「…少し歩くが、そこからなら見える」

カヨウの言葉にアマネは顔を見上げ、強い視線とぶつかるとすぐに顔を俯かせる。
迷ったのは一瞬で、視線はそのまま「見たい、です」と小さな声で返す。聞き逃すほど小さかった声を、カヨウはしっかりと拾い上げ安堵の息をつく。ここで拒まれたら、一生この国に雨が降るかもしれない、と危惧したからだった。そしてただこの男に拒まれなかった、その事実にも。

部屋を抜け、カヨウとアマネを不安げに見つめるスイショウの横を通る。広い廊下をお互い言葉なく進み、アマネは時折庭や建具の意匠に目を奪われながらも、カヨウの背中を追う。そうして着いた先は、広い部屋。その真ん中には大きな机と椅子。部屋そのものは物が少なく質素に見えるが、その机と椅子は古くしかし手入れが行き届いた装飾の凝ったものだった。

「ここは執務室だ…代々、王位を授かったものたちはここで街を見下ろしながら執務をする。守るべきものが何か、常に忘れないために」

椅子の後ろの窓に手をかけたカヨウは、ゆっくり開く。静かに降り続ける雨は、風がないため部屋に入ってくることはない。カヨウの視線に促され、しずしずと近づき、その窓から外を覗き込む。

「……」

街を一望出来る。全ての道がこの王宮まで続き、人々がそこで暮らし過ごしている様子も。雨なのに活気づく街に、目を奪われ言葉を失うアマネ。
確かに、街が息づいていた。
いつもと違う、目をいっぱいに見開いてその黒い瞳に景色を映す。自分がこの手で建て直した国を、この国のどこにもない色の瞳で捉えている。カヨウは神秘的だ、と思った。美しい、とも。

呆然と見つめるアマネの横顔を見つめながら、口を開く。

「…すまなかった」

吹き込む風に消えそうなくらいに小さな声になったことに、カヨウ自身驚いた。聞こえていないかもしれない、と一瞬思ったがアマネはぽかん、とした顔でカヨウを見つめた。
さっきまで、街を映していた目が今度は自分の姿が映り込んだことにカヨウは言葉にならない想いを抱いた。歓喜だった。宝石よりも美しく輝く神の色。この色がどれほどの価値なのか、目の前のアマネは一生理解が出来ないのだろう。

「あの…お、俺も…失礼なこと、言ったし、酷いことも…」
「…あのような罵詈雑言は言われて当然だ。お前の意思も聞かず国のためにと強いたのだから。ましてや、お前の大事なものまで壊してしまった」

カヨウ自身焦っている自覚があった。長い時間をかけ、この国と民がようやく地獄のような状態から抜け出して数年。そんな我が子のように大事にしてきた国を、雨を降らすという行為だけで神聖化される存在に簡単に奪われる気がしていた。
自分は子供のようではないか、と今更恥じた。アマネは、自分が建て直した国をこんなに真っ直ぐ見つめるような人であって、国を奪うようなおぞましいものではない、と出会ったその時から分かっていたというのに。

「あの、…俺に出来ることがあれば、し、します。せ、せ、せっ…くすはちょっと、今すぐは無理、だと思いますけど…」

今すぐどころか未来永劫出来る気はしないんですが…と思ったが、アマネは言わないことにした。しなくたって何とかなるかもしれないと一縷の望みにかけることにした。
カヨウは、ああ、と肯く。強引に身体を繋いだところで、伝承通りになるのかも分からない。最後のアマネの出現は遥か昔なのだから。ましてやアマネの気分次第で天候が大荒れする可能性もあるため、今はこの静かな雨のまま様子が見たいとカヨウは考えていた。

「いずれはその時が来るかもしれないが、急は要さない。アマネの意思をなるべく尊重する」
「お願いします…」

アマネはほっと胸を撫で下ろす。自分の中の蟠りが、悩みの種が一つ消えた気がする。良かった、と露骨に安堵で顔を緩めるアマネに、カヨウは爆弾発言を落とす。

「ひとまず今日から同衾をする」

ひええ、とアマネは涙を浮かべて、今すぐ逃げ出したくなった。

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