海〜邂逅〜

ザアァァァー…

伊予の海。潮音が耳を撫で、美しい紺碧の海が広がる。
その中を数十の小舟が水面を漂っていた…それはどうやら船をとめて泳ぎを楽しむ為らしく、男達が次々と船から海へと飛込んでいく…

それを、一際大きく、堅固な作りの船から見下ろす男がいた。
その男のクセの無い髪は太陽に艶やかに輝き、サラッと流れる。
そして彼は立っているだけで華やかな空気を作り出していた。

まるで雪の中に咲く一つの紅牡丹のように…清廉さと艶麗さが混じりあった空気だった。

だが実際は彼はこの伊予を治める海賊の首領で名は翡翠。これとは別に本名があるらしいのだが誰もそれは知らなかった。

その時…

潜って泳ぎを楽しんでいた部下が、ザバァッと海面に急浮上した。そして翡翠に向かって声を上げる。

「お頭!!女が海底で沈んでるんですが!!どうしやす!!」

その部下の言葉に翡翠は眉をひそめた。

「…亡くなってるのかい?」

人が死んで海の底に沈んでるなど気分の良いものではなかった…しかし海の中の部下は首をかしげる。

「いやーわかりません。でも綺麗な女でしたよ」

「…というか何故、引き上げないのかな…可哀想に。」

そう言うやいなや翡翠は牡丹の刺繍が施された上掛けをパサッと脱ぎ、紺碧の海へと飛込んだ。

コポ、コポ、コポ

翡翠の耳に空気の泡が海面へと上っていく音が届いて、水は彼の肌を服を通じて優しく撫でた。

水中では彼の艶やかな髪は広がり柔らかな動きを見せる…まさに彼は『伊予の海神』だった。

そして彼は海の底に近付くにつれて底の方から光が射してくることに気付いた。
『海底』からの光は紺碧の海の藍を鮮やかに輝かせた。

それに翡翠は戸惑いつつも下へと泳ぐ…そして彼の目に一人の少女がうつった…

…淡く白銀の光を発している彼女の長い漆黒の髪が波に揺られる…
白い頬にユラユラと水の光が射していて、桜色の唇が美しかった。
彼女の両手は胸の前で組まれ、その中に不思議な形の剣を持っている。

翡翠は目を見開く、これほどに、きよらな美しさを彼は見たことが、なかった。

そして翡翠は彼女の背と足にそっと手を滑り込ませると、彼女を自身の胸に掻き抱き、浮上するために海底を蹴り上げた。

バシャアッ!!

翡翠が海面へと顔を上げた。彼の髪が水滴を散らし、それが太陽の光に輝く。

その光景は煽情的で美しかった…

そして翡翠は、すぐさま手を上げて周囲の小船を呼び、近付いてきた船の一つに腕の中の少女を軽々と上げ、自身もまた、船上の人となったのだった。

船に上がった彼女の白い肌に黒い髪が不可思議な紋様のように張り付いていた…ともすると死んでいるように見える彼女の脈と呼吸をみる。

確かに彼女は生きていた…

翡翠はそれに安堵の吐息を漏らすと、真貴を自身の膝に横抱きに抱き上げた。

『…目を開けなさい、姫君』

誰?景時さん?

『あまり遅いと夜になってしまうよ』

私、そんなに寝坊じゃないですよ…

真貴は目を開けた、まず視界に入ってきたのは艶やかに濡れた髪だった。
「…おはよう、姫君」

景時さんの声?甘く響く声…顔は太陽の逆光で見えない…でも声は景時さんに凄くよく似ていた…

『死なないで…また…貴方に会いたい…』

想いゆえに時を渡った…愛しくて涙がこぼれた…愛しくて自然に笑みがこぼれた…

そして安心したためか私の意識は、また静かに沈んでいった…

海水とは別の雫で濡れた真貴の頬を翡翠はそっと拭った…

何故、自分を見て泣いたのか…何故、自分に向かって微笑んだのか…

彼の中で思惑が巡ったが、それは束の間で、翡翠は船上で立ち上がり、部下に指示を下す、

「これより帰港する!!皆、遅れるな!!」

彼のこの一言で数十もの海賊船が慌ただしく動き出した…






ザアアァァァァ…

潮音が響いている…真貴が目を開くと、まず目に入ったのは見知らぬ天井だった。

部屋が揺れていることから船室であることは明らかだったが、見知った源氏の戦船ではない…

品のある調度品が趣味良く置かれている部屋だった…そして真貴の姿は単姿になっており、着ていた服は隣の漆装飾された1メートル程の棚の上に畳まれて置かれ、その上に真貴の剣があった。

「…景時さん?」

それに不安を覚えて、愛しい人の名前を呼んでも返事はない。
真貴はギシッとベットから抜け出ると裸足で扉へと近付いた…
木の扉を滑らせて外を覗くと真っ白な霧が立ち込めていて真貴が周りの様子を窺うことは出来ない。だが今は早朝のようで誰もまだ活動してない様子だった。

それに勇気を得て、そっと外に出る。海の爽やかな空気と朝の清澄な冷たさが真貴を包んだ。

「ん〜美味しい空気。景時さん何処だろ?」

早く会いたい…そして今だ深く辛いこの焦燥を消してしまいたい…貴方が抱きしめてくれたら、それも消えるから…

この時、真貴は深く考え込んでいたため背後から近付く気配に気付かなかった。

それは突然の衝撃…甘い戦慄…真貴は後ろから強く抱きしめられた…

「姫君は、もう起きても大丈夫なのかい?」

ゾクリッと蠱惑的な声が真貴の耳元で囁かれ、反射的に逃げようとする真貴を男のたくましい腕が捕えた。

「逃げないでおくれ、姫君。私は君を傷付けたりしないから…」

その真摯な声音に真貴は、その男の腕の中で身を反転させ、真っ正面から見上げた。

真貴は瞳を見開く…真貴の目の前にいる男は有り得ないほどに気高い美しさを持っていたのだ…思わず真貴が観察していると、男は面白そうに笑った。

「君は物怖じしない姫君だね…」

『海賊の首領である私を、そんな風に見つめるなんて…』

翡翠が飲み込んだ言葉は真貴にはわからなかった。だがハッと気付いて、翡翠の腕から逃れるよう彼に厳しい視線を向ける。

「すみません離して下さい。」

『景時さん以外に抱きしめて欲しくないから…』

その真貴の言葉に翡翠は、ますます笑みを深くした…

(私に媚び無い女性は久しぶりだ…花梨殿とそして…)

翡翠……

(私の腕をすり抜けた……愛しい宝玉……)

翡翠…哀しまないで…

(最期に、はかなく微笑んだ君…)

愛してる…

(愛してる……この言葉の意味を初めて教えてくれた君……)

『君が逝ってから……私は闇の中で、たった一人……君という光を求め続けている……』

急に黙り込んでしまった目の前の男がだんだんと辛そうな顔をしていくのを真貴は見た。

そっと、その頬に触れる…

ハッとする彼を少し可愛く思う、それ故だろうか…景時に似ていると思ったのは…

「大丈夫よ。」

何故か、男の翡翠色の瞳が揺れた…次の瞬間、真貴は息もつかせない程の激しさで掻き抱かれた。




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