次の日、授業のグループ学習が上手くまとまらず、構内のフリースペースを活用して過ごしていたらいつの間にかかなり時間が経っていた。ようやく話の区切りがついてきて、また来週と足早に切り上げる。時計を見ればいつもより遅い時間だった。
駆け足で図書館に駆け込むと何事かと職員が見てきて、慌てて速度を緩めるも早歩きのまま奥へ。
帰ったかも、先輩は忙しいのに。

息を荒げながらも奥へ。いつものそこを覗くと、人影。

「先輩…!」

ーー遅くなってすみません…!
そう続けようとしたのに、振り返った先輩は俺の腕を引っ張るとバランスの崩れた体を抱きとめられる。ぎゅう、ときつく抱きしめられ荒い息のまま「ど、どうしたんですか」と尋ねる。

「…逃げられたかと思ってたけど」
「逃げ…?いや、あの、授業で遅くなってしまって」
「へえ…授業終わってもう、一時間近くも経つのに?」
「グループ作業が上手くいかなかったので…先輩?」

グループ活動なんて大の苦手な俺が所属するグループは大体、上手くいかない。コミュニケーションと頻りに聞こえる言葉は結局何をすればいいか教えてくれない。内容を箇条書きでプリントで回してほしい。大学生にもなって喧嘩なんてことはないが、内容はいつもB評価。まとめるのも進めるのも苦手だった。
きっと先輩はこんなことにはならないんだろうなあ、と授業中につい考えていた。その先輩は今、コミュニケーションを放棄して黙り込んでいるけれど。

どうしたらいいんだろう。キスはしないんですか、と聞いていいものか。キスをするときはあんなに密着するのに、いざそれがないまま身を寄せていると妙に居心地が悪い。もぞもぞ、と身体を無意味に動かしていると、ようやく先輩は動き出す。
抱きしめられていた身体を壁に押し付けると、身構える余裕もなく、キス。

「ん、ふぁ…」

この間よりも激しく、むさぼるようなキスに変わっていくのに俺は翻弄された。角度を変えてあむあむと食らいつくようにキスをされ、息をつく間がない。昨日みたいに時間はくれなかった。呼吸をしようにも難しくて、先輩の背中を叩く。

「んぅ、…っ、ん!」

先輩は俺の首の後ろに手を回すと、わずかにのけ反らせた。その時思わず呼吸をしようと思って開いた口に、先輩の生ぬるい舌が滑り込んできた。思ってもなかった。確かにキスにはいろいろあるらしいし、付き合ってからそういうこともするとは書いてあったけど…。

「せん、ぱ、ぁ、…ふ、ぁん…っ」
「ん…ちゅ、」

戸惑う俺を、先輩は指南するように舌をゆっくり動かして歯列をなぞっていく。静かな空間に淫らな水音が響いて、口の中を分厚い舌が這いまわるたびに俺の身体は跳ねる。
くっつけ合うだけのキスはまるで子供のお遊びのようなものなのだと思い知らされる。口腔内は俺の知らない敏感な個所が多く、それを舌がなぞり上げるたびに腰の奥が熱を持った。

「んぅ……や、ぁ…っ」

なんでこんなに気持ちいいのか分からなくて、俺は泣きそうだった。自分が勝手に気持ちよくなっていく感覚が怖かった。優しいキスをしていた先輩が実は手を抜いていたことも。
走ってきたこともあってただでさえうるさい鼓動が、とんでもない官能にさらに早まる。同時に息苦しさが拭えず、先輩の方に縋りついて訴えたいのにキスで言葉が続かない。

「や、ぁ…せんぱ、ぁ、ん…ん、んぅ………」

眩暈がした。腰が抜けそうになると先輩の腕が強く支えて、そのぶん仰向けになると先輩の舌先は上あごを引っかいた。ぞわ、ぞわ、と背筋が震えて小刻みに身体が揺れる。どうにかなってしまったんじゃないかと、俺の身体はおかしくなったのかと思った。

「鼻で息して、顔りんごみたいに赤い」
「できな、…ん、むぅ」

鼻は相変わらずずるずるで、先輩はまた息を吸う時間をくれたけど、それでも濃厚なキスは止まない。口の中を舌先でひっかかれると、強烈な快感に感じていた。

足腰もぐずぐずになって、ずるずると崩れ落ちて床に座り込むと先輩も同じように屈んでいく。でも完全に座り込んだ俺と違い、膝をついた先輩は上から食らいつくようにキスをさらに深めた。もう限界に近い俺を先輩は更に責め立てる。

