夕焼けに溶ける

 燃えるような夕焼けの、その赤い光が差し込む放課後の廊下。
 坂田は微かに声の聞こえる方へ歩みを進めていた。
 言うべくもなく、各教室の施錠と下校時刻後に用もなく校舎に残っている生徒を指導するためだ。

「聞こえてるぞー」

 ペッタペッタと床に張りつくサンダルの音を隠しもせず、ひそひそと話し声の聞こえる教室に辿り着くなり銀八は引き戸を開けた。
 窓際で一つの机を挟むように座っていた二人の男子生徒は、静寂を壊す引き戸の音に肩を跳ね上げた。
 よほど話し込んでいたらしく、坂田が近づいていることも分かっていなかった様子だ。

「お前ら、俺が優しくてよかったな。俺じゃなきゃそのまま鍵かけてスルーだぞ」
「すみません先生」
「けっ」

 二人の男子生徒の内、桂は素直に頭を下げたが、高杉の方は邪魔が入ったと言わんばかりの顔でふて腐れた。

「居残り勉強……って風でもねえな。なにしてた」
「てめえにゃ関係ねえよ」
「高杉がどうしても行きたい場所があるとかで」

 直後、高杉に足を蹴られでもしたのだろう、桂が「痛い!」と声を上げた。
 真面目に登校することの少ない高杉の、曰くどうしても行きたい場所……ということは、今日彼が登校してきたのはその話をするためであった可能性が高い。
 となればそれはそれなりの理由であるはずだ。
 そう判断した坂田は、推考の後、机に手をついて体を乗り出した。

「なに?どこに行くって?」
「だから関係ねえって」
「町外れにある廃屋の跡地に行きたいらしいです」
「ハイオク?」

 今度は桂の顔面に拳が入る。

「ハイオクって、ガソリンじゃねえやつか。ボロ屋敷の方か?」
「……その”跡地”だよ。今は土地以外なにも残ってねえ」

 大きく舌打ちをした高杉だったが、言わずにいた方がややこしくなると考えたのだろう、溜め息混じりに白状した。

「なんでそんなとこ行きたいの」
「噂があんだよ」
「噂?」

 怪訝な顔をした坂田に、高杉はニヤリと歪んだ笑みを見せた。
 不気味なほどに赤い夕陽が、彼の顔に言いようのない不吉な影を刻む。

「”出る”……ってなァ」



***



「よかったのか? 放っておいて」

 桂は前を行く高杉の背に話しかけた。
 その顔には青痣が浮かんでおり、あの後更に高杉により暴行を加えられたものだと容易に推測できた。

 心霊現象を大の苦手とする坂田が高杉の一言で顔を青くし、そのまま微動だにしなくなったのをいいことに、二人は彼の隣をすり抜けて例の廃屋……の、跡地へと向かっていた。

「関係ねーよ」

 手入れの行き届いていない竹藪を進み、振り向くことなく吐き捨てた高杉を、桂はほんの少し不審に感じていた。
 幼馴染みとはいえ一人で行動することの多い高杉が、わざわざ桂を誘った理由。
 それに、坂田に対するその”関係ない”という言葉だ。
 それ自体は何のことはない、高杉の常套句ではあるが……。

「……オイ」

 高杉が歩みを止める。
 彼と同じく足を止めた桂も、彼の伝えようとしたのが何であるのか理解できた。
 目の前に突如開けた竹林の空き地。
 そこに、ぼろぼろに朽ちかけた”廃屋”があったのだ。



***



 翌日。
 坂田は下校時刻の昇降口で桂を見かけ、丁度よかったと呼び止めた。
 今日は移動教室が多かったせいか、あまり生徒と接する時間がなかったのだ。

「おーいヅラァ」
「ヅラじゃない、桂です先生。」
「どっちでも構わねーよ。それよりお前、昨日はよくも俺を置いて勝手に帰ったな? おかげで先生、警備員さんに見つけてもらうまで閉じ込められて大変だったんだからな」
「ご愁傷様です」

