sink into oblivion01
 防音、防弾に長けた二重扉が、重々しい音を立てて開く。そこから姿を現したのは、青白い額に脂汗を滲ませたペッシであった。リビングでニヤニヤとポルノ雑誌を読んでいたメローネは、手伝ってくれよォ、と言う、彼の只ならぬ気配を感じ、顔を上げた。

「どうしたんだい?それ」

 しかし、ペッシを気にする様子もなく、メローネは、彼の背でぐったりと四肢を投げ出している女を指差した。未だ余韻が残っているらしく、勃起したままのメローネに、ペッシは思わず後ずさる。

「ペッシィ!!どけッ!」

 その背後から姿を見せたプロシュートに、メローネは思わず吹き出しそうになる。いつものようにドスのきいた低音で凄んでいるものの、その腰は老人のようにくの字に曲がり、震えを来し、まさに立っているのがやっと、といったところだ。メローネはここぞとばかりに、彼の平らな尻をまさぐりながら、肩を貸してやった。舌打ちするプロシュートの奥で、ペッシが乱暴に女を放り投げているのが見えた。

「一体、何者だよ。彼女」

 静まり返った薄暗い室内に、二人の荒い息遣いが響く。床に横たわったまま動かない女を、死んでるの?とメローネが目線で問う。

「…いや、殺しちゃあいねえ」
「ふーん…それにしてもひどい顔だな」

 死体のように青い肌をした、若い女だった。目隠しをされ、口には、彼女自身のものと思われる、淡い色のショーツを捩じ込まれている。おまけに、乾きかけの赤黒い血液が顔じゅうに飛散しており、彼女の表情は伺えないが、十中八九、恐怖と苦痛に泣いているだろう。先ほどまで読み流していた雑誌の、SMページを思い出し、言葉とは裏腹に顔が笑った。

「チッ…」
「兄貴ィ…」

 ペッシが言うに、彼女は、プロシュートが街外れのバールで引っ掛けてきた女らしい。名前はユウリ。本名かどうかは、定かではない。プロシュートが、人形のように小柄で愛らしい美少女よりも、あたかも誘われるのを待っているような、あざといくらいの美女を好んでいることは、ペッシもメローネも知っていた。彼女もまた例に漏れず、肉体美を自覚したような、大胆なスリットの入った危ういワンピースを至極当然に着こなしていた。

 忌々しげにユウリを見下ろすプロシュートの首筋や肌蹴た胸元には、彼女が付けたものと思われる、真新しい鬱血の痕が点々と浮かんでいた。どこまでやったんだ、などと、無粋なことは口にしない。彼女の股座からは、嗅ぎなれた青臭い匂いがぷんぷん漂ってくる。顔も声も性格も、更には性癖さえ違っても、精液の匂いはどんな男も皆同じなのだ。

 乱雑に、ユウリの目元を覆っていた布を剥ぐ。見覚えのある柄だ。プロシュートのスカーフだった。改めて、露わになった顔を見てみれば、予想外にも、彼女に泣き喚いた形跡はなく、アイメイクも崩れていない。彼女は、血まみれの、物騒な肌に似つかわしくない、安らかな表情で眠っていた。もしかしたら、気を失っているのかもしれない。

「なかなか、美人じゃあないか。何が気に入らなかったんだか」

 血の気はないが、絹のようにきめ細やかな肌に、いつまでも鼻血をこびり付かせておくのはナンセンスだ。メローネは、彼女の頬や唇に点々と付着したそれを、親指の腹で拭ってやる。彼女の頬で凝固した血液は、水気がなく、ざりざりとして砂っぽい。

「ん…」

 自身に触れる生暖かい指先に、反射的にユウリが身じろぐ。

「…ペッシ。下がってろ」

 プロシュートとペッシに緊張が奔る。敵と対峙したときと同じ剣幕で、バツ、と銃を構えるプロシュートに、メローネは困惑しながらも、目元を細めた。

「よくわからないけど、楽しそうだな」
「うるせぇぞ。メローネ、こいつはな。 ………ヴァンパイアだ!」

 荒々しいその声と同調するかのように、ユウリは覚醒した。瞬間、乾いた銃声が辺りに響く。肉付きのよいユウリの肢体が、電気ショックを与えられたかのように大きく跳ねた。プロシュートの放った弾丸は、的確な軌道を描き、ユウリのこめかみを撃ち抜いた。

