俺は目の前の人物をおそるおそる見つめる。

見上げるほど大きい背丈、幅のあるガッチリとした体格、その体格に似合う強面の顔。
これだけ学園に生徒がいれば顔も名前も知らない生徒がいるのは当然だけど、こんなにインパクトが強い人なのに初めて見る気がする。

「呼び出してすまない」
「いえ、あの…先輩ですよね?」
「ああ、矢節だ」

思わず釣られて名前を告げると、知ってる、と少しも表情を崩すことなく言われてしまう。
俺も、知ってる。この先輩確か入院していた先輩だ。高等部の期間の殆どが病院生活だと聞いていたけど、いつの間にか退院していたのか。
バスケ部で、体格が抜群に良くて上手かったから今年は優勝狙える、と中等部の頃聞いたことあった。いつの間にか入院していて、そのまますっかり忘れていた。
べたに靴箱に場所を指定した手紙が入っていて、用件は何となく想像出来る。しかしこの人が来るとは思いもよらなかった。

「それで、あの…何の用ですか」
「俺はお前が好きだ」
「へ…?え、?」
「あと3ヶ月で卒業だ。付き合ってくれと言うつもりはない、ただこれの相手になってほしい」

これ、と言われて出されたのはダンスパーティーの招待状。クリスマスのダンスパーティー、一緒に踊る相手を見つけて、その相手にこの招待状を渡す。高等部の全ての生徒にそのパーティーの参加義務があった。俺が予想していた用件もそれだった。告白は予定にないけど。
なんて返そうと言葉を探すも、先に矢節先輩が口を開く。

「返事が欲しい」

一歩距離を詰められる。それだけで何倍も圧力を感じた。そんなに急に迫られても、困る。
同時に、変な思いが浮かぶ。この人はあと少しで卒業する、殆どが病院生活で、高校の思い出なんて2年の自分より少ないであろう人。

幸いにも、ダンスパーティーの相手はまだ決まっていない。

「良いですよ、俺で良ければ」
「良いに決まってる」

了承したのは、同情の気持ちもあった。

それから先輩とは度々会うようになった。先輩は、分かりづらい。怒っているのか笑っているのか、目元にも口元にも感情が出ない。友達にも似たようなのがいるけど、タイプとしては全然違う。
実直、という言葉が似合うほど何もかもがストレートだった。言葉に眼差しに、こちらがあっぷあっぷになるほどの熱を孕んでいる。
好きだ、と告白してきただけある。いつもじっと見られているその視線の熱に、顔を背ける。自分の顔が赤い気がした。

「ダンスの練習をするべきだろうと思っている」

空き教室でそう言われ、それもそうか、と頷く。ダンスの練習はして来たことがないが、先輩は多分恥をかくのは嫌いそうなタイプだ。
ちゃんと練習をしたいと言うことだろう、雰囲気に流され身体を寄せる。
途端にぐい、と引き寄せられ思わず「あっ」と声が出る。
背中の中央に来た大きな掌、それから自分の手を握る大きな手。引っ張るような力にたまらず一歩を踏み出す。

距離が近い。身長差が本当の男女ほどある気がする、目の前には首筋があった。鼓動が変に早い気がする、それが先輩にバレていないと思いたい。

「背が高いですね、どれくらいあるんですか」
「195cmだ」
「へえ、バスケの選手の中だと大きい方なんですか?」
「……この学園では背が高い方だ。プロの選手は2mの選手が多い」

先輩が話すと、先輩の息が頭をふわりと撫でる。それにすら心臓が少し、はねた。

「バスケ部だと知っていたのか?」
「はい。たまたまですけど」
「そうか」

ああ、今のは少し嬉しそうな声な気がする。一緒に過ごす時間が増えて、そんな細かな変化も何となくだが、気付くようになった。

「…好きな人はいるのか」
「今はいません」
「……気になっている人もか」
「…はい」

一瞬、迷って、けれど頷いた。

残りの3ヶ月、先輩は付き合うことは望まなかった。その気持ちは分かる。男子校だからきっと芽生えた気持ちで、大学に行けば当然女性もいて、それを抜きにしても家や会社の見聞を考えて別れる生徒が大半だった。

