海〜海賊〜

ザアァァァァァ

響いてくる潮音で真貴は目を開いた…全身が気だるくて,フワフワと地に足が着かないような感覚がする…

真貴は見知らぬ部屋の帳台に寝かせられていた…あの船室ではない…何しろ揺れていないのだから…
そう思った途端に翡翠の声が聞こえた気がした…『君は感度が良いね…フフッ…可愛いよ…もっと私にねだってごらん…』

「つっ!!」

頬を染めて,パッと飛び起きる…
その急な動きの為に真貴の下半身が鈍く痛みを訴えた…
そう翡翠を先程まで受け入れてたから…そう想うと哀しみでポツリッと真貴は涙を零した…

景時さん…

早く此処から逃げ出したかった…白龍の逆鱗を使って…もう一度,試さないと…景時さんを助けなきゃいけない…
その『想い』だけが今にも崩れて消えそうな真貴の心を支えていた…

そして鈍く痛みを訴えている下半身の痛みに耐えつつ枕元に置いてあった元から着ていた神子の服に着替ようと思い,着せられていた白い小袖の帯をスルリッと解いた…

すると紅い翡翠の刻印が体のあちこちに刻まれていて…真貴はゾクッとした…『…私の真貴…』甘い低い声が脳裏に響く…
翡翠はいつの間にか真貴の心の底にも深く印を付けていたようだった…この先,真貴が翡翠を忘れないようにと…

だが真貴は,体に刻まれた翡翠の印も心に刻まれた翡翠の印も見ないように…気付かないふりをして慌しく着替えた…

すると神子の服を着ただけで…澄んだ力が湧いた気がした…戦場を景時と共に駆け抜けた時の力が…


大丈夫…まだ…頑張れるよ…景時さん…


愛しい人の名と想えばさらに力が湧く…どれ程,遠く離れていても景時は惜しみなく真貴に元気と暖かさをくれる…

そして真貴は腰に剣を帯び,首に白龍の逆鱗を下げて…部屋の扉…おそらく塗籠だと思われる場所の扉を開いた…

深々とした夜の冷たさが真貴の肌を刺した…僅かな吐息すら白く凍える…

真貴が塗籠の扉を開けると辺りは夜だった…それでも手入れされた美しい庭だということが判る…紅葉,橘,桜…様々な木々が植えられて…今は橘がひっそりと夜の闇の中で真白な華を咲かせている…

その静謐な美しさに見惚れている訳にもいかず,真貴は,ギシッと霜の降りている渡殿を進んでゆくと,靴下だけの足がかじかんだ…
でも逃げなくては此処から…此処が何処か判らないけれど…翡翠の手元から…逃げなくては…

そう思って,渡殿を慎重に進む…いざ誰かと鉢合わせたら神剣で気絶させればいい…そう思って進む…
まず第一に考えるべきは,やはり履物だろうか…靴下だけでは地面に降りるのは躊躇われる…そう思い,真貴が渡殿から下の地面を覗き込んだ時だった…

「こんな所にいたのかい!!」

女性の声が庭の方から響いた…

「えっ?」

暗闇の降りた庭から足早に此方へ来る人影…それにドクンッと心臓が怯えた…見つかってしまった…

女の人が相手では神剣を扱うのは気が引けて…真貴は慌てて逃げた…

「あっ!!お待ち!!」

女は叫んだが渡殿を急いで駆ける真貴に追いつける筈もなかった…

「あっちで宴会をやっているのに…まったく最近の若い女房は翡翠を目当てでサボるんだから…」

そう,ただ女は真貴を仕事をサボっていた女房と勘違いしていただけなのだ…

それを真貴が知る筈も無く…真貴は逃げ出そうと考えていた翡翠の居る方へと向かって行ってしまったのだ…

そうとは知らずに…




辺りに酒の匂いが立ちこめて…匂いだけで酔う程だった…

それに嫌気がさした香季は翡翠の隣りから席を立った。その途端に隣りから声がかけられる…彼の首領,翡翠,その人である…

「香季,もう酔ったのかい?私が帰って来た酒宴なのだから,沢山飲んで祝ってもらわないと…」

どういう理屈だ…,と思って香季はその真面目そうな端正な顔を歪めたが…
そのまま翡翠の言葉を無視して,スタスタと渡殿へ向かった,翡翠も慣れたもので,これ以上,香季を引き止めない…
そして隣りで翡翠に寄り添う何人もの女房の内の一人を優しく抱き寄せた…