「見てろ。メローネ」
「!」

 彼の真意はすぐにわかった。銃弾に貫かれ、ドクドクと流血する彼女の横面は、凄まじい速度で再生していき、最終的に弾丸を床へ落として塞がった。一、二、と数える間もなく、三人の目の前で、その瑣末は繰り広げられた。

 ユウリ本人はと言えば、苦痛に暴れまわることもなく、しかし塞がれた口元から、くぐもった呻き声を上げていた。むぐ、と、表情を引き攣らせながら見上げてくる、潤んだ瞳がメローネの嗜虐心を刺激する。

「驚いたな…」
「こいつは不死身だ」
「…ずいぶん、非現実的だな。スタンド使いじゃあないのか」

 その当然の疑問を打ち消すように、プロシュートは静かに首を振る。

「俺のグレイトフル・デッドも、ペッシのビーチ・ボーイも見えていなかった。こいつはスタンド使いじゃあない」

 見ろ、と肌蹴させたプロシュートの首筋には、虫さされのような、小さな刺し傷が二つできていた。

「…マジ?」
「噛まれてもイイってんなら、口ん中ァ見てみろよ」

 言われるがまま、上唇を捲ってみる。そこには、彼ら人間の決して持ち得ない、発達した白い犬歯が不自然に生えていた。見慣れないそれは、薄ぼんやりとした闇の中でも不鮮明に浮かび上がり、どこか病的で、ひどく、獣じみていた。

「大口開けて笑わねェ女だとは思っていたんだ」
「へえ…それで、まんまとやられちゃったってわけ」

 珍しく一杯食わされたプロシュートが、面白くて仕方ないのだろう。ペッシが睨んでくるのも構わずに、メローネはニタつきながら、彼の傷口を引っ掻いた。

「でも、どうして連れて来たんだよ」
「…どこの組織のモンかも知れねえからな。全部吐かせる」
「自白剤は」
「もう盛った」

 僅かに顎を上げ、ペッシに目配せする。ペッシが、彼女の口の中から、おずおずと体液まみれのショーツを引き抜くと、ユウリはむせ返り、止めどなく、涎を床に伝わせた。

「くっくっ…プロシュート。お前の方がよっぽど、クスリでもキマッてるように見えるぜ」
「うるせえ。おい…ユウリ。これが何本かわかるか」

「うっ」根元から思い切り前髪を鷲攫み、顔を上げさせると、プロシュートは、ユウリの目の前に人差し指を付き立てた。余程激しい暴行を加えたのだろう、それは、彼女がイカれていないかどうかの確認だった。

「…一本…」

 絞り出された彼女の声は、思いの外低く、掠れていた。出来の悪い犬を褒めるように、よし、とプロシュートは続ける。

「ユウリっつったな。これは、本名か?」
「ええ…」
「どこの組織のヒットマンだ。俺の命を狙っていたのか?」
「何の話をしているの…?意味がわからないわ」

 だんだんと、その声明は、輪郭を露わにする。上半身を起こし、ユウリは、うっとりとプロシュートを見上げた。抵抗する様子も、逃げ出そうとする素振りもなく、淡々とその質問に答えていく。

「お前は何者だ?」
「あなた達、マフィアなの?ドラマみたいね」
「余計な口を挟むな。俺の質問に答えろ」
「そんなに、怒らないで…。ふふ。私は、そうね…強いて言うなら未亡人ってやつだわ」

 つい先月、旦那が死んだの。そう告げ、ユウリは目を伏せた。

「お前が殺したのか?」
「違うわ。交通事故よ。あの人は、私に血を提供してくれる最高のパートナーだった。愛していたの」
「そんなことはどうだっていい…お前のボスは誰だ?」
「…ボス?…そういう人は確かにいたけれど、もう十年以上も昔に死んでいるわ」
「そいつの名は」
「DIO」
「知らねえ名だな…俺を襲ったのは誰の差し金だ」
「誰でもないわ。私が勝手にあなたに誘惑されただけ」
「………」
「あ、兄貴ィ…」

