3.不器用な彼を許してください。 ―――できてるじゃない! 思わず叫んでしまった。教室に、他の生徒たちがいなくて良かった。 空条君がかったるそうにこちらを見上げる。彼の体躯に、学校用の机と椅子は大きさが見合っておらず、なんだかちぐはぐな光景だった。 「ちょっと空条君、どういうことよ!」 「あ?」 「全部できてるじゃあないの。どうして…」 どうしてテストは赤点だったのよ。 赤点者だけに課される補習授業。そのためだけに作った問題プリントを握りしめ、空条君に向かって言った。 補習授業に参加した生徒たちがプリントの問題を解き終え、続々と帰宅してゆく中で、空条君だけが最後まで残っていた。もともと成績の良かった彼がここまで残っているなんて、おかしいと思っていたのだ。 「もう。終わった人から帰って良いって言ったのに」 プリントを回収しながらそうぼやく。 空条君は頬杖をつき、窓の外を眺めていた。今日の空は快晴だ。 「これだけ解けてるのに、どうして本番はダメだったのかしら」 我関せずといった様子の空条君の顔を覗き込み、空いた片手を白衣のポケットに突っ込んだ。 空条君は面倒臭そうにこちらを見ると、 「うるせぇよ」 関係ねーだろと唇の端を歪ませた。 「関係あるわよ!」思わず声が上擦った。「私が担当になった途端に成績が落ちたんじゃあ、キミがよくても私が困るのよ!」 そうなのだ。今学期のはじめ、空条君たちのクラスを担当していた化学の教員が階段から足をふみ外し、全治三ヶ月の大怪我を負ってしまった。 そこで、同じく化学教師である私が、彼の受け持っていたクラスも担当することになったのだ。 幸いなことに、三年次からは化学の授業は選択制なので、仕事内容的には余裕があった。あとは先生が退院するまで、生徒たちの学力を落とさないことだ。 (そう思ってた矢先にさあ…!!) 赤点の生徒たちはまあ、軒並みいつもの顔ぶれだ。しかし空条君は、不良のレッテルを貼られているとはいえ、特に勉強しなくともある程度の成績はキープできている天才肌。私の担当する化学だけが落第点だなんてそんなこと、私の教師としての沽券に関わる問題なのだ。 「ンなこた知るか」 そりゃあそうだろうなと思っていると、ぐっと腰を引き寄せられ、声すら上げる暇もなく、口づけをされる。 強引なキスは嫌いじゃあない。けれど、立場上そう易々と受け入れるわけにはいかず、 「やめて…空条君」 そう言って彼から距離を置いた。空条君は苛立ったような顔をした。 「テメーは」じり、と距離を詰められる。「いつもいつも…体裁ばかり取り繕いやがって」 彼の席は窓際だ。私はあっさりと追い詰められた。 胸倉を掴むような勢いで、空条君は私の髪のたばを手にとり、握る。 普段、恐ろしいほど冷静な彼が、どこか焦れているように見えた。その理由が、ぼんやりとだが私にはわかる。 ずるい大人だと言われても良い。けれどわかって欲しい。感情だけで全てを捨てて行動できるような若い時期は、私はもう、とうに過ぎてしまったということ。生きていく上で、体裁を取り繕うのも大切だということ…。 「あのね、空条君」 彼の大きな手に、右手を重ね、空いている左手で彼の頬を撫で下ろす。切れ長のアイホールをふち取る濃いまつ毛がひく、とふるえた。 「大人を困らせるもんじゃあないわ」 ………こんなことしなくったって、一緒にいてあげるのに。 二人、取り残された教室で、穏やかな風が吹き抜けてゆくのを感じながら、私はそう囁いた。 了 2013.07.11 |