歩兵

死んだのはもう何十年も前の話になるのだが、今こうして俺はあの時と変わらぬ長い髪を垂らした桂と、焼け野原であったという土地に屋敷を建て、そこで将棋を打っている。彼とは、会うべくして会った。そういい表すほかないほどに、出会いは自然であった。
 「はて、高杉。その一手はお前らしくもない」
 「あァ、そうだろうか」
 「うむ。随分と弱気だ」
 桂の洞察力は衰えを知らず、未だひやりとさせられることも多々ある。しかしそれが彼の命を助けることはなく、それほどまでに今の世は平和なのだと思えば、類まれなる才を発揮できぬこの男を憂うこともない。
 しかしまあ、惜しいと思うこともなくはない。
 「足が寒いな」
 「確かに冷えるが、それがお前の心持ちの変化に関係するとは思えぬな」
 「それはどうだろう。人は温度と生きる生物だ」
 「しかしだ、高杉。お前は今よりも冷え込む昨日の早朝、俺にぐうの音も出させぬ一手を打った。して、これはどう説明する」
 「さァな。昨日の朝飯が美味かったから、だろうか」
 くるりと手のひらで歩の駒を回し、真面目に考え込む桂を愉快げに眺める。
 彼の目尻は幾分か垂れたような気がする。元来中性的な体つきであったものの、それに拍車がかかっている。優しげな物腰は相も変わらずで、それゆえに坂田からはこう呼ばれる。
 「母さんや」
 ふわりとそのゆるい色をした髪を揺らし、桂の背後でごろりと寝返りをうった。こん、こん、と桂の背中を叩いたかと思えば、うんと伸びをしてまた仰向けに転がる。
 「なァ、母さんや。俺はどうにも気に入らないことがある」
 「なんだ、銀時」
 「高杉らしい一手とは、一体いくつあるんだろうな」
 「はて」
 「つまりだ。弱気な一手も、また高杉だということだ」
 くすりと笑って肩を揺らしていたかと思うと、ちらりとこちらをみた坂田は、すう、と目を閉じて、また穏やかな呼吸をし始めた。
 彼とも又、なんとも自然に出会った。小さき頃にはすでに隣にいて、仲違いをすることなくこうしてともに過ごしている。不思議なことだ。けれど、おかしなことに違和感はなかった。まるで刀が鞘に収まるが如く、それは三人の中に当たり前のように存在する日常となったのである。
 「銀時の言うことも腹ただしいが、まァ、一理ある」
 盤越しに坂田の頭を蹴飛ばしながら、桂のぬばたまのように黒い瞳を見つめる。それは少しの戸惑いと、全てを享受しようという母性とが混濁していて、とても綺麗な色をしていた。
 「俺だって、寒ければ気も滅入る。足が冷えれば、早くこの局を終わらせようと、いい加減に負けの一手を打つことだってあるさ」
 「では、囲炉裏に火でも焚くか」
 ほれ、持って来い。
 そう言って蹴られても知らぬふりをして眠っていた坂田の尻を叩いた桂は、そうすれば寒くないだろうと笑った。
「寒ければ、火を焚けばいい。何故それに気付けなかったかな」
 止めていた手を動かし、几帳面な一手を打ってくる。叩きに叩かれ渋々立ち上がり始めた坂田を横目に、桂は爛々と瞳を輝かせながら将棋を楽しんでいた。
 「楽しいかい」
 歩兵を動かし、飛車を駆けさせ、角を躍らせる。鮮やかに盤の上を駆け回る桂の駒たちは、勢いを殺すことなく高杉の本陣へと攻めてきた。
 かつて彼は、この木で出来た駒を人に変えて将棋をしていた。今よりもずっと鮮やかな腕で、桂は兵たちを動かし、勝利し、そしてその度に涙を流した。散っていく自身の駒を思い、消えていく敵陣の駒を憐れみ、決して笑うことはなかった。
 「桂よ、将棋は楽しいかい」
再度問いかける。
桂の成った歩を見つめていると、いつかの部下の死に顔が浮かんだ。桂を守るために刃を受けたあの者は、今の俺たちのように自然に誰かと再会を果たせているのだろうか。
