過ぎた季節

月やあらぬ 秋や昔の秋ならぬ
  我が身ひとつは もとの身して

フッと藤姫は以前,真貴によって使われていた室から聞こえる艶麗な声が気になって足を向けた…
その室は彼女が喪われてからも,そのままにしてある…それを僅かな心の拠り所としている男も彼女は知っていた…

そしてその予想通り…月光に照らされた友雅が高欄に座っていた…声をかけるのが躊躇われる…藤姫は友雅の苦しみを時々に垣間見たから…なおさら…

『私も…死んだ…』

蘇る言葉…だが藤姫が悩んでいると,友雅の方から気付いて声をかけてきた…

「藤姫?どうしたんだい?」

そしていつも通りの明るさで『おいで』と言われた事に安心して吐息が零れた。

「こんな時間にどうしたんだい?」

「それはこっちの言葉です。友雅殿…こんな夜更けに他人の館に忍び込むなんて…それでも右大臣なのですか?」

藤姫の言葉に友雅は苦笑した。

「でも藤姫。君,私にいつでも来て良いと言ったじゃないか…」

確かに言った…ので藤姫は口を閉じる…だが随分,前の話だ…そうあれは真貴の葬儀があった日だった…



そう覚えてる…友雅殿は幾日も幾月もずっと神泉苑で真貴様の帰りを待っていた…秋になって冬になって…以前,真貴様と出会った春になっても…

しまいには天真殿が怒鳴り散らした。

『いいか!!真貴は死んだんだよ!!大の男が,みっともなくウジウジすんな!!』

普段なら,ここで返される言葉は皮肉などの筈…けれど…

『すまない…』

それだけだった,その言葉に天真殿は逆に辛そうに顔を歪めて…何も言わなかった…言えなかった…

そして…いい加減,葬儀をしなければならないと父上が話を提案した時…

『ふざけないでもらいたい…』

凍った瞳と冷たい声に一瞬にして場が静まった…

『真貴殿は死んでない!!葬儀など出来るわけ無いでしょう!!』

私の初めて聞いた友雅殿の叫び声だった…その言葉に普段,怒ったことの無い父上も激して…

『でも生きてることもわからない!!』

途端に友雅殿の顔から表情が一切消えて…

誰も言えなかった…近すぎるが故に言えなかった言葉を父上は友雅殿に言った。

『貴方も責任ある立場なら…その責任を果たしなさい…真貴殿がそうしたように…』

俯いた友雅殿の顔は…泣いてるように見えた…

そしてついに野辺送りの日…早朝…空の棺を抱いて…声を殺して泣いている友雅殿を私は見てしまった…早朝ではない…深夜との境目ぐらいの時分…おそらく眠ることが出来ずに此処に来たのだろう…

『真貴殿…』

聞いているこちらの心が砕け散りそうだった…

寂しそうに…哀しそうに…想わず零れ落ちた一言に私は涙を止めることが出来なかった…真貴様,どうして逝ってしまわれたのですか?貴方は此処に大切な者を多く残してるのではありませんか?

『自分のせいです』と,また同じ傷を抱えた頼久…

『力になれなかった…』と俯いた天真殿…

『一言も無いなんて最悪な奴だぜ…』口では悪く言っても涙を瞳に浮かべていたイノリ殿…

『なんでえぇ!!逝かないでよ!!』と言って泣きじゃくる詩紋殿…

『守れなかった…』と額に手を当てた鷹通殿…

『私に代わりが出来れば,どんなにか良かったことか…』と言葉を途切れさせた永泉様…

『私にもっと力があれば…』と囁いた泰明殿…


そして…『真貴殿…』と零れ落ちた想い…これ程の想いを置いて…何故,逝ってしまわれたのですか!!

言葉に出来ない…することなど出来はしない…


外は梅が咲いていた…香りが鼻孔をくすぐる甘く感情を沸き立たせる春…けれど今はその艶やかさが疎ましいと想ってしまう…

君がいないだけで…真貴殿…

君がこの世界の何処にも存在していない…いない…何処を探しても…

一年前には自分がこんな想いを抱えることも想像しなかったのに…

微かな嗚咽を唇を噛むことで耐える…何時から私はこんなに弱くなったんだろう?

空を仰ぎ見れば…快い春の日差しが目を刺す…憎憎しい程に…暖かかった…

「ではそろそろ行って参ります…」

従身達は空の棺の乗せられた輿を担いだ…

そう真貴殿の遺体など入ってない棺…それに耐えていた涙が零れて…

愛してる…だから…この『想い』を君に届けたい…

刀をスラッと抜き放つ…周りが騒然とする中…友雅は周りが止める間もなくザシュッと自身の艶やかな漆黒の髪を切り捨てた…

そして…呆然としている周りに…

『私も…死んだ…だからこれを空の棺に納めてくれ…』

君がいないのなら…私は死んだも同然なのだよ…私に君が『想い』をくれた…だから私は生きられた…君の微笑…君の呼ぶ声…そんなことが…幸せだった…喪ってから気付くなんて愚かとしか言い様がないけれど…

でも君に通じるといい私のこの『想い』が…


フッと昔のことを想い出して友雅は溜息をついた…

そして月を仰ぎ見る…今,天にかかるのは春の暖かな陽ではない…涼やかな秋の月…

まるで其処に愛しい者がいるかのような目で…仰ぎ見る…

それを目の当たりにして藤姫は目を見開いた…あぁ,まだこの方は取り残されてる…そう想った…

どのくらいそうしていただろう…

「さてこれくらいにして…私も帰ろうかな…これでも忙しい身なのでね…」

友雅は,そのまま欄をまたぐと,フワッと高欄から地へと降り立つ…その優美な姿に思わず普段から友雅を見慣れている藤姫の頬も染まった。

「じゃあ,また藤姫…」

さっさと下にあった靴を履いて藤姫に背を向ける友雅…

「あっ…」

呼び止めようとした時には,もうすでに遠かった…

「本当に…寂しい方…」

誰一人,彼の内には入れないのだろう…喪われた唯一を除いて…藤姫には,それはとても不幸で…そして幸福なことのように想われた…





月やあらぬ 秋や昔の秋ならぬ
   我が身ひとつは もとの身して


月は…昔のままではないのだろうか…秋も昔の秋ではないのだろうか…ただ私の身だけは元のままで…辺りのモノは全て変わった気がするよ…

ただ私だけが周りに置いて行かれてる気がするのだよ…君の死を受け入られずに…




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