ACT.景時
君と出会わなければ良かった…
そうすれば、こんな想いを知ることなんて無く…
罪を重ねられたのに…血に濡れた,この手を…君の血で濡らす事も無かったのに…
そう想って,景時はグシャリッと手にしていた書簡を握り潰して溜息をついた…
それには頼朝からの『白龍の神子・及び源九朗義経とその郎党の粛清』の催促が綴られている…
それは景時の全て…そう…ある意味…全てとも言える存在を景時に『永遠に失え』と言っている書簡だった…
そして景時はサラッと衣擦れの音を響かせると僅かに首をめぐらせて、座っていた高欄から天を見上げる…
静やかに…月の雫が彼を濡らすのを…そのままに…
それに…つい彼が再び漏らした吐息は白く染まった…
何よりも…大切なモノがあって…
『俺』を見て…『俺』のことを『仲間』と言ってくれた存在…光ある場所へ最初に導いてくれた人達と…
…自分より…大切で…こんな俺をいつも見つめて…支えて…助けてくれる…想い人…
その存在…なんて愛しくて…なんて幸福なことか…胸が熔けるように…冬の冷たく固く死んだ心が…春になって…暖かく柔らかく芽吹いて蘇るような…
奇蹟だと…想った…
何故こんな人が居るんだろう…何もかも自分とは違う…儚くて強い月光を織り上げたかのような…美しい人…それは『姿』じゃなくて…
その傷付く姿も、皆の先頭で血を浴びながらも剣を振るう姿も…全部…全部が『皆を想う切ない想い』で織り上げられていることを俺は知ってるから…
その背中から…その言葉から…その瞳から流れ伝わってくる想い…強い願い…それに俺の『想い』が熱く震えて…
君が夜遅くに泣きながら…戦場で血に濡れた手を洗っていることを知っているよ…
君が君の手で殺した人を一人も忘れていないと知っているよ…
君が一人ぼっちで夜の帳が下りた中庭で泣いてても…本当は俺は側に居た…見守っていた…
『私って…最低…』と囁く声に…抱き締めたくもなったけど…俺に聞かれていたと知ったら君は…更に自分を貶めるから…そんなことしない…
君がどんなに…自分で『醜い』と思っても…
それは違う…
絶対に違う…
もし君が囁いて欲しいなら、何度でも囁く…
君は綺麗だよ…その感情も…その言葉も…その姿も…全部…全部…その全部が…綺麗だよ…
俺とは違う…こんな後ろから人を暗殺をするような人間とは違う…
君は戦の刹那の間に『たった一人』を正面から映し…その瞳に『たった一人』を焼き付けてから…その剣を振り下ろす…
君が夜遅くに泣きながら…戦場で血に濡れた手を洗っていることを知っているよ…
君が君の手で殺した人を一人も忘れていないと知っているよ…
俺が想う君の本質は水晶のようで…どんなに嵐のような周りが君を傷つけて汚そうとしても…それは叶わない…
君は優しい…『想い』も『言葉』も『行動』も全てが綺麗な…俺の大事な人…
それが君だよ…
…すぐに想い浮かぶ愛しい面影…でも…
それなのに…
…俺は…君を…
殺ソウトシテイル…
俺以外の人間の意志によって…
君を…俺が…こ、ろす?
失う…永遠に…そう違う世界で幸せに生きてるのだと夢を見ることも出来ない…君の笑顔…君の信頼…君の…愛情…
『死』ということ…
…俺が…君という『たった一人』を殺す…俺の『たった一人』を殺す…
そう考えるだけで…心が悲鳴を上げて…逃げ出しそうになる…
この手に抱き締めたい…傷付きやすい君を…この手で守りたい…君の全てを…俺の全てで…
そんな想いの在処…
失うなんて…出来ない…それは『自分の半身』を失うこと…
「つっ…」
嗚咽が咽喉を鳴らして…景時は俯いた…耐えていた涙が服に落ちて濃い跡になるのを見つめる…
そう俺はこの染みと似ている…穢れが濃く跡を残すように…俺の過去に殺した人の死際の怨みも…俺の罪も消えない…
どうせなら…
そう…
『俺』が死んだ方が良い…そうすれば…全部が丸く納まる…
『俺』が彼女を殺すことも…なく…つまり…彼女は安全に、もうすぐ終わる平家との戦の後に元の平和な世界に帰れる…
そして頼朝様が新しい『暗殺者』を見つけるまでの間は少なくとも九朗達も安全で…
『俺』が死ねば…母上と朔という人質も無意味になる…
それは酷く素晴らしい考えだと…想って…
景時は月へ向かって嬉しそうに…儚く…笑った…
その考えが…最も『大切な者』を傷付ける『想い』だと…彼は気付かなかった…
ただそんな彼を…月の雫はしっとりと濡らしていった……
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