悴んだ指先に息をかける。それでも冷え込んで、感覚も失いかけている指は少しじんわりするだけ。

「はー、寒っ」

今夜は恋人と過ごす聖夜の日、そんな謳い文句が囁かれている日であることは、恋人のいない俺でも分かっている。
なんせ街は数日前から浮かれ気味。恋人同士がいつもより多く見かけ、どれも甘そうなのは腹立たしいことこの上ない。
だが、俺にとってこの日はただの一日。仕事が終わったら即帰宅。ちょっと豪華な料理が余って安くなってるところを頂こうと思っていた。

それを丁度、夜番の奴らと入れ替わりの時、宰相サマがやってきた事で、俺の計画は砂の城より脆く崩れ去った。
いくら仕事が終わろうとも、頭は下げていなくなるまで待ってやったと言うのに、「今夜の予定はあるのか」「無いですけど…」「ふっ」笑われて、馬車に強引に乗せられた。戸が閉まる寸前、ランドが親指立てていたのを見た、あの野郎あとで覚えてろ。
遅いですし下ろしてください、と頭を下げても無視無視無視。どれだけ言いまくっても許しはなく、あれよあれよという間に、宰相サマのお屋敷到着だった。
人攫いも良いとこだ。

お屋敷の一室。
部屋から見える、少しだけ雪の積もった庭を見つめながらため息。
こんなの予定外だ。運が悪いにも程があるだろ。何でよりによって宰相サマなんだ。

着替えに行った宰相サマを待っている間に、次々に部屋へ料理が運ばれて行く。高価で一般には出回らない酒や食べたこともない食材を使った彩り豊かな料理が並んでいく。
まあ、これなら悪くねえな…宰相サマはいらねえけど!
丁度机がいっぱいになる程並べ終わる頃、宰相サマは余裕綽々で戻ってきた。はあ、部屋着も俺の一張羅より高そうなのは気付かないフリだ。

「世間は浮かれているようだが、お前もそうなのか」
「いやまあ…浮かれるような相手はいないんすけどね」
「そうだろうな」

酒の入った杯を片手に食べ始めた宰相サマを見習い、俺もまずこの食欲のそそる匂いのする肉から、と手を伸ばした。

「宰相サマは…いない、ですよね…?」
「見ての通りだ。女にうつつを抜かしていればこの国は今頃崩壊している。お前がこうして今日も裏門の前に呑気に立っているだけで給金が貰えるのは誰のおかげだろうな」

嫌味にうっかり杯を投げそうになった。
ぐっと堪え、俺は大人俺は大人と呟きながら高級と呼び声高いキノコの炒め物に箸を伸ばす。口に入れた途端鼻から抜けるような香りが広がり、思わずご飯をかきこむ。

「美味いか」
「はい!」
「いつでもこれくらい用意出来るが」
「へえ、凄いですね貴族って」
「お前には贅沢であろうな」
「むぐっ…そのとーり、です」
「咀嚼しながら話すな、礼儀知らずが」

俺だってこんな良い飯食べるなら目の前にいるのが美女がいい。そもそも良い飯じゃなくても美女がいい、それくらい用意してくれ宰相サマ。

「何だその物欲しげな目は」
「へ!?…そ、そんな目してました?」

やばい、思考が顔に出てんのか。

「こういった日には大抵贈り物がある、そうだろう?」
「まあ、世間的には…?」

お貴族様はどうか知らないが、平民の間では特別な日なのは間違いない。

「寂しいお前にも用意してある」
「はあ…」

宰相サマは、立って引き出しから何かを取り出した。黒い紙袋には金色の帯が映えていて、どこか高級感がある。こういうの、なんか緊張する。
宰相サマのような貴族はあんまり関わりたくないが、こういうのを貰うにはやはり平民の俺じゃ不釣り合いにも思えた。
差し出されたそれを受け取ったは良いが、ここで開ける気にはならない。でも宰相サマはこっちを見てる。

「開けて、いいっすか…?」
「ああ」

みかん一つとかのが気が楽だ。
そんなことを思いながら開けると…これは、手袋?広げてみると、柔らかな手触りと柄はないが綺麗な群青色だった。少し薄手な気も、と思いながら手につければぴったりとした密着感が心地いいし、心許ないという感じもない。

「これ…」
「雪も降るようになったというのに、いつまで経っても素手でいるとこちらまで寒く感じる」

意地ではないが、何となくここまできたら別にしなくても冬は越せるだろうなあと思って買わなかった。目にはつくものの、買おうと決意出来るほどのものも見かけなかったというのもある。
そんな風に思っていた手袋が今、手を覆っている。少し寂しい色の青。手を測って作ったんじゃないかというくらい余裕も窮屈さもない、丁度だ。

「ああ、悪くないな」

満足げな宰相サマ。確かに、と納得してしまう。そんな良さがあった。
あ、でも、

「とても、有り難いんすけど、俺は何も準備してなくて」
「気にするな、元々予定があった訳でもない。それに期待もしていない」
「そ、そうですか」

むっとしながらも、良いものを貰ったから良しとしよう。でも、やっぱり何も返せないのはあれだし、今度何か買って行こう。

「それにもう、貰っている」
「え…?」

すっかり冷めた食事を前に、静かに微笑むこの国の宰相サマ。な、何の話だ…と動揺する俺を面白がっている目だった。
後に思い直すと、恋人と過ごす特別な聖夜の時間が宰相サマへの贈り物ってことだったらしい。分かるかっつうの、そんなの。

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