03 なんだか良い匂いがして、ナランチャは目を覚ました。 「ブチャラティ?」 無意識に、その名を呼んだ。見覚えのない部屋だった。 「起きたのね」 足音がして、ドアからユウリが顔をのぞかせた。 「残念ながらブチャラティはここにいないわよ」 ユウリ。ずきっ、と鋭い痛みがこめかみに走り、ナランチャは顔を顰めた。そうだ、俺は雨の中、ユウリに会いに行ったんだ。 頭痛が治らなくて、左目が痛くって、くすりを、もらおうと思って。ユウリのところへ行って、知らない車からユウリが降りてきて―――、 …ああ。 降りしきる雨の中、ただ立ち尽くし、傍観することしかできなかったあの光景を思い出し、ナランチャはぐしゃぐしゃと髪を掻きあげた。 何をこんなに苛ついているんだろう。ユウリが男好きだなんて、はじめからわかっていたじゃあないか。パーティで沢山の男たちに愛想を振りまき、体じゅう撫でまわされているところだって見た。はじめから、わかりきっていたことなのに。 「ここ、どこ」 持ちうる限りの無愛想な声で言った。それを察してか、ユウリは子どもを宥めるような口調で、私の家よ、まだすこし熱があるみたい、と、ナランチャの額に手をのばした。 熱? と疑問に思ったが、額にふれるユウリの手がひんやりと冷たくて、とても心地よかったので、ナランチャは特になにも言わなかった。 ユウリの家。診療所ではなく、ユウリの部屋。良い匂いがする、と思ったのは、焚き込められたアロマオイルだろうか。ふかふかのベッドや枕、清潔なシーツは、驚くほど生活感がなかった。殺風景というほどではないが、部屋には余計な物や家具が一切置かれていなかった。 「ただの風邪だと思うけど。古傷が悪さをしてるみたい」 華奢な指先が額から下りてきて、左のまぶたにふれる。古傷、とユウリは言った。むかし左目を病んだことは、ユウリは知らないはずだ。 「すこし腫れてる。痛いでしょう」 ユウリがベッドに膝をつき、ナランチャの体を跨ぐ。 少し眠った所為か、あれほどナランチャを蝕んでいた頭痛はすっかり軽くなっていた。けれどユウリの両手が頬を包んだとき、まるで思い出したかのように、左目がどくん、と音を立てて痛みだした。 「…お、おれ、こんな、つもりじゃ」 ベッドの上、見つめ合う。両の頬を白い手のひらで包まれたまま、しどろもどろにナランチャは言う。 「こんなつもりって? どういうつもりで私のところに来たの? エッチなことして欲しかった?」 ちがう。そんなんじゃあなくて。頭が痛くて、くすりが欲しかっただけなのに。怒っていたはずなのに。―――怒って、いた?おれはどうして怒っていたんだっけ。 ユウリは男をだめにする。ユウリのせいだ。普段はこちらの都合などおかまいなしに精を搾取する淫魔のくせに、弱っているときはこんなにやさしい顔をするなんて、そんなの、ずるい。 「頭、痛くて。くすりが、欲しくて」 「薬」 見つめ合ったまま、ユウリが首を傾げる。それから悪戯っぽく笑って、 「私のスタンド能力を忘れた?」 ユウリはゆっくりと目を瞑り、キスをした。 「…ン」 やわらかい唇。毒のような熱が、ナランチャの中に入り込み、頭の奥をぼうっとさせる。 「ユウリ」 左目の奥の痛みも、雨の中目撃した光景もなにもかも、頭の中で溶け合って、そして消えた。 了 2013年/2019.02.25加筆修正 |