海〜別離〜


吹き荒れる風に艶やかな髪を乱して…彼の周りは白銀の光が埋め尽くしている…そして何より強い光を宿した美しい稀有な瞳…

我知らず真貴の心は高鳴った…

きつく背に回されている力強い腕に全てが攫われそうになる…

「真貴…」

囁かれる言葉が…熱い…

そのまま…それこそ自然に…何の思惑も無く…二人は白銀の光の奔流の中…唇を重ねた…

二人にとって…これが初めての…心の奥底からの触れ合いだったのかもしれない…

ただ触れるだけの熱…

それが何故…こんなにも『切ない』のだろう…

それが何故…こんなにも『暖かい』のだろう…

この『想い』を人が何と言うのか…知らない…

この『想い』を…まだ知らない…

このまま…時空が止まったら…

このまま…この腕の中に居られたら…

この感情の奔流は何…景時さんに逢いたい筈なのに…

なぜこんなにも…翡翠の腕の中が心地良いと想ってしまうのだろう…

白銀の光が集束していく…真貴を中心として…


そして翡翠は真貴から唇を離した…そして手を延ばしその白磁の頬…何故か雫が伝っていた頬を…壊れ物のように優しく拭い…


幸せそうに微笑んだ…


このまま…この人の側に居たら…私はどうなるの…心が軋む…

こんなに魅力的な人を前にして…私は私でいられるのだろうか…

こんな感情は知らない…激しくて…足元から崩れ落ちそうなほど不安で…そして…涙が出るほどに…切ない…

翡翠…

けれど…二人に残された時は…あまりに短かった…
『神子』である真貴が願えば時空を飛べる『白龍の逆鱗』…決して途中で、動き出したその力を止めることは…出来ない…

たとえ真貴自身でも…

白銀の光が集束する…真貴を中心として…

翡翠は、それが神気が収まっているからだと思っていた…それは真貴の元に辿り着いた途端に、あの圧力がまったく無くなったせいでもある…

この腕の中にいる真貴をいったい誰が攫えるというのか…たとえ龍神でも…

もう離せない…離さない…大切な者を喪う哀しみは…もう充分過ぎる程に想い知ったから…離したくない…


けれど…


真貴には判っていた…もう時間が無いと…これは時空を渡る一歩手前の神気の集束…

もう時間が無い…

もう…側にはいられない…

耐えられなかった…真貴は翡翠に抱きつく…

それに驚きつつも笑って翡翠も強く真貴を掻き抱いた…

「どうしたんだい…君らしく無いね…」

そしてフワッと抱き上げられる…暖かく…優しく…抱き上げられる…まるで宝物のように…

真貴が翡翠を見下ろすと稀有な美しい瞳と視線が交わって…その穏やかな光に…

心が震えた…やっと…本当の『翡翠』を垣間見た気がした…

また真貴の黒曜石の瞳から涙が溢れて…翡翠の頬に落ちた…ひとつ…ひとつ…雫が零れて翡翠の頬を止めどなく濡らす…まるで涙の紗幕のように…

それに何かを感じたのだろう…翡翠は、その瞳を見開く…

嫌な予感がした…

抱き上げた肢体は軽く…そして柔らかかった…あまりに儚い君…そう…一瞬後には消えるような…何故そんな顔をするのか…

「いったい君は…どうしたんだい…」

それが…まるで合図であったかのように…白銀の光は…真貴を包んだ…
いや…包んだというより…その輪郭を消してゆくと言った方が正しいかもしれない…

徐々に真貴は翡翠の目の前で…その存在を消してゆく…まるで最初から居なかった者のように…

真貴の視界も…薄く白銀の紗幕がかかったようで…翡翠の姿が掻き消えてゆく…
その艶やかな髪も…その煌めく瞳も…全て…

消える…

「なっ!!真貴!!]