 そこでふと、今日は高杉が登校していなかったことを思い出した坂田は、怒りもそこそこに桂に尋ねた。

「結局行ったのか? その……廃墟?」
「はい」
「で? あいつは今日は来ねえってか」
「それは聞いていませんが……」

 歯切れ悪く答える桂に追及の予知ありと見て、坂田は腕組みをして言葉の続きを待つ。

「……懐中電灯を持って、今日これから、もう一度行きます」

 どこに、とはもはや聞かずとも明らかだった。
 坂田は彼のその言葉の、引っかかった点を復唱する。

「懐中電灯? そんなに暗い時間に行ったのか?」
「いえ、高杉が中の探索をちゃんとしたいと言い出して」

 どうにも話が噛み合わない。
 聞いた話だと、その廃屋はあくまで”跡地”、建物自体は残っていない……そう高杉自身も言っていたではないか。

「ってことは、建物が残ってたのか?」
「はい。俺たちも驚きました。老朽化も、まだ探索が可能な程度で……。それであいつも調べたがったんです」

 坂田自身もその廃屋跡地に行ったことはないし、そもそも噂すら耳にしたことがない。
 廃屋があろうがなかろうが、坂田の知り得るところではなかった。
 しかし土地のみだと思っていたところに廃屋が現存していたとなれば、それを探索したくなる気持ちは大いに理解できる。
 だが……。

「なんであいつは、そんなにその”廃屋”にこだわってんだ?」

 その一言に尽きた。
 高杉が廃墟マニアだとかいう話など聞いたことがない。
 もともと自分以外のことに興味のない、歩く暴力のような少年だ。
 その彼が廃墟を調べたがるのには、相応の理由があるのだろうが……。
 少なくともそれは、彼と接する機会の多くない坂田にとっては知る由もないことだった。

「さあ……」
「とにかく、廃墟探索は勝手にすりゃいいけどな。下手したら住居侵入だぞ。補導なんかされちゃ先生も困るんですけど? まったく、学校より廃墟優先ってのもどうかと思……」
「ちゃんと言っておきます」
「あ、おい!」

 桂は素早く頭を下げると、坂田の言葉を全て聞く前にさっさと昇降口を出て行ってしまった。
 燃えるような夕焼けと、校舎が生み出す濃い影。
 長い黒髪が溶けるようにそのコントラストに消えていく。
 ……あの高杉が桂の言うことなど聞くわけがないのだ。
 それが担任の言葉なら尚のこと。
 校長からいつにも増した剣幕で呼び出される日が来ることも、そう遠くない未来かもしれないと、坂田は遠い目をして項垂れた。

「お。なんじゃおんし、今日はまた一段と遠い目ばしちょるのう」
「オメーは能天気でいいよな。俺と担任変わってくれよ」
「アッハッハ! 断る」



***



「なあ辰馬ァ、俺と担任変わってくれよ……」
「断る」

 週を跨いで次の登校日。
 校長室の前で、週末と同じやり取りを交わす坂田と坂本の姿があった。

「おんしも苦労ばしちょったんじゃのう」
「苦労しかねーよ腹立つ言い方やめろ」

 休日の間に高杉が補導されていたのだ。
 報告を受けた坂田は言わんこっちゃないと卒倒する気分だったが、どうやら理由は住居侵入ではなく、深夜徘徊の厳重注意のみだったそうだ。
 坂田が確認した時には既に自宅謹慎との処分が決定していた。

「苦労するほど仕事ばしちょるちゅうんじゃったら、電話くらい出とおせ」
「すいませんでした……」

 というのも、時間帯ゆえ、警察から学校への連絡を当直だった坂本が受けていたのだ。
 その坂本が他の教師や家族に連絡を取る中、しかし肝心の担任にだけ電話が繋がらず、結果、週明けの職員会議で初めて補導の件を知ることになった坂田は赤っ恥をかき、更に校長室で説教。
 そして午前の授業がそろそろ終わろうとする今、ようやく解放されたという次第だった。

