これが現実

惣一は薄暗がりの廊下で待っていた。

売春被害者の女たちは部屋に集めて、同じ女の性を持つシノを行かせて話をさせる。
男のそれも極道が最初に顔を出すもんなら、きっと彼女たちは酷く怖がるだろうという惣一の配慮だった。

そして十数分もした頃だろうか女たちを集めて話をしていたシノが部屋から出てきて惣一を手招きする。

惣一は溜息を零して薄暗い部屋の中に入ると既にシノから解放されると聞いていたのだろう女達には隠し切れない歓喜が見て取れた。
だが今回は助けたが、いつもこうとは限らない…惣一は搾取し、支配する側の人間だからだ。
結局、短く惣一は言った。

「今回のことは骨身に沁みたろう?
暗がりには人を喰い物にしようとする輩が有象無象にいるんだ、世の中を甘く見るな。
…自分のことは自分で守るしかねぇんだぞ。」

家族が心配するだのは自分が『家族』を持っていないからこそ、惣一は言わなかった。
…自分も闇をしょってる、あとは女たちが自分で考えるだろうと踵を返す。

扉から出ようとする彼の耳に弱く「有難うございます」という声が聞こえた。



月宮の屋敷から、またバイクを走らせる。冬樹も無言で俺の後ろに付いてきていた。

ザアアアアアアッ

雨足が段々と土砂降りのていとなってきており、ライダージャケットの上から体を凍えさせる。
けれどそんなことはどうでも良くて、オレは黒田から聞かされた惣一がいる場所へと向かったのだ。
時間は長いようにも短いようにも感じた。
そして…東京郊外の薄暗い路地に不釣り合いの黒塗りのベンツが横付けされているのを見つけてオレは詰めていた息を吐きだす、その息も白く凍える。

バイクを降りて何処から入ればいいか、それとも此処で待とうかと思案しつつ、冬樹には「この雑居ビルの上にどんな店が入ってるが見て来い」と指示を出す。冬樹が「めんどくせぇ」と渋っているのを追いやって自分はどうしようと思案していると、雨音に交じって地下階段をカツンと歩いてくる足音がした。
安っぽい金属製の階段を上がってくる音。
雨で濡れた瞳で階段の入り口を見やると、街灯の光がボウッと幻想的に滲んだ。


其処に現れた姿に息が止まるかと思った。


黒目黒髪の冷厳な雰囲気でイタリアスーツを隙なく着こなす姿。
月宮 惣一。


嗚呼こんなに焦がれていたのかと、雨に紛れてなぜか自然に涙が溢れる。
溢れて止まらなくて切ない。
其処に現れたのは確かに惣一だった。

「っ」

だが声をかけようとした俺の足は惣一のすぐ後ろから来た鮮やかな女性の姿を見て凍りつく。
女性はしとやかな体に赤いドレスを纏い、繊手に傘を持っていた。
彼女は、″前″ルートの時に惣一がクラブで抱いていた女だと直ぐに分かって胸が軋む様に痛む。

そしてベンツとの少しの距離も惣一が濡れないよう彼女は傘を開いた。
女性らしい優しさで彼女は自分に頓着せず惣一を中心に傘をかかげ、そんな彼女に惣一は柔らかい微笑を零して。
「お前が濡れる、ここでいい」と言っている。

それすら…黒琥には辛い。

「じゃあなシノ、少し出るがまた来る…此処を頼むぞ。」

傘の下、ゆっくりと近付く二人の距離。

「やめ…」

やめてくれとは声が凍ったように出なかった。
口付けあう二人は美男美女でお似合いの二人だったから。

胸が痛い。
だって俺はアンタを追って此処まで来たのに。



ザアアアアアアアアッ

雨音がまるで逃れられない檻のようだ。
雨の中で黒琥はその光景を見詰めることしか出来なかった。

思い知らされる。現実をつきつけられる。
『愛してるぞ、黒琥。』言われた筈の言葉が虚しいと思った。
虚しい、こんなにも心が寒い。

「・・・そぅぃ…」

涙が止まらない。
雨はキライだ。

あの時みたいな冷たい雨がオレの心を打ち据える。
燃え盛る炎にまかれて俺は何も出来ず、ただ待つことしか出来なかった時間を思い出す。
どれくらいの時間だったか。
口付けを終えて、ベンツに乗り込もうと偶々こちらを向いた惣一は最悪なことに雨の中で立ち竦んでいる俺を見つけてしまった

兄貴の漆黒の瞳がずぶ濡れのオレを映して見開かれる。
視線が合わさる、その瞬間を何て言えばいいのか分からない…涙が溢れて、その涙も雨が洗い流してゆく。
雨の中だから泣いていることを気付かれないのが幸いだ。

その視線につられる様にシノさんも俺を見て、

「貴方、大丈夫?」

優しさが、こんなにも傷つくものだと知らなかった。
ドブネズミのように暗がりに佇むオレ、惣一の傍らに佇む綺麗な人。

(あまりの違いに嗤いだしそうだ。)

シノさんがこちらに来ようとする。

「よせっ!シノ!お前は中に入ってろっ!!」

それを留めたのは、厳しく言い放った惣一の言葉だった。
何時になく張りつめた空気の彼の言葉にシノは頷いて、元来た階段を降りてゆく。

俺はただ惣一の側にいたい。
ただそれだけだったのにな。


ザアアアアッと白い紗幕のように雨が俺と惣一を隔てる。


雨が降りしきる中、惣一は濡れるのも厭わずに佇んでいる俺の前まで歩を進める。
ぴしゃんっと彼が雨のなか地を踏みしめる水音をただ聞いていた。
そして俺はただオレに近付いてくる、惣一を見詰めていた。

その怜悧な美貌。
スーツが雨に濡れる、いっそ妖しいほどの雰囲気を纏う男。
そしてある程度の距離を保って、惣一は佇んだ。

「…普段、遊び歩いてるテメェがオレに何の用だ。」

その言いざまには侮蔑が込められている。
『ここでの』俺と惣一の関係が分かりやすい程に分かる…俺は惣一の家庭を壊し、母親を狂気に落とした淫売の子なのだ。


「会いにきちゃ悪いのか」


俺の言葉に惣一は不快気に目を細めた、それだけで殺気が溢れる。
バシャンッと水溜りを強く踏み込む音。
そして一瞬の後に、ヒュッと視界から惣一が消えたかと思ったら、腹に重い拳をもらっていた。
めり込む暴力に息が止まる、ヒュッと息が詰まる。

ドッと叩きつけられるように地面に這い蹲らされると、容赦ない蹴りで再び腹を蹴られた。
やっぱり"この世界でも"惣一は鬼のように強かった。

「ガッァッグッ」

都会の冷たい水溜りに這い蹲って、見上げると…恋した男が自分を蹴っている…そんな現実。



・・・けれどアンタは生きてる。


知らず、泣きながら黒琥は笑っていた。
それに惣一は漆黒の瞳を見開いて、黒琥を蹴っていた足を止めた。

「…なに嗤ってやがる、ウゼェ」

だがそれは、より彼の機嫌を損ねただけだったらしい。
今度は脇腹を上から踏みつけられる。

「グッ」

視界に、怒りに表情を歪めた惣一が映って…ああ俺はどこで『選択』を間違えたのかと切なく思った。




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