食事は湯気を出さなくなった。一度手をつけて終わった。

腕を持たれて、ベッドの上に強引に寝かされたからだ。全身が恐怖で固まって、ただただ恐ろしい。
どうして、と思わざるを得ない。

こんな世界に投げ出されて、何も分からないまま知らない人と暮らして、ここに連れてこられて、その上男の人と、せ、せっくす、しろなんて。あり得ない。

「いや、です、あの…ごめんなさい」
「余に身を任せよ。さすれば酷くはしない」
「い、嫌だ…っ、離して」

神だなんだと散々崇めたくせに、セックスしろなんて馬鹿らしいにもほどがある。
俺の筋肉のない腕じゃ抗えなくて、のし掛かってくる男の身体を何度も押す。

「…酷くしたくない」
「じゃあ、やめてください…」
「無理だ」

なんで、こんな世界にいるんだろう。目の前の冷たい瞳をした男とセックスするためなら、死んだ方がマシなんじゃないかって。
ニートだったから悪いのかな、いつまでも働かないで家にいたから、バチが当たったのか。

ひたすらに現実逃避したって身体はずっとカタカタ揺れる。柔らかな部屋でいい匂いのする部屋なのに、目の前にいる男のせいで震えが止まらない。

「あまり怯えない方が良い」

無理に、決まってる。震える唇をなんとかひき結んで顔を背ける。それが弱い俺に出来た精一杯の抵抗だった。

着せられた服に手をかけられ、あっさりと解かれる。目の前の男よりずっと痩せっぽっちな白い身体。それが見られるのも恥ずかしくて死にそうだった。

大きな色の違う手が薄っぺらい身体を何度も撫でる。気持ち悪い嫌だ、さいあく。
ただひたすらに耐えてこの地獄のような時間が過ぎるのを待っている俺に、何を思ったのか男は低く笑う。

「簡単に受け入れるか。その方が都合が良い」

受け入れてない。なのにその言葉があまりに辛く響いて、ぶわり、と涙が溢れる。次々と雨のごとく際限がなく、溢れ続ける。どうにか許してくれないか、と男を見上げる。

その涙を優しい手つきで、ぐい、と掬われ、そして俺はもしかしてと思った。話の通じる人だったんだ。よかった、処女喪失は免れそう。

でも、違った。

「あまり泣くな…そそられるだけだ」

服をぐい、と引っ張られてそのまま更に覆い被さってくる。ああ、終わったんだ、童貞卒業の前に処女喪失なんて、笑えない。

そうして何もかも諦めたとき、ぱき、と音がした。

それは俺の心の折れる音…ではない、すぐ耳元で聞こえた音。こんな状況なのにその音のする方へと首を傾けて、俺は凍りつく。

アイちゃん。俺が前の世界から今もまだ持ってる唯一のもの。大事な大事な俺の支え。その可愛いアイちゃんの足がなくなっている。
無残な形になって転がっていた。
多分この人がアイちゃんの上から体重をかけたから折れたんだと思う。関節で外れたとかじゃなくて、綺麗な足のど真ん中から折れている。

うそ、なんで、嫌だ。
それは、俺の大事なもの。俺が大事にして、ずっと持ってたもの。
なんで壊れたの。なんで、なんで。

こいつのせいだ。こいつ、この男。こいつが全部悪いんだ。

気付いたら馬鹿みたいに流れる涙も気にせず、男を睨みつける。

「ふざけんな!」
「何をそんなに泣く」
「お、俺の、大事なもの!あ、あ、あんたのせい!あんたが、壊した!アイちゃん、何も、悪くないのに!」

こいつ、こいつ、最低のやつ。澄ました顔して悪いことしたと思ってない。こういうやつは最低、し、死ねばいいのに。
王様だろうと、関係ない。王様だから奪っていいものでも壊していいものでもない、許されるわけでもない。

目の前が真っ赤になる。

「雨が、止まないのが、こ、まるなら…俺が、死んでやる!こ、ころ、殺せよ、早く!首でも締めて、刺して、いくらでも殺せば、いいっ。雨が止むまで…ッ」

言ってから、怖くなった。本当は死にたくない、セックスなんてしたくない。今すぐ殺されるかもしれない。

だから目の前まで伸びてきた手を叩き落としていた。
そのとき見た男の顔は、傷ついた、みたいだった。こいつのせいなのに、加害者のくせに、なんでそんな顔するんだと殴りたくなった。

「早くしろっ」

それが、見ていられなくて叫んだ。何度も荒い息を吐きながら、ようやく動いた男は部屋から出て行った。
その背中は、入ってきた時より小さく、見える。

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