翡翠は稀有なる瞳を見開き…真貴を抱き上げる腕の力を強める…
けれど…時空を渡る為に消えていく真貴を止める手立てなど無かった…

翡翠の手の中で…真貴の感触が薄れ…暖かさが消えてゆく…僅か数刻前には腕の中にあった暖かさが…


初めから…本当は惹かれていた…一目見た瞬間から…きっと…


耐えられ無い…

行くな…何処にも…この手の届かない場所へ行くことなど…許さない…

それでも…そう想っても…大切な者が…この手の平から砂のように…さらさらと滑り落ちてゆく…もう腕の中にいる真貴は…霞のようで…

どうしようもない…この無力感…絶望…冷たい想い…『あの時』味わった想い…こんなにも私は啼きそうだよ…

これで…最後だと想って…

真貴は翡翠の首筋に縋りついた…途端にふわりっと、ここ数日で薫り慣れた清華な侍従に包まれて…それだけで…何処か安心する自分が居て…どうしようもない…

自分で…自分が判らなかった…景時に逢えないことに絶望したのに…

今、翡翠と離れることが…辛い…苦しい…息が止まりそうなほどに…心が切れて…散りじりに舞い落ちる…

「…翡翠…翡翠…翡翠…ひす…」

何度も何度も首筋に強く…強く…縋りつきながら…嗚咽交じりに名前を囁く…心に想う『宝石』の名前…

…真貴に初めて口付けた者の名前…

…真貴を初めて抱いた男の名前…

…真貴の『想い』を簡単に掻き乱す者の名前…


翡翠…


それが最後の言葉だった…

サアアアアアァァァァァァ

白銀の光は…翡翠の目の前で…再び…『真貴』を奪ったのである…
再び…翡翠の胸に暖かさと…それ以上の『悲哀』を残して…

翡翠はただ呆然と…失われた『暖かさ』を想い立ち尽くした…

微かに手を見つめ…握る…何て脆弱な手なのか…何も…何も掴めない手…何者も守れない手…

たった数瞬の前に…感じていた暖かさが…今はもう無い…この手を滑り落ち…消えた…

「つっ…」

それを想うと僅かに嗚咽が零れた…
無くした『想い』が多すぎて…自然と翡翠の頬を雫が零れた…

数日前…紺碧の海の中…幻想的な美しさを持つ君と出会った…
ゆらゆらと揺れる波間の光が白磁の頬にかかって…私は息を飲んだのだ…あの時…

そして…

『私は真貴です。本宮真貴。』

この言葉に…私は絶望して…運命に絶望して…真貴を無理矢理抱いた…

もしかしたら…龍神への当てつけだったのかもしれない…
あまりに奇蹟のような出会いと…名前…全てが龍神の戯れだと想った…
壊れかけの私を完全に壊すための…戯れだと…想った…


そしてそれは正しかったのだ…この腕から消えた真貴が…その証…


そう…必ず…君は私の腕の中から…消える…

そんなこと…判っていたのに…私は…

…私は?

私ノ後ロデ囁イテイルノハ誰ダ…

心に想う…君の名…真貴…

心に浮かぶ…君の顔…啼いている顔…私の首筋に縋り付いて…哀しく啼く真貴…

『…翡翠…翡翠…翡翠…ひす…』

抱き上げた細い肢体は微かに震えていた…私の頬に堕ちた涙が真珠のようで…きよらな美しさに…息が飲んだ…

言葉に出来ない…この胸の中の『想い』…

真貴…


そうだ…


本当は…


心の底から…


惹かれていたんだ…


『真貴』では無い…真貴に…


ただそれを認めたくなかっただけで…


真貴を…好きだったんだ…私は…


もう…二度と逢えないけれど…

次の瞬間,翡翠はその手で顔を覆った…その手の間から零れ落ちる雫…涙…

「うわあああぁぁぁぁぁ!!」

やめろ!!やめろ!!私を壊すな!!

「つっ!!」

その両手で頭を掻きむしって…いつもの冷静な翡翠は何処にもいない…

ゆっくりと翡翠の膝が力無く崩れ落ちて…両手が渡殿につく…
その途端にパタタッと渡殿に堕ちた涙が…月光に照らされて真珠のように光った…

まるで真貴が翡翠の頬に降らせた『涙の紗幕』のように…

それを想って…また翡翠の心が震えた…


壊れる…翡翠の中で…全てが…今度こそ…何も残らない…


心に…


ひとつ…


想う…


君を…想う…真貴…


この想いが何なのか…そんなことは良いのだ…ただ哀しい程に…君を『想う』…


そして…翡翠の魂切る絶叫が響いた館に居た翡翠の部下達が…心が崩壊していく翡翠を助け起こすのに、そう時間はかからなかった…




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