 ペッシが不安そうな顔で二人を見ている。それもそのはず。パッショーネを脅かす刺客と思われた謎の女は、自白させてみれば、何の後ろ盾もないただの化け物だったのだ。プロシュートの顔から、次第に怒気が消えていく。それは、彼女に対する興味を失っていくようにも見えた。

 彼の代わりに、ユウリを質問攻めにしたのはメローネだった。お下がりの玩具を貰った子どものように、生き生きと、ユウリの身体を撫で回しながら口を開く。

「綺麗なブロンドね」
「グラッツェ。きみもなかなか」

 他愛のない会話が続く。プロシュートは無言のままソファに腰を下ろした。ペッシの持ち出したブランデーには手を付けず、トニックウォーターにライムを搾った。眼下の二人を見下ろしながら、喉を鳴らしてそれを飲み下す。

「なあユウリ。俺の血も飲んでみる?」
「ふふ…結構よ。さっき彼の血を頂いたから」
「小食なんだな」

 自白剤のおかげか、それとも、はじめから隠すつもりもないのか。ユウリは驚くほど素直に、メローネの質問に答えていった。

「出来損ないらしいから、私」
「ふぅん…?」

 十年以上も前、ハネムーンで訪れたエジプトで、彼女は吸血鬼となったらしい。彼女曰く、それは、DIOという男の、ほんの気紛れに過ぎなかったのだという。

 半ば拉致されるような形で、人外の力を与えられたユウリだが、彼女は、DIOの理想とする吸血鬼の姿とは遠くかけ離れていた。彼女は、肉体こそ不老不死となったものの、戦闘においては、ただの人間と何ら変わりはなかったのだ。

 超人的な身体能力もない。スタンド能力も発現しない。自身の糧とすることも叶わない。DIOはやがて、彼女に対する興味を完全に失った。

「あの場から生きて帰って来れたのは、最高にラッキーだったわね」

 彼女は言う。自分にとってもう一つラッキーだったのは、人外と化した自身を、夫が変わらず愛していてくれたことだ、と。彼は驚き、悲しみこそしたが、自らを餌とすることで、妻を生かすことを誓ったという。

「彼の血は、そんなに美味しくなかったけれど…嬉しかったわ」
「いい話じゃあないか」

 くつくつと漏れる笑い声は、メローネのものであり、プロシュートのものでもある。心にもないことを言っているメローネが可笑しいからだ。

「人を殺したことは?」
「夫が死んでから、一人…。とてもお腹がすいていて、加減ができなかったの」
「それはお気の毒」

 夫が他界して以来、彼女は、夜ごと街へと繰り出し、好みの男を選んでは、食事に及んでいたという。彼女は吸血鬼の中でも特異体質であり、食事は微量の血液で事足りる。致死量まで吸血したのは、その一回きりだけだ。また、これは、DIOもそうであったかはわからないが、彼女の吸血行為そのものには媚薬効果も含まれており、彼女に牙を突き立てられた人間は皆、恍惚とした浮遊感覚に襲われる。プロシュートの足腰が立たなくなったのはそのためだ。

「吸血鬼といえば…やっぱり十字架が苦手なのかい」
「いいえ全く。人間と同じように食べ物はなんでもおいしいし、酒や煙草も嗜むわ。心臓に杭を打たれても死なないし、弱点といえば太陽光くらいよ」
「へえ…」
「だから。私を始末したければ、夜明けとともに、外へ放り出すといいわ」
「おいおい、ずいぶん被虐的だな!」
「そんなことないわよ。プロシュートははじめから、そうするつもりみたいだし」

 ねえ?と言う彼女につられ、メローネはプロシュートの方を向く。プロシュートは何を言うでもなく、ライムの沈んだグラスを傾け、喉越しのよいそれをぐいと煽った。

「つれないのね…」
「きみの思い通りになったのが嫌なんだよ、プロシュートは」
「本当?ねえプロシュート、お願いがあるの」

 よろりと立ち上がると、ユウリは覚束無い足取りで、プロシュートの足元に膝立ちで腰を下ろした。

「命乞いなら聞かねえぞ」
「そんなこと言わないで。ねえ、お願いよ。どうせ死ぬなら、最後にあなたの血が欲しい」

 まるで神に祈るような姿で、至って真面目に彼女は言う。プロシュートは、拍子抜けするとともに、彼女の付けた傷痕が、僅かに疼くのを感じた。

「プロシュート。あなたの血、最高だったわ。甘くて香り高くて、媚薬みたいだった…こんなに満たされたと感じたのは初めてよ。運命だと思ったの」
「……………」
「でもあなたは、私を殺すつもりで殴ったわ。私、あのとき、殺されてもいいと思ったの。あなたになら。それくらい、あなたの血の味は格別だった」