「あいつがあがな場所ばおったんは、とにかくその廃屋ちゅうのが絡んじょるんじゃの?」
「たぶんな。ヅラにも聞いたが、休日は一緒じゃなかったらしい」
「ちゅうことは、高杉が一人で勝手にうろうろしちょったちゅうことになるのう……」

 坂田は坂本に、高杉が”廃屋跡地”とやらに興味があることを含め、ここ最近の彼の言動を詳しく伝えていた。
 その上で、

「気になるのう。わしらも行ってみんか」
「えっ」

 放課後、坂田もまた坂本と共に例の”廃屋跡地”へと向かうこととなった。



***



「先生」

 坂田ははっとして顔を上げた。
 目の前には生い茂る竹林。
 声が自分を呼んでいたのだと気づき、後ろを振り向いた。
 小高い丘からは、夕陽に色づいた町の様子がそれなりに遠くまで見渡せる。
 その情緒ある風景を背に立つ、長髪の少年……桂が、怪訝そうな顔で坂田を見上げていた。

「金時、どがあした」

 そして坂本もまた、桂の隣に立っている。

「いや……って、だからお前、金時って一文字も合ってねーからな?」
「アッハッハ!」

 息をつき、再び前方を見やる。
 町から少し離れたからだろうか、高杉の言った噂のために不気味な印象のあったそこは、いっそ清浄すぎるほど静かに彼らを迎えていた。

「この道だな」
「はい」

 本来桂を連れてくるつもりはなかったのだが、詳しい場所を尋ねた際に彼自らが連れて行ってくれと頼んだため、こうして三人で来たのだ。
 道中高杉の家にも寄ったのだが、誰も応対に出ず、例え高杉だけが在宅しているのだとしても恐らく出て来はしないだろうと想像し、結局彼に会うことは叶わないままだ。

「行くぞ」

 桂の案内に従った先に、竹林へ入る通路があった。
 おそらく土地の管理人が使うためのものだろう、細い道だ。
 獣道にさえ見える。

「辰馬、お前はその噂ってのを聞いたことはあったのか?」
「いんや。けんど、生徒らに聞いたら昔は学校らしかったちゅう話ぜよ」
「ああ……マジか……俺もう帰っていいかな」
「ダメじゃき」
「ですよね」

 最初こそ道と呼べるものだったが、進めば進むほど、時に桂の案内が必要になるような場面にも出くわした。
 しかしよく見ると、高杉たちが前回来た時につけたのだろう、目印のようなものが見受けられる。
 腰の低い位置にある、草木の枝を折り曲げたもの……それが、まっすぐに点々と続いているのだ。
 おそらくそれが、廃屋跡地に繋がっているのだろう。
 まもなく、坂田たちは道に迷うことなく開けた空き地に出た。

「うっ」

 まだ竹藪の中ではあるが、それでも少なくとも開けた場所なのだから少々開放感を抱いてもいいだろう空間だ。
 しかしここではそれがまったくなかった。
 坂田は空き地に足を踏み入れるその瞬間、喉を押さえる。
 場の侵入者たる坂田を拒むように、奔流となって襲ってきたのは開放感どころか、むしろ息が詰まりそうなほどの閉塞感。
 重く苦しい、何か、気配を感じるのだ。
 後ろに続く桂や坂本に向かって危機を叫ぶ。

「オイオイオイ! マジでヤベェぞここ!」

 何だって高杉はこんなところに。
 そう続けようとして、視線を上げた坂田は凍りついた。

「先生、元気?」

 桂と坂本がいるはずのそこに立っていたのは高杉だった。

「……お前、なんでいんの……」

 高杉は自宅謹慎中のはず。
 ここまで誰にも出会わなかった。
 単純に考えれば、行きがけに坂田たちが高杉の家に寄った時、あの家の中は居留守ではなく本当にもぬけの殻だったということになる。
 しかし咄嗟にそこまでの判断しかできなかったことを、坂田はすぐに後悔した。

