カヨウは、アマネが街に出かけ珈琲と茶菓子を口にしたこと。帰ってからの夕餉も、多くはないが少し口にした。何も食べず拒んでいた時に比べればかなりの進歩とも言えた。
国の活気な様子に充てられたのだろう。今は長らく苦しんできた水の乾きから解放されたばかり、常に騒がしい王都もここ数日はずっとお祭り騒ぎだった。

それを齎したのは、王である自分ではなく幼い神などと呼ばれた少年で。

カヨウが今、王として求められていることは一刻も早くアマネと身体を交わり、雨を鎮めること。耳にタコが出来るくらいには口うるさく言われたこと。
だがその前にしなければいけないこと。それはカヨウが一個人として、アマネの物を壊したことへの謝罪。言い訳もなく、カヨウ1人が悪くアマネには何の非もない。誰にも言えないが、内心忸怩たる思いがあった。

カヨウが最後に口にした謝罪はどれほど前だろう。
ーーあれは、確か。
カヨウが王位を継いだその日、カヨウは王家の王位争いへの謝罪を国民すべての前で行った。低く頭を下げた。それがカヨウが王となって初めて行った行為。そして同時に国民の前で二度とこんなことは起こさないと決意した。

あの日以来。
そう、謝罪など口にするものじゃないと教えられた。自分に非がある時だけ、そうでなければ胸を張れと。あの日以来、カヨウは謝罪を一度もしたことがない。頭も下げない、ただ国民への償いと国の栄華のためにその玉座に君臨している。

ーーすまない。
その一言を口にしなければいけない。何度も心の中で唱え、音には出さず息だけ吐いて唇を動かす。
簡単なことだ。街を見たアマネはようやく食事に手をつけ、前を向く準備をしている。この機会を逃すわけにはいかない。

カヨウはようやく自室を出ると、アマネに用意された場所まで足を進め、その戸を開けた。

テーブルのそばには、いない。ここにいるだろうと思ったベッドの上にもいない。
ゆっくり部屋を見渡し、ようやく窓際のカーテンの陰に半分隠れた人影を見つけ、知らず知らずのうちに息を吐いた。

白い肌は何度見てもカヨウには奇妙なものに映る。歴史書の中に描かれた人物像は、そこにしかないもので実際に見ると違和感の塊にも思えた。
この国で黒は禁色とされて、黒を身に纏う人間は国中探してもいないだろう。同時に白い肌も見ない。
アマネという神にのみ許された色。

ーーそれが、こんなにも脆い男の正体。

入り口からでも、カーテンの奥に隠れた痩せた体躯は覗き、それが余計に罪悪感と庇護欲を煽る。
あんな身体のどこに、一体どうやって天候を変えるほどの力を宿しているのか。カヨウは頭に様々な疑念を浮かべながら、部屋へと踏み入った。

「何を見ている」

テンルイ宮は王宮内の後方にあり、窓の外にあるのは美しい庭園が覗く。いつでもアマネを迎え入れられるようにと、このテンルイ宮の内部は住人がいない間も毎日隅々まで掃除され常に綺麗にと保たれている。それだけでなく庭園は王宮専用の庭師の手で整えられている。
確かに美しいが、アマネが見たいものではないだろう、とカヨウは思っていた。

「その、ここから…街は見えないのかと、」
「…ああ」

この王宮内で街を見下ろせる建物はほとんどない。街よりは小高い位置だが、分厚い塀に覆われていて見えるはずもない。
唯一見下ろせるとしたら監視塔。非常時や緊急時のために王宮内や朝廷に併設されていて、敷地内はもちろん街をほぼ見渡すほどに高い。

「見える場所はないこともないが」

見たいのか。その問いが、喉に刺さった小骨のように厄介で、吐き出せそうにない。
少しの時間の沈黙の後、ゆっくりアマネが振り返る。
カヨウは心の中で何度も唱えた言葉を言うために、口を開いた。

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