子犬の革靴 肌寒い朝だった。ナランチャが目を覚ましたとき、隣にユウリの姿はなかった。眠りに就く前は確かにそこにあった温もり。それは、今ではもうすっかり消え失せていたが、かわりに、丁寧に包装されたプレゼントボックスが置かれていた。そこでようやく、ナランチャは思い出す。 そうだ、今日はナターレの日だ。 「…ってコトは、これって俺へのプレゼントォ!?」 ナランチャは勢いよく飛び起きた。頭の奥がジンジンする。動揺していた。その動揺がやがて感動に変わり、ナランチャの鼓動を速くする。 ナターレにプレゼントを貰うなんて、なん年ぶりだろうか。もう、最後にサンタクロースが訪れた年すら覚えていない。 唯一、記憶しているのは、当時流行した飛行機のラジコン。そのオモチャを貰ったということだけだ。 幼い日に、サンタクロースに貰ったラジコンはもう壊れてしまったけれど、『エアロスミス』と呼んでいる彼のスタンドヴィジョンは、かつて愛したその玩具に酷似している。 ナランチャは、自分が裸だということも忘れて夢中で包みをあけた。ばりばりと豪快な音を立てて包装紙を剥がす。 期待と焦りと喜びがごちゃ混ぜになっていた。プレゼントボックスに入っていたのは、チェスナットカラーの革靴だった。エドワードグリーンのバークレイ。ずっとナランチャが欲しがっていたやつだ。 どくどくと心臓が跳ねて五月蠅い。ナランチャは、頬が緩むのを抑えきれない。 嬉しかった。大袈裟でなく、半ば、感激していた。 ユウリがいるであろうダイニングへ飛び出そうとしたとき、ガチャ、と音を立てて寝室のドアがひらいた。 「あら、起きてたの」エプロン姿のユウリだった。 「ユウリ〜」 主人を見つけた子犬のように、ばたばたと駆けていくナランチャ。そしてぴったりと勢いよく引っ付いた。 「わ、わっ」 ユウリは驚きながらも受け止める。豊満な体がよろめいた。 「ユウリ、ありがとなッ。俺、俺、すっげえ嬉しーよッ」 首にまわした腕の力を、ぎゅうう、と強める。苦しかったけれど、ナランチャのあまりのはしゃぎように、ユウリは何も言えなかった。喜ぶだろうとは思っていたが、まさかここまで喜んでくれるとは。 まったく、サプライズのしがいのある子ね。ユウリは、肩甲骨の浮き出た華奢な背中に腕をまわした。 「ナランチャが良い子にしていたから、サンタさんが来てくれたのよ」 「あ!? なんだよそれっ。子ども扱いすンなよォ〜っ」 拗ねた口ぶりに、ユウリはごめんごめん、と気のない返事を投げかける。 「ふふ、こんなに喜んでもらえて、私も嬉しいわ。大切にしてね」 「ああ、もちろんだよッ。俺、てっきりお前のことだから“プレゼントはワタシ”とか言うと思ってたぜ!」 そのパターンも考えていたユウリは、ぎくっとする。 「や、やーね。そんなコトするワケないでしょ。私を何だと思っているのよ」 年中発情期の淫魔だと思っている。ナランチャはそう言いかけてやめた。 「それはそうと、服くらい着なさいよ」 「目のやり場に困るわ」ユウリはベッド脇に転がっていたガウンを投げて寄越した。それをのろのろと羽織っていると、「朝ゴハンできてるわよ」と続けざまに声がした。 「今日はブチャラティたちとパーティなんでしょう?あんまりハメ外し過ぎたらダメよ」 他人事のように言うユウリに、ナランチャはえっと声を上げた。 「なんだよ。お前、来ないのか?」 「なに言ってるのよ。行かないわよ。そんな、アナタたちのトコに水差すわけにいかないでしょ。だいいち、私、仕事があるもの」 カトリックの国イタリアでは、本来、ナターレとは家族と過ごすイベントである。家族などいないに等しい、寂しい少年時代を送ってきたナランチャにとって、仲間たちと過ごすナターレがどれだけ特別なものか…、ユウリは痛いほど理解している。 仕事があるというのは決して嘘ではないが、わざわざ彼らの中に割り込む気には、ましてやナランチャから彼らとの時間を奪う気には、とてもなれなかった。 しかし思いのほか、ナランチャの表情は浮かなかった。面白くなさそうに眉間にしわを寄せ、つんと唇を尖らせている。そして出てきた言葉はさらに予想外なものだった。 「なンだよ、それ。そんなコト言って、お前、他の男と会うつもりじゃあねーだろな」 「は!?」ユウリの声が裏返る。「今さらなに言ってんのよ。仕事だって言ってるでしょ」 「それならイイけどよォ…」 珍しいこともあるものだ。ずいぶん長い時間を、ナランチャと一緒に過ごしているけれど、彼がユウリに対して独占欲の片鱗を見せたことなど数えるほどしかない。 もう!ナランチャったらヤキモチ焼いちゃって、可愛いんだからあ!と、ユウリの口元はだらしなく緩む。 「うわ、なにニヤニヤしてんだよ。気もち悪ィー」 「だ。だって…」 「ったく、ほんとお前って気の抜けるヤツだなーッ」 そんなこと、ナランチャにだけは言われたくない。そう思っていると、ナランチャはビッと人さし指を突きつけ、言った。 「とにかく、俺、夜になったらまたお前ンち来るからなっ」 「え!? ど、どうして? ブチャラティたちは?」 「ブチャラティのトコももちろん行くよ。でも、夜になったら絶対お前ンとこに行く。パンドーロでもパネットーネでも好きなもん買ってやる。だからホラ、鍵くれよ」 強引な申し出に、ユウリは驚きを隠せない。 この少年が誰よりもブチャラティを慕っていることを知っている。敬愛するギャングスターとのパーティを抜け出してまで、自分に会いに来てくれるだなんて。 どうしてそこまで、とユウリは口にした。「だってよォ」さも当たり前のような顔でナランチャは答える。 「ナターレの夜に、お前を一人にしておけるワケねえだろ」 心臓を鷲掴みにされたような心地がした。一瞬、頭の芯がスッと冷えて、それから急激に体温が高くなっていく。骨抜きにされる。末恐ろしい少年だとユウリは思った。 了 2012.12.03 |