「……辰馬、ヅラはどこだ?」

 すぐに辺りを見渡して、瞠目する。
 二人とも、竹の根元に寄りかかるようにして倒れていたのだ。

「おい! おいお前ら!」

 慌てて近づき、再び息を呑む。
 バケツから零れるペンキのように流れ出た血が、駆け寄った坂田の靴の形をなぞるように広がっていく。
 動揺と混乱と恐怖で固まってしまった指で、携帯を取ることなど不可能に近い。
 辛うじてポケットから取り出せたそれを手のひらで滑らせ、血だまりに水没させてしまう。

「先生」

 拾い上げようとするも、高杉の声に、生徒の声に大袈裟にびくついた手がそれを許さない。
 ここで坂田が教師として一番にするべきことは、高杉に対する安否の確認。
 しかし、坂田にそれはできなかった。
 とても、出来るような状態ではなかった。

「お……お前、なんのつもり、だ……?」

 坂田がこの場に足を踏み入れた瞬間感じた、異質な空気。
 その気配が、今坂田の向いている前方から放たれている……そう、高杉から。

「先生。俺、知ってたんだよ」

 そばで幼馴染みと教師が血を流して倒れていることなど、お構いなしで。
 高杉は平然と坂田の隣を通り抜けた。
 自然と彼を追って視線が動く。
 指定の学生服に包まれた背中、手に提げた懐中電灯。
 そして、その向こうに……──廃屋など、なかった。

「ここに」

 高杉は空き地を、文字通りの”跡地”を、中ほどまで進んだところで無造作にしゃがみ、地面を指差した。

「ここに、俺が埋まってるんだ」

 高杉の指は既に土に汚れていた。
 よく見ると髪や制服にも汚れが見える。

「知ってたか? 俺はあれから生き延びて、そして、この場所で、惨めに死んだ」

 がりがりと土を引っ掻く音がする。
 指の汚れは土だけではなく、石や虫が食い込んだ傷でもある。

「俺を、先生を裏切ったテメェらを心底恨みながら死んだ」

 ひと盛りの土を手に握り込み、高杉は坂田の方へ開いてみせた。
 湿って艶やかな土と、髪、そして、白い骨。

「俺ァそんなもん信じちゃいねェが……言ってみりゃなんだ。今も”昔も”、最後にゃこの場所に辿り着けた。そいつァ奇跡だったのかもしれねーなァ」

 この”松下村塾”に。

「しょ……う、」
「テメェは思い出せねェさ。俺がそうさせねーからなァ。ヅラは、この場所に来てやっと自分が誰だったのか、気づき始めてたみてえだったが」

 高杉は、そう言った。

「辰馬は知らねェのが当然だ。アイツは”ここ”に来たことがねーからな。だが、あの時俺をブチ抜いた鉛玉の重さは……ククッ、忘れられねェかなァ」

 坂田には、高杉が何を言っているのか全く分からなかった。
 それでも今、目の前にいる高杉が、己の生徒ではないことだけは明確に感じ取っていた。
 高杉の、懐中電灯を持つ手と逆の手が、はだけた制服の内ポケットに入る。
 この状況で、おそらくそこから出てくるのは、彼が派手な喧嘩が好きであることさえ知っていれば想像に難くない、

「テメェを殺したら、次は眼鏡とあのうるせェ小娘かな」

 ──血のついたバタフライナイフ。

 坂田はその切っ先を向けられた時、その時だけ、確かにそれを刀に錯覚した。
 左腰に提げた重さ、右腰にかかる服の重み、眼鏡のフレームさえ溶けて。

「なァ、銀時」

 ただ血のような夕焼けが降り注いでいた。




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