バイバイ、サヨナラ、お元気で

 幼い頃、ソレが何か解らなかった。記憶という概念よりも遥か前からあったソレ。高杉晋助と呼ばれた頃の日々。その激しすぎる思いに振り回され、幼い頃からよく癇癪を起こしていた。
伝えたくとも伝える術の無い鬱倔とした感情。それを受け止めきれなくて、いつも叫んでいた。
 母は、俺を何度も発達検査を受けたらしいが、結果はいつも平常値。それなのに、言葉を覚えた頃から、行ったこともないような場所を語ったり、俺の語る内容が、未就学児が知っているとは思えないような内容――例えば、着物の着方だとか、食事の作法だとか――を告げたりもした。
 その頃のことはうっすらと覚えている。俺が何かを言う度に、嘘をつくな、馬鹿を言うなと怒鳴られた。その内に、俺の中にあるソレを語るのはいけないことなのだと悟った。
 それからは、人と話すことに慎重になっていった。ソレを話さないように、変だと思われないように。
 だが、時々それがどちらの記憶なのか分からなくなる時があった。
 小学校に上がる頃になると、母は俺がソレを語ると殴るようになった。ヒステリックに叫びながら、何度も俺を殴るのだ。抵抗はしなかった。抵抗してしまえば、もっと何かが壊れてしまう気がして怖かった。
 そうして、何処へも持っていけない感情を、よく学校で爆発させた。自分を馬鹿にするヤツ、話を笑うヤツ、その全てに暴力で立ち向かっていった。
 中学に上がる頃には、立派な問題児の出来上がりである。喧嘩に明け暮れ、とうとう両親にも見放され、一番荒れた時期だ。自分の感情を持てあまして、吐き出す先を探して暴れまわった。
 そんな日々を変えたのもまた、『高杉晋助』という存在だった。
 その日、学校に行ったのは気紛れだ。今さら入りにくい教室の周りをうろうろしていた時、ふと『高杉晋助』という名が目に入った。前の時間の板書が残っていたのだろう。他にも、『桂小太郎』『坂本辰馬』という名まで書いてある。
「おい、前の時間なにやってたんだ!」
 自席で談笑する数人に問えば、途端に顔を引きつらせた。「に、にほんし」と震えた声で述べられた答え。それを聞いた瞬間、俺は教室を飛び出した。走って、走って、自分の家へと駆け込む。「学校は?」という母の声を無視して、俺は自室から日本史の教科書を引っ張り出してきた。震える手でひたすらページを捲る。なんて時代なのかも聞けば良かったと後悔した頃、ようやくその名前を見つけた。
『高杉晋助』『桂小太郎』『坂本辰馬』
 書いてあったのはほんの一行。『攘夷戦争に参加した』事実だけだったが、それでも嬉しかった。
 この記憶が何なのか、ようやく分かった。これは前世の記憶なのだ。
 それまでずっと、自分は狂っているのだと思っていた。全て妄想の産物なのだと思うと、胸が締め付けられるように痛かった。
 しかし、そうじゃない。彼らは居たのだ。過去確かに、存在したのだ。
 それに初めて気づいた日、俺は部屋で一人泣いた。彼らの名前を呼びながら、ただひたすらに泣き続けた。



