甘い香りと覚えのある匂いが鼻を擽り、引き寄せられるようにそっちを見た。
格子状のガラス窓、店頭に出されたテーブルと椅子。まるでカフェみたい、いやまるでじゃない。
珈琲、と書かれていて現代で見かけたものだった。

「あのお店が気になりますか。お目が高いですね、歴史ある茶屋でして、今は十…何代目か、それくらいなんですよ」
「珈琲って…」
「ああ…この国に来られたかつてのアマネ様が元の世界のものをいくつかこの国でも作りました。そのうちの1つなのです」
「そう、なんですね」

アマネは甘党で、珈琲は好きで砂糖をたくさん入れて飲んでいた。
途端に拒んでいた食事を取りたくなった。珈琲を飲んで甘いものを食べて。
それを見抜いたスイショウさんが「あのお店で休憩しましょう」と微笑んだ。まだ、たいして歩いてないのに。

こくり、と頷くとスイショウさんが先頭に、あのお店に入る。お店の人は振り向いて、スイショウさんの次に入った俺を見て微かに身じろいだ。でも察して、三階の個室に案内してくれた。
店内はやっぱり甘い匂いと珈琲の匂いがする。ちらりと見えたキッチンでは、珈琲がゴボゴボと抽出されるのが見える。

味は違うのかな。少しドキドキしながら、階段を登った先の部屋。一階はカウンターとテーブル席。二階はいくつかの個室と、カウンターが並んでいて、三階は一部屋だけ。いわゆるビップルームというやつかもしれない。当たり前のようなそれに、少し申し訳ないような気持ちになる。
そんなこと言っても何にもならないけど。広いとは言えない、けれど小綺麗な個室の、花瓶のある窓際のテーブルに案内された。
そこから見えた、窓の外の景色。

「……っ、すごい」

嫌な気持ちも気まずい気持ちも、抱えていたもののどれもを吹き飛ばすような街並みが並んでいた。
ほとんどの店が平屋だから、街を見下ろしているようなもの。この景色を一望出来る特別な部屋。
ガラスに指をつけて、額がくっ付きそうになるほど近寄って見てしまう。

街はカラフルで鮮やかで、目を奪われるほどの活気に満ち溢れている。小雨なのに子供が走り回って、はしゃいで、街行く人は誰も彼も笑顔をこぼす。
なんて凄いんだろう。上手い言葉が見当たらないけど。

「素晴らしいでしょう、アマネ様」
「…はい」
「カヨウ様のお力なのです」

カヨウ。国王で、あの夜アイちゃんを壊して俺を襲おうとした男。

「この国が、長い間水を枯渇させていても栄え続けていたのは国王陛下のお力があってのこと」

十三年前、先代国王の突然の崩御から、王宮と朝廷は激しく揺るがされた。跡目争いがその日から始まり、王宮を血で汚し、いくつもの遺体が転がったという。兄弟でありながら殺し合う。欲に駆られた者、死にたくない者、誰も彼も血で血を洗う、そんな地獄絵図。
地獄を見たのは何もそんな王宮の人間ではなかった。争いの影響は王都に及び、各地方はその機能を停止させることになる。

政が正常に機能しなくなり、予てより問題だった水のことは二の次、その結果水分どころか食事すらお互いに奪い合い、物価の高騰と国の崩壊。
そんな日々が3年も続いたという。死者の数はいざ知らず、山にはいくつもの死体が投げられそれを食料にしたのは動物たち。そんな狙いに来た動物たちを狙う人の図が、途方も無く長い日々に続いた。

生き地獄だと口々に口にし、自ら救われるために命を投げた人もいる。

「そんな日々に終止符を打ったのは、カヨウ様。国王陛下であらせられるのです」

言葉がなかった。
アマネは景色をじっと見つめながら、この美しい街並みから人の活気が消え廃れていく様は想像出来ない。

「陛下は当時、七歳。それから三年間、生きた心地がしなかったと、生きていたのが不思議だったと。幼くありながら王という立場をお逃げならず、国の党首として立派に立ち直された」

その結果が、この美しい街と人の笑顔だと言いたいのだと、アマネでも分かった。
同時に思い知らされたのは、王にとって国と国民が全てで、神と呼ばれる自分はどれだけ多くの人に望まれ迎え入れられても、余所者だということだった。

「アマネ様、珈琲の準備が出来ました」

どれくらい魅入っていたのか、掛けられた声にハッとして振り向くと既に湯気のたった馴染みのある香りの珈琲と茶菓子がある。
砂糖まで一緒だ。細い紙の筒状のがいくつも用意されている。

いつもは3つは入れるところを、2つだけにして啜れば少し苦いけれど覚えのある、少しお高いような深みのある味。
飲みながら、また街を見下ろすと王が何よりも守りたい景色が先まで広がっていた。

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