ぐ、と背中にある手に力が入ってほんの少し上に持ち上げられた気がする。途端に距離がほとんどなくなった。ステップを刻む足がぶつからないようにするので精一杯。

「そうか」

寂しげに聞こえる声は、きっと気のせいだ。



部活に向かう途中、おーいと後ろから声をかけられ振り向くと去年のクラスメートがこっちに手を振りながら走ってくる。特別仲が良かった訳ではない、何度か話したことがあるだけ。名前も浮かばないが、手を振り返す。

「あのさ、聞きたいんだけど」

自分より少しだけ高い位置にある顔。やっぱり先輩は大きいんだと思い知る。
元クラスメイトは見上げる俺に嫌な笑みを浮かべた。

「まだパーティーの相手決まってないだろ、俺立候補しちゃおうかなあって」

変に上から目線に感じるのは何故だろう。いや実際に上からなんだけど、ナメられてる、そんな気がした。

「もう相手いるよ」
「はあ?…嘘だろ、どこのどいつだよ」

こんな所で勝手に名前を出して良いものか、一瞬遠慮が生まれた。同級生だったら躊躇わなかったその間が、その場凌ぎの嘘、と相手にとられたと気付くのはすぐだった。

「別に良いだろ?俺とでも」
「いや、だから」
「はっ?ちょっと顔が良いだけで生意気言ってんじゃねえよ」

そうだ、当時からそんなクラスメートだった。カッとなりやすくすぐ手が出る、それでいて家をちゃんと見極めて喧嘩を売る。自分より資産や格式のある、権力の強い相手でなければ付き従い、格下であればいばり散らす。まさしく俺の家のような。

「お前んち脅しても良いんだぜ、そうされたくなければ素直に肯け、良い子にしてやれば優しくしてやる」

タイミング悪く人のいない廊下で困り果てる。この手の発言をされるのは初めてだった。頭の中でパッと親友の顔が浮かぶ、彼の会社なら目の前のクラスメートを除けることなんて簡単だ。

でも、巻き込むわけにはいかない。ただでさえ、その友人は現在進行形で弟や親衛隊のことで手一杯で、今の俺よりよっぽど色々大変なのだ。
どうにかして切り抜けようとしたとき、力強く腕を掴まれ壁に押しつけられる。頭をぶつけた衝撃で一瞬目の前が真っ白になった。

「う、ぁ」
「それとも痛い思いしてえのか?マゾだったなんて知らなかった、あ?…っ」

次の瞬間、目の前にあった顔が吹き飛んだ。映画みたいに、本当に一瞬のことだった。どさり、と大きな音と同時に目の前を覆う大きな影。

「大丈夫か」
「せん、ぱい…?」
「ああ。怪我はないか」
「はい、あの…何で」
「見つけたのは偶然だ。だが、良かった」

そう言った瞬間先輩はその吹き飛ばされたクラスメートを思い切り胸ぐらを掴み上げた。
血の気の引いた顔が、さらに真っ白になる。相手を知って、一瞬で怯えたように震えたのも見えた。

「彼は俺の相手だ。その汚い手でよくも触ったな」
「あの、」
「二度とその目も、その手も使い物にならないようにしてやる」

振り上げられた拳。本気だ、本気で殴ろうとしている。あの体格の先輩が。相手が当然無傷で済むわけがない。
俺は怪我も何も無いのに、本気で、容赦なくやろうとしている。大きな背中に震え上がるような怒火を見て、それが振り下ろされる前に慌てて飛びついた。

「先輩!待って、ま、待ってください、俺」
「離せ内海。お前を怪我させるつもりはない」
「俺、怪我ないですし。ほら、元気だから、!」
「しかし…腸が煮えくり返りそうだ、頼むからこいつを殴らせろ」
「いやいやいや、ちょっ」
「それとも本気でこいつの相手になるつもりか?…そんなことは許さない」
「はっ!?ちょっと、先輩」

その時、どたどたと何人もの足音が聞こえ、おい、とこっちに走ってくる教員たちが廊下の先にいた。誰かが気付いて呼んだのだろうか、ホッと胸を撫で下ろす。

「処分は学園に任せましょう、先輩」
「…」

一発、いや十発殴っても怒りは治らないとでも言いたげな先輩に見つめられたが、腕をぐいっと引っ張る。
身の潔白はこの廊下にいくつかある監視カメラが証明してくれるだろう。とりあえずは事情の説明をしなければいけないし。