奥にびびって縮こまった舌に先輩の舌が絡みつく。

「は、んん……ん、んっ、ぁ、ぅ」
「は、…お前の唾液、甘く感じるな」

表面をずりずりと舐めて、絡めると、きゅ、と吸い込まれ腰ががくがくと震えた。下着の中がぐちゃぐちゃになっていく不快感と、口の中が蕩けて気持ちよくなっていくのは同時だった。
お互いの唾液がぐちゃぐちゃになって、もうどっちのものかも分からない。ぬるぬると口の中で舌が絡むたびに俺は吐息のような喘ぎ声を吐いて敏感に感じていた。

「っう、ぁ、あ…ん、べろ、ぬるぬる、ん、ぅ…しないで、っ」

あまりにも淫らなキスだった。
貪るようなキスは弱者と強者に分かれていて、ひたすらに与えられる快感を受け入れるしかない。

ふるり、と首を振ってもそんな抵抗なんて蚊に刺されただけのように先輩は俺の口腔内に唾液を送り込む。飲み込むしかなくて喉を鳴らすと、褒めるように腰をゆっくりなぞった。

「ぁ、ぁ……まって、」
「気持ちよさそうにしているのに、やめていいのかよ」
「ん、んぅ…ぁ、ぁ、なでないで……っ」
「ふうん…本当に?」

腰を優しい力で撫でられると、また中心がずくんと熱を持っていた。淫らなキスに欲望か掻き立てられ、いつの間にかズボンを押し上げるほどに張り詰めていた。
童貞で、こんな風にキスをしたことのない俺は先輩の片手間のキスにこんなにも翻弄され、情けなく勃起していたと思うと恥ずかしくてたまらなくなった。

「ふぁ、ぁ、あ…ん、くふ、ぅぅ……っ」

しつこいキスにひりひりとする唇は未だ解放されないまま、キスを甘受している。この熱がどうかバレないように、と俺は祈るしかない。

でも俺の願いはむなしく、腰が引けた分の距離を詰めようと膝を擦って近づいてきた先輩の太ももに当たったことでバレてしまう。キス直前で、吐息がかかる程に近い距離で先輩は止まった。
バレた。ああ、最悪だ。俺は泣きそうになった。

「これ…」

昨日とは違う、完全に勃起したそれを確認するように太ももが上下し、ずりずりとした刺激がズボン越しに襲う。

「ぁ、あっ!…だ、め、です…ん、ぁ、」

小声で訴えても、先輩はほとんどゼロ距離のまま太ももでさらに擦り上げてくる。自分の手でする力の弱い感触ではなく、筋肉のある太ももで容赦なくこすり上げる感触に逃げたいはずの身体が、勝手にどんどん足を開いていく。
先輩の呼吸が荒いのが、唇にかかる吐息で伝わってくる。

「ぁ、うう、ぅ…ん、やだ、ぁ、それっその動き、だめ……っ」

腰が抜けそうなほど気持ちよくて、このままイってしまいたい、と思ったとき小さな音を耳で拾って思わず目を開く。目の前の先輩の顔より奥、本棚の奥に何かが動いた気配がした。
ざ、と血の気が引いて思わず勢い良く立ち上がる。押しのけられた先輩は体勢を崩したままこっちを呆然と見るけど、焦った俺は走ってその場から逃げ出してしまった。借りようと思った本を置いていったままで。




土日を挟んで月曜日、俺は二日ぶりの大学に肩を落としていた。もう図書館には行けない、あんなはしたない姿を見せてしまったせいで先輩の顔をまともに見れない。

もとのモテない真面目な学生に戻った方が良い、と研究室に足を運んだ。
室内は同じ学年の研究室メンバー1人のみで、おはようと言いながらパソコンを開く。慌てて図書館を飛び出したせいで参考にする本もなく、一応地域の図書館も確認したけど目当ての本はなかった。
とりあえず無いものは無いとして課題は進めたが、完成とは言えない。ゼミはもう明後日で、また怒られたら研究に響くかもしれない。暗い気持ちではあとため息をついたとき、研究室の部屋のドアがノックされ、開かれる。先輩でも来たのかと顔を上げた俺はそこに立っていた人に硬直した。先輩だった。

