もう直らない壊れものの話

近衛府の役人によって捕らえられ、縛り上げられ宮中の牢へと入れられた。
皇族殺しという大罪を犯そうとした私には当然の処置、だが東宮である宮の暗殺は私の叔父が企てたものだ。

私は叔父上を止められなかった。

叔父上は東宮の次の弟君であらせられる月英の宮の後見人だったのだ。

病弱で、いつも宮中で影の処遇に甘んじておられる月英の宮への思慕を思いあまり、東宮をしいし奉ろうなどと愚かなことを考えてしまった。

以前からそれを止めていたが、最近になって特に不審な動きをするようになり説得しようとしたのが誤りであった。


暗殺の話を掴み、
叔父上の御殿に踏み込むと冷たい目で言い放たれた。

『もう遅い』と。

今頃は東宮の屋敷に族が侵入していると言い放たれ、身を引き裂かれる程の哀しみのまま宮の元へ急いだ。

私は間に合わなかったのだ。

血塗れの宮の姿が思い浮かんで私は一人、牢の中で唇を強く噛みしめる。
宮への申し訳なさで、このまま死を待とうと思っていた。


二つの月が空に懸かっている。
その二つの月は離れて今は輝いていた…まるで私と宮との距離の様に。

それを牢屋の明り取りの格子窓から見上げれば、遠い昔のことのように宮と共に舞った青海波を思い出す。


鼓の音が聞こえた気がした、羽根を広げたような笙の音も。

足を共に打ち鳴らす。

手を振り上げれば、袖が翻る。

紅葉が鮮やかに舞い散っていた、あの晩秋の日。

視線で互いの動きを語りあった瞬間が・・・堪らなく愛おしかった。

宮の衣の裾がひらりっと翻る。


『智彬』


宮に呼ばれる自分の名が誇らしく愛おしかった。

今は遠い思い出に。
知らず、涙が溢れて止まらなくなる、私は袖を涙に濡らして眠った。
うずくまりながら、ひどく心が冷えていた。

ただ側に居たかった。

その余韻だけを抱えてみた夢は、起きた時には覚えてはいなかったけれど、切ないほど懐かしい夢だったことだけは覚えている。




そして宵の月が隠れ、明けの時間になると。
近衛府長官が牢屋の前に立っていた。
漆黒の髪に男らしい整った顔立ちの帝の懐刀。
この人には大分、殿上童の頃より可愛がって貰ったのに、このように賊として捕らえられ申し訳なさが募った。

「出るといい、宮がお待ちだ、智彬殿」

いまだに私を名で呼んでくれる優しさに不覚にも泣きそうになった、玲瓏な声で呼ばれる。

そして差し出されてくる手を取れば、そのままグイッと引き上げられ、耳打ちされた、

「気をつけなさい、宮は気持ちが乱れておられる」

云われなくとも、知っていた・・・
そしてこの宮の呼び出しを考えれば、自ずと何かは想像がつく。

断罪だ。

けれど宮の手で反逆罪として処刑させるなら、それで良かった。


我が左大臣家は皇族の血も入っている。
私が産まれた時から、宮の幼馴染となる事は決まっていた。

全て決まっていたのだ・・・

そして初めて宮とお会いした時、まるで天満月を間近で見たときのようだと想った。

あの時の素直な感嘆をもって私は宮の側で年月を重ねた。

今、罪人として宮の東宮殿に上がり殿を穢しながらも、彼に最期に逢える喜びで胸が痛かった。



しばらく見慣れた東宮殿を歩み、そして辿り着いた。
私を送り届ければ近衛府長官も場を外し、宮と二人きりになった。


息がつまりそうだと思った、簾の向こうに東宮がいる。
香るのは彼が使う清涼な月下香。

「智彬、参りました」

頭を垂れると声がかけられた、どこか苦悩をはらんだ玲瓏な声。

「俺に申し開きは」

その言葉で、まだ私を救おうとなさって下さっていることに、感謝が溢れた。けれど、

「幾ら私が言葉に尽くそうとも、宮のお心にかかった霧を晴らせませぬ。」

宮は次代の帝として罪人である私を見捨てて欲しかった。
私は叔父上を止められなかった責任がある。

まして私がここで本当のことを話せば、宮は私の叔父上が月英の宮を思って起こした反逆であったと知るに至り、弟君を罰せざるを得なくなる。

それよりは全ての咎を抱えて・・・叔父上ももはや大それたことはなさらないだろうと。

頭を垂れつづける。

さながら首を差し出すように。



だが智彬は知らない、簾の向こうで宮が手を握り締めたことを。
東宮の唇が噛みしめられて小さく呻いたことも。

彼が至高の位ゆえに抱えていた孤独。
それをギリギリの一線で支え続けたのは幼馴染である智彬だった。
幼い頃からの気安さから智彬は大人になっても一人の人間として、友人として宮の側にいた。

それが陰謀渦巻くこの宮中に置いて東宮が唯一、感じる暖かさであった。

それが暗殺と、差し伸べた手をにべも無く払われたことで…宮は絶望したのだった。


(そうかお前を俺を見捨てるのか、智彬・・・お前も俺を独りにするのか。)


至高の位で独り、悲哀を抱えていたことを、智彬は知っていたのに。
その時の宮の心情を正確に把握することはできなかった。




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