***



 彼らが実在したことを知ったのと同時に、疑問も湧いた。
 何故『坂田銀時』の名が無いのか。
 攘夷戦争の功労者といえば、真っ先に彼の名が上がるはずだ。
 次の日から、高杉は真面目に中学へ通うようになった。もっと彼らのことを知りたい。銀時の名を、どこでもいいから見つけ出したい。そんな思いから、真面目に勉強するようにもなった。
 だが、教師に聞いても図書館に通いつめても『銀時』の名は見つからない。それでも俺は諦めなかった。
 それに、攘夷戦争について調べるのは楽しかった。当時の自分たちが美化されたり、分析されたりしているのを見て、よく爆笑したものだ。
 素行以外にも、1つ変えたものがある。俺は友人に自分のことを「晋助」と呼ばせるようになった。名前の響きが似ていたことと、俺が急に攘夷戦争について調べるようになったこともあり、周囲はすんなり受け入れた。両親は最初はそれをいぶかしんでいたようだが、落ち着いていく俺の様子を見ているうちに、些細なことだと思うようになったようだ。
 ギスギスした空気が、少しずつ溶けていくのを感じた。ほんの少しだが、日々に充実感を覚えるようになっていった。
 そんな中、転機と云える出来事が起こった。それは忘れもしない高校の入学式の日。ひらひらと舞う桜の中に、ヤツを見つけた。背も高くなく、前とは似ても似つかぬ姿。だが、楽しそうに友達たちと談笑する姿を見て、直感的に理解したのだ。彼が、坂本辰馬だということを。
「辰馬!」
 人混みをかき分け、名を叫びながら駆け寄る。が、相手は気づかない。
「辰馬!おい!」
 息を切らしながら腕を掴むと、そいつはきょとんとした表情でこちらを見やった。
「えーっと、人違いじゃね?」
 話す言葉は聞き慣れた土佐訛りではなく、その目も初対面の人物を見るそれだった。
「うん、まあでも、これも何かの縁ってことで。仲良くしようぜ。お前名前なんてーの?俺は――」
 人懐こい笑顔で告げられた名は、俺が知っているものとは少しもかすりもしない物だった。
同じ攘夷志士ならば、自分のように前世の記憶を持っているのではないか。どこかでかすかに抱いていた希望が、砕けていく。
 きっと俺は、随分と失望した顔をしていたことだろう。それでも辰馬だったヤツは、いつも気さくに話しかけてくれた。誰にたいしてもフレンドリーなそいつとは、存外気があったこともあり、一緒につるむことも多かった。しかし、どうしてもソイツを今の名前で呼べず、代わりに彼のうねった髪から「モジャモジャ」と呼んだ。最初は違和感があったらしいが、その内に慣れて呼べば振り向いてくれた。
 出会ってから三度目の春、俺たち二人は同じ大学へと進んだ。学部は違うので会う頻度は減ったが、それでもたまに校内で昼食を共にしたり、飲みにいくこともしばしばだ。
 そこに、もう一人加わるようになったのは、金茶色の髪の男だった。前世での名は、『桂小太郎』という。
 前世での姿が嘘のように、随分とチャラついた出で立ちの男だ。俺はソイツのことを、当たり前のように「ヅラ」と呼んだ。その度に「ヅラじゃない!」と律儀に返されることが、俺の密かな楽しみだ。
 大学へと進学してからも、攘夷戦争の中に銀時を探すことを止めなかった。『坂本』と『桂』の名前はよく出てくるというのに、銀時の名前はどこにもなかった。
 もしかすると、銀時という存在自体が嘘だったんじゃないか。そう思い始めていた。その矢先の出来事だった。
 居たのだ、彼が。今までと同じように、見た目も、髪の色も、声も違う。それでも、確かに銀時だった。
 教育学科に所属するらしい彼を、俺は有名な某学園ドラマの教師を捩って、「銀八」と呼んだ。一文字もあってねーよ、と笑いながらも、ヤツもまたその呼び名を受け入れてくれた。
飲みに行くメンバーが3人から4人になり、旅行や馬鹿騒ぎなんかも、ソイツらとよくつるんだ。にぎやかで穏やかな日々。けれども、いつも一抹の寂寥を抱えていた。
 どうして誰も覚えてないのか。どうして誰も知らないのか。確かに一緒にいたはずなのに。今と同じように笑いあった時が、共に泣いた日々があったはずなのに。
 そんな疎外感を胸に抱きながら、大学生活も終わりに差し掛かった頃、この4人で卒業旅行に行こうという話になった。
 場所は、攘夷志士たちが学んだ学舎跡。行き先は、俺が強硬に推して決定した。もしかしたら、そこへ行けば何か思い出すかもしれないと思ったからだ。
 3人は
「晋助はやっぱり攘夷オタクだな」
と笑うだけで、その場所の名にも、写真にも、何の反応もなかった。



***


 そこにたどり着いた時、吐く息は白く、空からは雪が降っていた。風が余りにも冷たくて凍えそうだ。
「なあ、今日はもうやめとこうぜ。凍死しちまう」
 そんな文句を背に受けながら、懐かしい学舎へと向かう。そこは元の建物自体は焼失していたが、その後再建され、今では博物館になっている。
 その中には、高杉や桂、坂本たちが、いかに活躍したのかを語る看板や、当時の書簡のやり取り、使われていた刀などが展示されていた。自分の愛刀と再会した時は、得も言われぬ感動を覚えた。
「おい、ちょっと来てみろよ!」
 そう言われてそちらを見やると、3人がニヤニヤと笑いながらノートを見ていた。
「お前、随分人気者みたいだぞ」
 見せられたノートには攘夷志士への熱いメッセージが書き込まれていた。特に『高杉晋助』には、愛してるだの結婚してだのと、熱烈な書き込みが多い。
「いやー、モテモテだねー。晋ちゃん」
「モテ期来たんじゃね?」
 そのあまりの内容に、全員で腹を抱えて笑った。
「は、当たり前じゃねぇか」
 腕を組みながらどや顔で答えてやれば、銀八なんかは座り込んで床をバシバシ叩いている。
「いやあ、すげー人気」
「分かる気はするな。ああいう生き方に惹かれるっていうのは」
 感心するように言うヅラの言葉に、俺は首を傾げた。高杉晋助の人生は、けして幸せとは言い難いものだからだ。
「でも高杉晋助は、志半ばで死んじまったんだろ?それって、憧れるものか?」
 そう尋ねると、逆に不思議そうな顔を向けられた。
「いや、だってさ。自分で隊作って仲間と一緒に戦ったんだろ?仲間もいっぱい居てさ。それってなんかすげー楽しそうじゃん」
 それを聞いて、俺は思わず息を呑んだ。脳裏に鬼兵隊や銀時たちの姿が弾ける。悲しいこともあったが、確かに楽しかった日々が。
「未練はあるだろうけど、こんだけ好きなこおやったんだ。幸せだったんじゃねぇの」
――ああ、そうか。
 そうだったのかもしれない。高杉の最期を思い出しながら思う。あれはあれで、幸せだったのかもしれない。それと同時に、ようやく理解できた。高杉晋助と自分は、別々の人間なのだと。俺もまた、同じ魂を持った別人なのだ。みんなと同じように。
「うっし、じゃあそろそろ行くか」
「ああ、ちょっと待ってくれ」
 入口へと向かう3人に声をかけてから、もう一度ノートのところへと戻る。ノートに書いたのは一言だけ。
「サヨナラ、晋助」
 それだけを本名と一緒に書き留めると、仲間の元へと駆け出した。今度からはアイツらのことを本名で呼ぼう。いったいどんな顔をするだろうか。今から楽しみだ。
――なあ、晋助。俺は今、幸せだよ。
 そう心の中で呟くと、雪の空が煌めいて見えた。


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