ふ、と顔を上げると雪の降る街と煌びやかに輝くライト。真横のショーウィンドウには、ピンクと黒の華やかなデザイン。そして、メインはチョコレート。目を奪われるような造形とデザインが食べ物ではなくまるでアートだと思わせる。
美味しそう、より食べるのが勿体ない、と思わせるほど。

そればかりに目を奪われていると、強い視線を感じた。そっちへ目を向けると、三月さんがいた。ああ、そっか三月さんと出掛けていたんだった。明らかに、立ち止まる俺を待っていて、足早に近寄る。

「すみません」

ふん、と鼻を鳴らす、いつもの三月さん。今日はどこかに連れて行ってくれるらしい。三月さんのくれたマフラーとコート、帽子、落ち着いた色合いでとても温かいそれらに包まれて、さく、さく、と音を立てながら歩く。
一緒に出かけても、三月さんに言葉はない。俺はたまにどこに行くのかとか何しに行くのかとか聞いてみるけど、三月さんから答えが返ってくることは稀だ。
それでも、聞いている、という仕草を見せる。しばらく黙ると、視線だけこっちに向くことがある。催促なのか、気遣いなのか俺にはよく分からない。

「三月さんは、チョコ好きですか。いつも俺ばかり食べているけど」

答えはない。
雑踏のなか、人の声ばかり大きいのに降る雪は穏やかで静か。暖色のライトが反射した雪がキラキラ輝くのが息を呑むほど綺麗だ。

「たまにある、フルーツとかナッツの…あのチョコが好きなんですけど」
「…」
「三月さんはお酒とか入ったのが好きそう、あとはカカオの割合が高いやつとか…」
「……」
「最近チョコたくさん買ってくれますけど、そろそろ塩っぱいのも恋しくなりますよ」

一瞬だけ視線がこっちにくる。三月さんはチョコばかり買うけど、確かに美味しいし嬉しいけどこの頃はあの塩っぱいスナックが食べたくなる、なんて贅沢で我儘だろうか。お金がない時なんて、勿体なくて買う気にもならなかったのに。
そう思っていたら、丁度スナックの陳列棚の見えるお店の前を通る。視線も釘付けになって、足が止まる。なんて事のないお店、スナックだって恋しいけどなのに、何故。

視線を三月さんに戻すと、三月さんはそのまま歩いていて、どんどん距離が遠のく。背の高い後ろ姿が人混みにどんどん埋れているのに。

「三月さん…?」

普段ならすぐに気付いて振り向く。なのに、顔は前を向いたままその姿が小さくなっていく。
どうして、口から溢れた息は寒いせいで白く、すぐ消えていく。
そのもやが晴れた時、もう三月さんの背中は見えなくなっていた。

三月さん、三月さん。たまには三月さんのチョコレートを俺が買いたいと思っていた。どんなものが好きか聞いて、お金はないから結局買えないかもしれないけど、たまには三月さんと一緒にチョコレートを食べたい。
そんな風に思っただけなのに。

目頭がじわりと熱くなるのを感じる。歪んだ視界で、三月さんは見つけようもないのに。三月さん、と掠れた声で呼んだ時、肩を叩かれた。ハッとして、振り向くと。





「大丈夫か」

静かな声、それでいて心配が滲むこの人は、三月さんではない。
気付けばうたた寝をしていたらしい、日差しの当たるソファの上で。それで、夢を見た。今日はバレンタイン、街を出歩かずともテレビではそのことばかり。浮き足立った街の人たち。
夢を見ていたからか、少しだけ汗ばんでいて妙に暑いし、疲れている。

違う。そんな場合じゃない。目の前にはFBIのレオさんがいた。こっちを覗き込む目には心配の色が滲んでいる。

「…寝ていましたか」
「ああ…これからまた話を聞きたいんだが」
「すみません、呼びに来てくれたんですか。今からですよね、行きます」
「いや」

レオさんは言葉を切ると、立ち上がりかけた俺を手で制して、少しだけ唇を噛んだ。珍しい仕草だと思う。どうにも言いづらそうで何事だろうと首を傾げる。

「…」
「あの、」
「顔を洗って落ち着いてからでいい。特に急いでいないからな」
「…?」
「泣いていたな…目が赤い」

へ、と間抜けな声が響く。慌てて頬を拭うと濡れた感触がして、そういえば目が潤んでいることに今初めて気付く。

夢を見ながら泣くなんて、子供の時の怖い夢以来だった。その衝撃に言葉を失う。

いつのまにかレオさんは部屋から出て行って、誰もいない部屋の中。三月さんが家にいることは多くなかったけど、それでも短い時間でも会えた。

今は違う。三月さんの敵の本拠地で、三月さんの夢を見た。
三月さんから与えられるものが沢山あって、そのうちチョコが一番多かった。だから、夢を見たのかもしれない。
もう三月さんはいないんだった。

また、何かが頬を伝うのを拭った。

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