 次第に、ユウリはソファに腰掛けたままのプロシュートに馬乗りになり、彼の許可を得ることなく、その、白んだ肩口に向けて口を開いた。至って自然な流れで、食事に及ばんとする彼女を引き止めたのは、ペッシの発動したビーチ・ボーイの釣り針であった。胸に食い込む金属の痛みに、嬉々としたユウリの表情が一変する。

「いっ…!!」
「なぁユウリ。男を誘うのに、そんなに饒舌になる必要はねぇ」
「へえ。そのわりに、満更でもなさそうだったじゃあないか」
「メローネ、黙ってろ」

 釣り針に引かれるまま、ユウリの身体は後方に倒れ、派手な音を立ててテーブルに衝突した。

「はぁっ…プロシュート…」

 お願い。苦しそうに呼吸を乱しながらも、彼女は言う。

「プロシュート、いいじゃあないか。血の少しくらい分けてやれよ」
「おい!!お前ッ、兄貴ィがやられるとこ見たいだけだろ!!」

 単純な興味本意から、ユウリのフォローに回るメローネに、珍しくペッシが怒声を上げる。自分に理解を示そうとしていた、この長髪の男が味方でないことは、ユウリ自身よくわかっている。それでも、形だけでも自分の側に付いてくれる人間がいたことは、彼女にとって幸運といえた。

「何も殺すことないだろ。せっかくだし鎖でも繋いで、ペットにしたらいい」
「てめぇ…蛭やモスキートをペットにするバカがどこにいる?」

 煩わしそうな視線をペッシに向け、顎を引いてみせると、ペッシは遠慮がちに、ビーチ・ボーイの能力を解除した。ユウリの悲鳴が不快だったのだろう。死なないくせに、人並みに痛みは感じるんだな、と、皮肉めいたことを、数時間前にもプロシュートは言っていた。

 ユウリの胸を苛んでいた、見えない釣り針の痛みが消える。肉体は瞬時に再生していくが、それはしくしくとした疼痛を伴い、ユウリは僅かに眉を顰めた。

「ペット…いいわね」

 そして咽返りながらも彼女が絞り出した言葉は、甚く倒錯的なものだった。弧を描いた唇の端に血が伝う。その鮮やかな朱色は、彼ら人間のものと、何ら変わりなく見えた。

「プロシュート。私、きっと役に立つわ。何でもする…」
「勝手に吹いてんじゃあねえぞ。そう簡単に、得体の知れない女を囲うと思うのか」
「でも、面白そうじゃあないか。吸血鬼なんてそうそうお目に掛かれるモンじゃあないし、すぐ殺すには惜しい…。どうせ今すぐ殺す理由もないんだろ?」
「かと言って生かす理由もねえな」

 メローネは、テーブルに乗ったブランデーの栓を抜き、喉元で天井を煽ぐように口付ける。

「そんなに要らないなら俺にくれよ」
「…ダメだ。ろくでもねえガキが生まれる」
「クックッ…だぁよなあ」

 アルコール度数は高くないが、その甘味ゆえに喉が焼ける。二人のやり取りを、ユウリはぽかんと見過ごした。メローネのスタンド能力を知っていたなら、きっと青ざめていたことだろう。

「プロシュート…お願いよ。こんな姿になっても命は惜しいの」

 ユウリは決して無垢ではないが、その実、とても素直な女だった。女の武器を最大限引き出したような美貌で、従順に許しを請う姿はまさに悪魔のようだ。
 再び熱を持ち始めた首の傷口を、プロシュートは無意識のうちに撫で上げる。そのまま、ゆっくりと吐き出した言葉に、誰よりも驚いたのはプロシュート自身であった。

「…一週間で答えを出してやる」

「そう」悪魔が微笑む。ソファに上り、緩やかに凭れ掛かってくるその肢体は驚くほど冷たく、柔らかでそして、甘い香りがした。



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