方が、良かったのか?

「ブチャラティ…」

 自分にふれようとも、車を発進させようともしないブチャラティに、ユウリはしびれを切らし、ボロボロと涙を零しながら、声をふるわせた。

 肉欲の虜となった自身を鎮められるのは、同じくして欲を纏った愚かな男しかいない―――。
 突き上げる劣情の渦。成熟したユウリの身体は、この強烈な欲を受け止めきれず、ただ男を誘うようにふるえるだけだ。

(もう、耐えられない…!!!)

「ブチャラティ――」

 泣きはらした目で、けれどユウリはブチャラティを強く見据えた。情欲を孕んだその瞳は、輪郭すらおぼろげで、今にもとろけてしまいそうなほど潤んでいる。ブチャラティは思わず、生唾を飲み込んだ。
 ユウリは、ひとつひとつの言葉を、咀嚼するように吐き出していく。朱く熟れたくちびるで。

「…ブチャラティ…。私を…まだ少しでも、好きだと思う気持ちが、あるなら…。…お願い、」

―――抱いて―――。


 まばたきをした拍子に、涙がまた一すじ、頬を伝う。
 ブチャラティは、もう、迷わなかった。赤子のように柔らかな頬を、そっと両手でおし包むと、まるで高貴なものにふれるように、ゆっくりと、口付けを落とした。




2012.05.30
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