不器用なアバッキオ
 セックスを終えて、アバッキオは上半身裸のままソファにもたれ、ウイスキーを飲んでいる。香りを楽しむように、グラスに鼻先を近づけているが、果たして彼に香りなんかわかるのだろうか。

 私はというと、裸でベッドに横たわっていた。アバッキオのセックスは乱暴で、終わったあとの疲労感がけっこう、しんどい。
 うつ伏せで肩まで毛布をかぶった状態で、顔を上げる。アバッキオのほうを見ると、起きたのか、と声が掛かった。
 起きたも何も、私は別にはじめから眠っていない。

 ウイスキーのグラスを片手に、アバッキオがこちらにやって来る。ベッドに腰掛けて、すでに乱れた私の髪を、大きな手でくしゃくしゃと撫でる。

「撫でるならもっと優しく撫でてよ」
「ああ? じゅーぶん優しいだろうが」

 深い色の唇がいたずらっぽく笑う。子どもにするみたいに、鼻をきゅっと摘まれて、んッとくぐもった声が漏れた。

「いひゃい」
「ちっせぇ鼻」

 ぱ、と指が離れるが、聞き捨てならない。ちっさい鼻、ってそれ、鼻が低いとかそういう意味?
 自分で言うのも何だが、これでもけっこうモテる方だ。なにより、自分でも時々忘れそうになるが、付き合う前はアバッキオのほうから言い寄ってきたのだ。私の顔がすごくタイプなのだと当時の彼は言っていた。いい女だとか好きだとか、不器用だけれど、いろんな言葉を私にくれた。

(…好きだなんて、もうしばらく聞いてない)

 そう思うと、悲しくなった。決して仲が悪いわけではない。ただ、セックスの回数に反比例するように、彼の愛の言葉は減っていった。

 グラスの中の氷が、カランと音を立てた。
 アバッキオはグラスを置くと、毛布を剥ぎ取って私に覆いかぶさった。

 うつ伏せだったのを無理やり仰向けにされ、両手首を押さえ付けられる。
 口づけはアルコールの味がした。強い蒸留酒の香りにクラクラする。私は酒が苦手なのだ。

 裸の胸と胸が触れ合う。胸がつぶれて苦しかったけれど、アバッキオのキスが深くなって、舌が絡んで気持ちよかった。

 ああまたセックスをするんだ。嫌ではなかった。
 アバッキオは荒々しく私を抱くけれど、私はそれがけっこう好きだった。私たちは体の相性が良いと思う。

 けれど、私の下腹部を探っていたアバッキオの手が不意に止まった。
 おかしいな、と思っていると、なに泣いてんだ、と言われる。え、私、泣いてた?

「…私、泣いて、なんか…」
「泣いてんだろ。どっか痛ぇのか」
「ちがう…」

 頬を拭うと、そこは確かに濡れていた。喉の奥が詰まって、声がうまく出ない。
 アバッキオはひどく驚いた顔をしていた。無理もない。今まで、彼の前で泣いたことなんて一度もなかった。

「…アバッキオは、」

 喉に張り付いていた言葉が、涙と一緒に溢れた。

「アバッキオは、もう私が好きじゃないの? どうして好きだって言ってくれないの? 私とセックスがしたいだけなの?」

 ああもうむちゃくちゃだ。アバッキオは驚いた顔で私を見ている。ムードが台無しだ。セックスのときにこんなことを言う女にはなりたくなかった。
 アバッキオの表情が、驚愕のそれから困惑に変わる。そしてすぐに、眉間にしわを寄せ、険しい顔になった。

「お前、そんなこと気にしてんのかよ」
「そんなこと?」

 思わず聞き返してしまった。私が泣きながら訴えたことは、彼にとって「そんなこと」で済まされる些細なものだったのだろうか。
 たまらず、さらに言葉を畳み掛けそうになったが、言い合いになるのはもっと嫌だ。言葉をぐっと飲み込んで、目を逸らした。

「…ごめんなさい、もう言わない。私はアバッキオが好きだよ。あなたが私を抱いてくれるなら、もうそれで、満足…」

 言いながら、涙が溢れた。我ながら面倒な女だと思う。こんなんじゃあ、嫌われても仕方ない。
 アバッキオはしばらく呆然としていたが、乱暴に私の涙をぬぐい、強い力で抱きしめてきた。肩も頭も、ぎゅう、と抱え込まれる。

「…アバッキオ」

 体重をかけて抱きしめられ、身動きができない。胸が苦しい。そのまま抱き起こされ、私はアバッキオの膝の上に乗る形になった。
 アバッキオは視線を合わせ、「ずっと不安だったのか」と、真剣な表情で問いかけてくる。
 うん、と頷いてそれに答えた。

「…悪かった。泣くな」

 あやすように言って、アバッキオは私にキスをした。泣けるくらい優しいキスだった。

「俺は口下手だからな。抱いた方が伝わると思ってた」
「……体じゃなくて、言葉が欲しいときもあるの」
「そういうもん か」

 アバッキオの手のひらが私の頬を撫でる。キスできる距離にある彼の目元は朱色に染まり、気まずそうに唇を噛んでいる。照れ隠しに不機嫌そうな表情をするのは彼のクセだ。
 アバッキオは何度か言い淀んで、ちっ、と舌打ちした。

「…好きだ。不安にさせて、悪かったな」

 恥ずかしいのをごまかすみたいに、頭をガシガシと掻き、ああくそ、ガラじゃねーなと乱暴に言う。たったの一言だったけれど、涙が出るくらいに嬉しかった。

「アバッキオ、顔が赤いわ」
「…うるせーな。だから嫌だったんだ」

 目を逸らす彼に、ちゅ、と音を立てて口づけをする。不器用な彼の飾らない言葉が愛しかった。

「好きよ、アバッキオ。嬉しい」
「わかったから、泣くな」

 髪を撫でる手つきは荒かったけれど、心は自然と凪いでいた。
 このひとが好き。頬を伝う涙は温かく、穏やかだった。




2019.04.22
お題「アバッキオ」
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