天理人欲



王宮を出たリュユージュの意識は、何処か朧気だった。先程と変わらず、動悸と目眩も止まらない。

彼は喉を潤す事すらも完全に忘れ、ふらふらと夢遊病者の様な歩調で、敷地内のとある建物の中に吸い込まれる様に入って行った。

其処は沢山の肖像画や書物、写真等が保管されている資料館だった。

大量に収められている中の、一冊の写真帳に手を伸ばす。しかし彼の目的は、昔を懐かしむ事ではない。

一枚の大判の写真。其処に刻まれたフェンヴェルグを凝視する。

━━似てる…と言えば似ているけど、やっぱり全く似ていない気もするな。

頁を捲り、次に王女の写真を探す。

━━全然、似てない。

更に頁を捲ると、数年前に崩御された王妃の写真を発見した。

━━王妃が隠れて出産するなど、絶対に不可能だ。と言う事は…。



リュユージュは他の写真帳を手に取る。

凛とした笑顔を浮かべる若かりし日のヘルガヒルデは正装に身を包み、長いくるくるの巻き毛を高く結い上げている。そして彼女の隣に寄り添う様に立つ、同様の服装の一人の男性。

写真や噂話でしか知らない、自身の父親のヘルガサライだ。

━━目、見えてるのかな?これ。

どうやら、ヘルガサライと言う男は糸の様に目が細いらしい。それは、彼等の特徴である翡翠色の瞳の確認が出来ない程に顕著なものであった。

━━そう考えると、僕が両親に似てるとこって髪質くらいか。これだけ血が濃くても、意外と顔なんて似ないもんなんだな。






突然、音の無い空間に物音が響く。周囲への注意力が欠けていた彼は勢い良く背後の気配を振り向き、驚愕を隠せない。

「ああ、驚かせてしまったようだな。」

後ろ手に扉を閉めるルーヴィンが其処に居た。

━━しまった…!

リュユージュは直ぐ様、写真帳を床に放り投げて反射的に左腰に右手をやる。

しかし、先刻まで聖王に謁見していた彼が帯剣している筈もなかった。普段は肌身離さず携帯している懐剣すら、彼には無い。

━━畜生、最悪だ!

仮にしていたとしても、大剣ツヴァイ・ヘンダーを自身の相方とする程の腕前を持つルーヴィンと真面に渡り合える様な余裕など、今のリュユージュは持ち合わせて居なかった。

「何をそんなに怯えている?」

にやりと口角を上げるルーヴィンは、がちゃりと扉に錠を掛けた。

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