渋々と言いたげに立ち上がった先輩は、それからしばらく口を聴かなかった。



事情説明をし、それぞれの言い分と監視カメラの映像を照らし合わせ後日処分が下ると説明された。少なくとも俺は大丈夫、先輩も若干手を出しているが俺を守るためであることは加味されるだろう。
1時間以上個室で話し、解放されたと思ったらぐいぐいと先輩に腕を引っ張られどこかに連れて行かれる。足の長さも違うせいか一歩が大きく、もつれそうになり声を上げかけた時、先輩はどこかの部屋に俺を引っ張り込んだ。
多分先輩の自室だ。

ようやく走っていたのが止まり、はあはあと肩を上下させながらも先輩の顔を覗き込む、と頭の後ろを抱えられ、ぐっと引き寄せられた。
え、…?

「ん、ん…っ!」

見開いた目の前にドアップの顔。鼻が潰れそうになるほど強引に、先輩にキスをされていた。顔の割に柔らかい、なんてアホなことを考えながら、どうにか胸を押す、けど力の差は歴然だった。

「ふ、ぅ……!」

鼻にかかるような声が漏れ、カッと顔が熱くなる。
息が苦しくなって、たまらず唇を開けば待ってましたと言わんばかりに分厚くぬめった舌が潜り込んでくる。
腕ごと背中に回り込んだ、太い腕に抱え上げられ身動きが取れないまま、

「っ、…っ!」
「は、……」

口の中を縦横無尽に這い回る感触に、膝の力が抜けそうになる。今更、先輩は俺が好きだったんだ、と思い出すと途端に熱量が増した。

「ん、ん…!せ、ん、……ぱい!」
「……さっきの男は知り合いなのか」
「去年の、クラスメートです」
「それだけか」
「多分…はい」
「お前を、…俺のものにしたい」
「…はい?」
「俺のものと分かれば、あんな男に手を出されることはなかった。俺も、こんな不快な思いをせずに済む」

心の底から、不快だと言いたげに顔を歪めた先輩はまた、ぐいぐいと俺を抱きしめてくる。う、潰れそう…!

「やはり、付き合ってくれ。そうでなければ気が気でならない」
「ほ、本気で言ってます…?」
「お前に触れる男を殺したくなる」

ぎょっとして、慌てて先輩の顔を見るとそれが何の冗談でも無さそうに見えるのが怖い。
確かに先輩ならそれが出来そう、と思ってしまう。あの怒りに任せて振り上げられた拳を見てしまったのだから。

「俺を人殺しにさせるな」
「それって、脅しじゃ……?」
「脅してお前と付き合えるなら、それで構わない」

いやどんな脅しだよ。

「好きだ。付き合ってくれ」
「でも…あの、先輩ってあとちょっとで卒業しますよね?」
「…?だからなんだ、内海は年上は嫌いか」
「いや、…」
「大学に行っても休みの日や時間がある時は会いにくる。出来ることなら結婚もしたいが、この国では法的にまだ無理だろう。出来る様になったらしよう、家族も説得する。それが出来なかったら海外に行こう」

怒涛の告白にもはや言葉もない。法的にとか言うより、いろいろすっ飛ばしすぎだ。多分先輩は本気で言っている。ドのつく直球な言葉に、恥ずかしさと、嬉しさが湧き上がる。

「そのためにまず、付き合ってくれ」

いわば、結婚前提のお付き合い、というやつか。まさかそんな馬鹿な。
こんな無茶苦茶な、強引な告白。真っ直ぐこっちを見る熱い眼差しと、苦しいほどの抱擁。頷いたら最後、本当にこの先輩は結婚まで持っていこうとするだろう。
きっと、逃げられない。
迫りくる顔に唇を噛み締める。

「お、……お願い、します」

その息苦しいほどの愛がいつか鬱陶しく感じる日が来るだろう、そんな予感がしても、それも悪くないかもしれないとぼんやり思う。多分、とうに先輩のことが好きだったんだろう。もちろん結婚まで望んでいるとは思わなかったけど。
途端にぎゅうぎゅうと容赦のないハグとキス、それから怒涛のままに押し倒される。性急なそれに情緒もへったくれもないなあ、と思いながらどうにかその背中に腕を伸ばした。

後日、所構わず熱烈すぎる愛情を言葉にも行動にもして向けてくる先輩に、若干後悔するのは許してほしいところだ。

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