「おい、黒琥っ大丈夫か?」

近くにいるはずの冬樹の声が遠くて、寒さを感じながら…俺と世界の間に薄い紗幕がかかっているようだった。
(世界はどこも闇に包まれていて、俺には先を見通すことすら出来ない)
俺の意識は闇の中で、凍えている。

「どうしたんだよ、黒琥っ」
何時になく慌てた冬樹に黒琥は上半身を起こされ、その視界に心配そうに覗き込む冬樹の姿をうっすらと映した。
ザァザァと叩きつけるような雨が厭が応にも体温を奪ってゆく。

その″弟″の様子を、惣一も見つめていた。

霞む意識と大粒の雨の中で、黒琥は瞬きをして何とか視界の向こうに惣一の姿を映そうとしたが、それは幾らもしないうちに閉じられた。

黒琥の様子に雨音に交じって、微かな舌打ちが響く。

「低体温症。それも意識障害か、面倒くせぇ」

その声は揺らぐことなく、黒琥の状態を正しく認識しているようだった。

冬樹が顔を上げた所で、惣一はパシャッと水溜りを踏み抜いて二人の側にかがむと眉間に皺を寄せたまま…
その不機嫌な表情とは裏腹に優しい手つきで黒琥の雨に濡れそぼった髪を掻き上げた。
そのまま青白くなっている黒琥の顔色を診ている彼に冬樹は不安が耐え切れなくなり思わず言葉がついて出ていた。

「おいっそれって大丈夫なのかよ」

途端にうんざりする様な、呆れたような表情で惣一は溜息を零す。

「うるせぇな低能。知識ぐらい身に付けろ。」

ここで冬樹が惣一を殴らなかったのは、腕の中に黒琥がいたからだ。
いや頭が悪いのは自覚しているが何故こんなにコケにされなければならないのだ。

「ふざけんなっテメェ、人のこと馬鹿にしやがってッ」

黒琥を腕に抱いたまま呻る冬樹に惣一は頓着せずに言う。

「教養を身につけない馬鹿には何を言っても無駄だな、生きるための知恵ぐらい身に付けろ。」

思わず、思わずだった。冬樹は目の前の黒琥の兄と名乗った男をまじまじと見ていた。
(さっきのは俺を馬鹿にしたんじゃねぇ)
それが分かると、反発しか抱かなかった目の前の男が″黒琥の兄″だと、じわりと感じられた気がした。

「…不本意だ。不本意で不愉快だが仕方ねぇ。」

どこか自分自身に言い訳するように呻き。
土砂降りの雨の中で″黒琥の兄″は冬樹に言った。

「そいつ寄越せ、俺が連れて帰って処置する」

冬樹に選択の余地など無い。
既に彼の中で決定していることを傲然と惣一は告げた。
それは人を動かすことに慣れた人間だけが放ちえる言葉だった。




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