香季は渡殿に着くまでに,ゴロゴロと打ち上がったマグロの如く突っ伏して寝ている仲間を避けて…
渡殿へ辿り着いて,夜の冷たい清涼な風に吹かれる…

けれど,後ろを振り返ると…まさに死体累々で…

香季は何か物悲しくなって溜息をついた…

国衙の官僚が此処を…今,攻めて来たなら一刻もかからずに落ちるだろう…などと思って…

その時だった…ギシギシッと渡殿を慌しく走る音が聞こえ…香季がフッとその方向を見ると不思議な格好をした一人の若い娘が,こちらへ走って来る所だった…

顔は暗闇でよく見えない…

(あんな女房,此処に居ただろうか…)

そう考え,思い出す…今回の取引の帰りに翡翠が連れて帰って来た娘がいたことを…

香季自身は翡翠の片腕として留守を預かった為,その娘に会っていないが…その娘を見た翡翠が二日も離さず抱いたという…だから酒宴が延びたのだが…

…その娘だろうか…それなら見てみたい…どんな顔をしてるのか…どんな声をしてるのか…あの翡翠が執着する娘…香季は自身の好奇心を抑えられなかった…




酒の匂いの満ちる部屋で翡翠は一番,高い座に座っていた…

『両手に華』とは,よく言ったものだ…

今の翡翠は『周囲に華』といった感じで,他の海の荒くれ共の妬みの熱い視線を浴びていた…浴びたくも無いのだが…それを紛らわすように美しい女房の膝に頭を乗せて横たわると,他の女房から嫉妬の吐息が漏れた…

「翡翠様,ずるいですわ…私の膝をお貸ししますから,此方へいらして…」

白い繊手が翡翠の胸元からスルッと着物の中へ入れられるのを翡翠はそのままに…その女房の腰を引き寄せて,やおら唇を奪った…

「あぁ…んぅ…」

その重ねられた唇から紅い舌が覗いて,ピチャリと水音が響き…周囲の者達は頬を染める…

酒のせいか…非常に女が欲しかった…でも何故か女房では不服で…翡翠はフッと唇を離し,部屋へ戻ろうと立ち上がりかけたが…

「待って下さい…翡翠様…今日は私を夜の相手にして下さいな…」

口付けを交わした女房が翡翠の胸にしな垂れかかってきた為に翡翠は起き上がれなくなった…

すると周りの女房も黙っている筈は無く…

「駄目よ…翡翠様は今夜は私と褥を共にするのよ…」

「何を言ってるの…貴方なんて翡翠様を満足させられないわ」

などと翡翠の頭上で華々が会話をする…それに少々,興ざめしつつ翡翠は体を横にしたまま口を挟んだ…

「君達…私は疲れたから今日は一人で休むよ…」

だが,この翡翠の言葉は思わぬ波紋を呼んだ…

「あら何をして疲れたのですか…新しい女を二晩も,お放しにならなかったそうですけど…妬けますわ…」

「そうです…これ程,私達が翡翠様を想っていますのに…酷いです…」

それは事実だったので翡翠は黙るが…それでも女房より…今夜はまた真貴を抱きたかった…
いったい何故,こんなにも自分が真貴に貪欲になっているかが翡翠には判らない…

そう…無意識に考えないようにしていた為に…

「わかったよ…すまなかった…一人ずつ口付けをしてあげるから…それで私を休ませておくれ…」

玲瓏なる翡翠にお願いされれば,それを断れる女など此処には居なかった…
先程まで翡翠を非難していたにも関わらず,彼女達は翡翠のその言葉を聞いた途端,キャアァと歓声を上げて,順々に身を横たえている翡翠の上に覆い被さり唇を甘く重ねていった…




人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -