01
 知られざる帝王との戦いから数ヶ月。ネアポリスを支配する巨大なギャング組織、パッショーネが生まれ変わってしばらく経つが、そんなことは街に住む一般の人々にとってはあまり関係がなかった。

 いつもと変わらない街並み。1年前の今日と同じ空の色。街で働く人々は毎日変わらない仕事をこなす。

 外国人観光客向けのナイトクラブを経営しているユウリにとっても、それは同じことであった。同じ、はずだった。その日までは。

 ダンスホールやストリップ劇場の併設された本館。同じ並びに、財布の紐の緩い観光客をターゲットにしたぼったくりバー。そこから少し離れた場所に、別館として会員制の高級ラウンジがある。ユウリはそれらを全て管理していた。

 彼女が主に顔を出しているのはラウンジである。イタリアでは日本で言うキャバクラのような施設があまりない。ナイトクラブ本館やぼったくりバーは他の従業員に任せられるが、ハイクラスの男性客を相手に酒を飲み、話を弾ませることは彼女自身でやるしかなかった。
 そしてそういった場所の需要はそこそこあるようで、ボックス席が二、三と、完全個室のVIPルームがあるだけの狭い店内は客足が鈍ることはなかった。

 このカトリックの国は、ギャング組織の横行する闇の楽園である。

 ユウリの生業も、例外ではなかった。純日本人だが、十代の頃からイタリアの夜に生きている彼女は、その器量と手腕を買われ、当時のパッショーネ幹部であるペリーコロによってこの道へ引き込まれた。

 パッショーネはイタリア全土のあらゆる界隈に進出し、資金を捻出していた。業種は幅広く、飲食店やホテル、賭博場など様々だ。

 ユウリが任されているこの仕事も、その一環であった。

 言ってしまえばギャング組織の資金源なのだが、それでも普通に働くよりは遥かに厚い待遇と賃金を得られるので、ユウリはそれなりに満足していた。店に在籍しているイタリア人のホステスたちとも上手くいっている。客や従業員と揉め事を起こすこともない。そんな協調性の高さと世渡りの上手さも、ペリーコロが彼女を見込んだ所以であった。

 ―――しかし。

 ここにきて、まさかの事態に見舞われる。
 それは組織のボスが代替わりしたと聞いて数ヶ月のことだった。もともと先代のボスは人前に出ることはなかったし、代替わりしようとも余程のことがなければ影響はないと思っていた。
 事実その通りなのだが、問題はそこではない。

「ユウリさん、お噂はかねがね伺っています」
「…ボ、ス…?」

 なんと当月の上納金の回収に現れたのは、当代ドン・パッショーネ、ジョルノ・ジョバァーナその人であった。
 深夜二時。馴染みの太客が帰るのを見送り、数名のホステスたちと店じまいの準備をしているときだった。
 ホールのドアがひらき、「えーと、ごめんください」とあどけない声が聞こえた。

 恐ろしいまでの美少年がそこに居た。まだ幼さの残る顔立ち。凛とした佇まい。色めき立つホステスたち。

「ごめんなさい、今日はもうおしまいなの」

 そもそも未成年がこんな時間にこの界隈に来るもんじゃあないわ。
 そう言って彼の頭を撫でようとしたとき、
「…困ったな。ミスタを連れて来れば良かった」
 ミスタ。なんだか聞いたことのある名前だ。
 そして彼が名乗りを上げたとき、ユウリはひっくり返りそうになった。









「大変失礼致しました…」

 この国の食物連鎖ピラミッド、その頂点に君臨する金髪の少年をVIPルームに押し込み、向かい合ったソファでユウリは縮こまった。

「いえ、こちらこそ連絡もなくすみません」

 ユウリの作ったノンアルコールカクテルを口に運び、ジョルノはその長い脚を組み替える。動作のひとつひとつがまるで芸術品のようだ。

「先代との引き継ぎや面倒ごとが色々と、やっと片付いたので」

 それはあまりにも端折りすぎだとジョルノ自身思ったが、ユウリにはほとんど関係のないことであり、そして言う必要もない。なので簡単に済ませる。
 端的に言えば単なる世代交代後の挨拶回りであった。
 深夜二時に? 共の一人も付けずに? ―――湧き上がる疑問を胸にしまいつつ、ユウリはわざわざありがとうございますとこうべを垂れた。

 多忙なジョルノのことである、もちろん全ての店を回っているわけではない。パッショーネが経営している企業の規模や収入は大小様々だが、わざわざこうしてユウリの元へ訪れたのは当然、この店がもたらす利益のランクが大小で言う【大】であるからだ。

 決して治安が良いとは言えない夜のネアポリス、多数いる従業員をまとめ上げ、毎月なかなかの金額を売り上げるナイトクラブ―――その経営を任されているユウリにも興味があった。

 まだ年若い外国人であるというのに、まったく彼女は良くやっている。整った顔立ちと恵まれたプロポーション。経験を重ねたその表情は穏やかで、露出は少ないながらも、白いうなじが誘うようにしっとりと襟から覗いている。
 色気を孕んだその瞳で見つめられると胸の奥がゾクゾクする。はっきり言って、ユウリはジョルノのストライクゾーンど真ん中であった。

 営業時間外の、狭く静かな店内に二人きり。数人いたホステスたちはジョルノが来てすぐに、送迎車に詰め込まれて帰宅した。
 他愛のない世間話や、これからの予定や予算など仕事の話をして、グラスの中身が無くなりそうなことに気づいたユウリが「もう一杯いかがです」と席を立ったが、
「あ、いえ、もうそろそろ帰ります。あなたも店を出たいでしょう」
 ジョルノはやんわりと断った。

「そうですか? なんのお構いもできず申し訳ありません」

 ユウリはといえば、組織の頂点でありこの店の大元でもあるこの少年に対し、まずまずの好印象を抱いていた。
 こんな夜更けにアポなしで訪問してきたことはマイナス1億点を付けてもいいが、それにしても彼は好青年であった。物腰柔らかで上品、まだ年端もいかない少年だというのになんともいえない貫禄と凄みがある。どんな経緯でこのギャング組織のトップに登りつめたのかはわからないが、そこに触れてはいけない気がした。

「ユウリさん。そういえばこのカクテル、すごく美味しいです」
「お口に合ってよかったわ。こんな時間までお勤めなんですもの、疲れているでしょう」

 優しい。絶対にまた来よう…とカクテルを飲み干そうとしたとき、ジョルノの腹の虫がグゥ、とひと鳴きした。
「あっ」
 ジョルノは顔を赤らめて、咄嗟に腹を隠した。
「す、すみません。忙しかったもので…今日の昼から何も食べていなくて。恥ずかしい」
「まあ」
 ここにきて初めて見せた子どもらしい表情に、ユウリの母性本能がキュンと疼いた。

「ボス、もうすこしお時間はありますか?」
「…? はい、今日の予定はもうなにも」
「よかった。それじゃあ少し待っていて」

 そう告げるとユウリはキッチンへと消えた。もしや、と思っていると香ばしい良い匂いが漂ってきて、ジョルノはそわそわした。
 程なくしてユウリが戻ってくる。

「どうぞ」持っていたトレーをテーブルに置いた。「簡単なもので恐縮ですけど」

 それは謙遜ではなく、ボロネーゼとサラダ、エリンギと豚肉のバター炒め。本当にごくシンプルなものばかりだったが、空腹のジョルノにはたまらなかった。

「いいんですか。ありがたくいただきます」
「どうぞ召し上がって」

 ユウリの料理の腕はなかなかのものだった。聞けば、この店にもコックはいるが、手が空いたときには彼女も厨房に立つと言う。
 人に手料理を振舞ってもらうなど久しぶりだ。幼少期から母の愛情を欠いていたジョルノである、こういったことには自分で思う以上に飢えていた。

 自分が作ったパスタを美味しそうに頬張るジョルノをにこにこと眺めていたユウリだったが、その頬がソースで汚れていることに気づき、ハンカチを取り出した。

(こうしていると、弟か甥っ子の世話をしてるみたい)

 そんなことを思いながら、ハンカチでそっと頬を拭いてやる。

「あっ」
「じっとして。…はい、取れましたよ」
「………」

 ジョルノは動かない。向かい合った状態で、呆けた顔をしてユウリを見つめる。

「…どうかしました?」

 不思議そうに見つめ返すユウリの右手を、
「あの、」ジョルノは反射的に両手で握りしめた。
 宝石のような翠眼に、きょとんとするユウリの姿が映し出されている。ジョルノは今までに体験したことのない、不思議な高揚感を覚えた。胸が高鳴っている。そして、その衝動のままに口を開いた。


「あなたに恋をしました。結婚して下さい」

 ユウリは今度こそひっくり返った。





2013.03執筆
2019.02.20加筆修正
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