 あと一歩で王手というとき、桂は何故かその手をおろした。
 どうした、と目線をあげようとした時、ぱちん、と何かが弾ける音がして、一気に室内が温かくなった。
「おらよ、火だ」
 先ほどまで灰をかぶっていた囲炉裏に、いつの間にか火が灯されていた。不貞腐れたように胡座をかいて座り、火の世話をしている坂田の背中が、ゆらりゆらりと影で揺れる。
 「高杉よ」
 「なんだ」
 「お前は将棋を打つとき、至極淋しそうな顔をしていることを知っているか」
 桂は火を焼べる坂田の背に体を任せると、小さな深呼吸をして伸びをした。ぐん、と伸びる背筋。そうしてくるりと背を振り返った桂は、お主は知っているだろうと、坂田の顔を覗き込む。
 「さァな。野郎の顔なんざ、そんなにまじまじと見ねぇもん」
 「そうか、面白いものだぞ」
 「へいへい」
 すっかり盤から身を離した桂は、坂田の顔を覗き込んだまま、彼の膝に頭を下ろした。対局の疲れか、ゆっくり瞼を閉じた桂は、そのまま微笑を含んだまま動こうとしない。
 「おいこら、ヅラ。俺の膝は手前みてぇな男の頭をのせるためにあるんじゃねぇぞ」
 「ヅラじゃない、桂だ。そうケチケチするな、どうせ嫁にもらう女もおらぬくせに」
 「居るさ、そんな女の一人や二人」
 「うむ。母さんとしては、嫁になる娘は一人に絞っていて欲しいところだが」
 「うるせェ、糞ババァ」
 坂田が口汚い言葉で桂を罵ったとき、スパンと襖が勢いよく開き、重みのある足音が響いた。
 「こら、金時。母さんに向かってなんじゃその口のききかたは」
 ぺちん、と坂田の頭がいい音を鳴らす。それと同時にふわりといい匂いが室内に漂い始める。無駄に大きな体を屈めて入ってきたのは坂本で、その手には湯気の漏れる鍋があった。
 「うるせェ、銀時だ」
 「ほんにおまんは親を大切にせんのう」
 「ヅラは親じゃねぇよ」
 囲炉裏の鉤に鍋をかけた坂本は、再度坂田の頭を叩くと、決着のつかぬまま放置された盤に目をやって、大きく笑った。
 「桂よ、おまん随分がいな手ば打っちゅうの」
 「高杉を懲らしめる為だ。致し方ない」
 「そげなえずいことしてぇ、いかんと」
 「いいんだ。どうせその勝負は無効だ」
  桂はようやく坂田の膝から頭を起こすと、盤からすべての駒を拾い上げ、箱にしまってしまった。
 「記録係もおらぬからな、再開もできない。この試合は無効だ。いいな、高杉」
 「勝手に片付けておいて、良いも悪いもないだろう」
 仁王立ちする桂を見上げながら、込み上げる笑いを耐え切れず吐き出す。彼の馬鹿みたいに正直な行動は、どうも一度の死では抑えられないようである。
 「まァ、良い。腹も減ったしな」
 「おお、そうだ。今日はなんだ坂本」
「ぼたん鍋ちや」
「げ、またかよ」
「なんじゃあ金時、文句あるなら食べゆうなや」
またしても頭を叩かれた坂田は、すっかり機嫌をこじらせてしまってそっぽを向く。しかし構わずにそれぞれが座れば、自然と囲炉裏を四人で囲うこととなり、在りし日の記憶がまるで昨日のことのように高杉の胸に溢れた。
 「高杉よ、案ずるな。もう歩兵は、ただの木の駒へと戻ったのだから」
 しゃんと伸びた背筋が、出陣を命じるかつての桂と重なる。
 「さァ、手を合わせろ。夕飯にしよう」
 そして、パンッ、と柏手を打った桂と、じっと静かにこちらを見つめていた二人の顔をみて、高杉はまさか、という小さな希望を押し殺し、ぼたん鍋へと箸を伸ばしたのだった。
 



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