違う研究室の先輩がなぜ、と呆然としているともう一人の同期が「あ!」と声を上げた。

「花宮先輩、お久しぶりです」
「おー久しぶり。元気にしてたか」
「はい。先輩のおかげでこの間のテストーーー」

なんだ、と胸を撫でおろす。どうやらこの同期に用があったのかと。顔の広い先輩は後輩とも仲がいいから、珍しくはなかった。緊張しながらもパソコンに目線を戻す。他にも人がいる中で、昨日の話はしないだろうし、同機は次の授業は同じだから二人きりになることはない。気まずい時間が早く終わるのを祈るしかない。

「なあ、白瀬」
「えっ」
「なんだ、白瀬も先輩と知り合いだったのかよ、挨拶しろよなー」
「いや、いいんだよ。それよりこの本、昨日忘れただろ」
「…すいません、ありがとうございます」
「気にすんな」

そう言って先輩は近づいてくる。どうしようと動揺しながらも少しも動けなくなった俺は、先輩が椅子を引き寄せて隣に来ると頭が真っ白になった。本は受け取れた、でもどうして隣に。

「ゼミの課題?」
「…はい、」
「分からないところあるなら教えるけど。手、止まってるし」
「大丈夫です、なんとか…なるんで」

どうしよう、どうしよう。動揺のままうろうろと視線が画面を彷徨う。

「あっそ、分かった」

そう言って先輩はあっさり身を引いた。本当にあっさりで動揺していた自分が馬鹿らしいと思ってしまった。なのに、マウスの上に置かれた右手の甲を先輩の指がゆっくり撫でていく。骨の感触を確かめるようになぞって、人差し指と中指の間をかき分けて、絡みつく。思わず同期の方を見ると、机の下に潜り込んでがさがさと音を立てて片づけをしている最中だった。

昨日の淫らなキスを思い出して、かっと耳まで熱くなる。するりと指は抜けていって先輩はまた同期と話し始める。俺とは違って盛り上がっていたし、先輩の手伝おうかという好意に同期はとびついていた。

一度思い出したキスは頭から離れず、気づけば撫でられた右手で自分の唇に触れていた。舌が唇を舐めている仕草、舌に絡みついた舌の感触、口腔内で音を立てた唾液。一瞬でそれらがよみがえって、またちんこが熱くなるのを感じて俺は思わず研究室を飛び出していた。

廊下を進んですぐのトイレを通り過ぎ、更に奥のトイレに走る。広いフロアにある二つのトイレのうちこっちは隣接した教室がほとんど使われていない物置になっていることもあり、人は来ないのを知っていた。

手洗い場で鏡を見つめながら息を吐く。キスの記憶にここ最近は良くも悪くもずっと頭を悩まされている。授業だってぼんやりしてしまって、ちゃんと集中して受けることが出来ていない。
キスを忘れたくて、水を掬って押し付ける。熱い唇にひんやりとした水は心地よかったけど、一向に熱いままで困り果てる。

そして、突然扉が開かれた。開けたのはまた先輩で、なんで、と聞く間もなく個室に押し込まれ先輩も入ってきて後ろ手で鍵がかけられる音を聞いた。

「ちょっと、ーーーんぅ!」
「んちゅ、…っ、もう、他にキスする相手でも見つけたのかよ。意外と、っ…はっ、尻軽か?」
「はい!?…なに、ん…いってる、んん…せんぱ、ぁ、んむ……」

どういう意味か問いただそうにも言葉を物理的に塞がれて何も言えない。先輩はいら立ち混じりだった。さっきまでの余裕のある慕われる先輩像なんて嘘のように無くなっていた。

「赤い唇を物憂げになぞって…相手のことでも思い出してたのか」
「何言っているかわかんな、ぁ、…んぅ、まって、ぁ、ふ…待って、くださ、ぁ」

なんだなんだ何の話なんだ。
先輩は多分俺のことを言っているのに、俺はそんなこと知らない。

「せんぱ、…んん、…先輩!」

ドアの外まで聞こえるような大声をあげればようやく先輩のキスは止まった。でも至近距離のまま、じいっと見つめられている。

「き、すをしたのは…先輩だけです。もし、その…思い出していた相手がいたとしたら……」
「…誰?…言えよ、白瀬」
「せ、………うう、花宮、せんぱいのことかと……思います……」

どんな羞恥プレイだ、本人に言うなんて。

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