幸せおすそわけ
あなたはあまり甘すぎる時間を好まない。
「おはよう」
「ああ、おはよう」
起き抜けのキスなんて滅多にしないし。
「じゃあ、行ってくるよ」
「うん。行ってらっしゃい」
行ってらっしゃいのキスもおかえりのキスもしないのが当たり前。
蒼也さんが行ってしまった後の家はいささか大きいような錯覚に陥ってしまっていたのも、もう今では慣れた。早起きの蒼也さんのためのお弁当作りのための早起きにも慣れた。大量の洗濯物にため息を吐きながら服を畳んでいると。テーブルの上に蒼也さんの忘れ物を見つけてしまった。
届けに行ってあげないと。
私は畳んだ洗濯物もそのままに、今なら追いつけるかもしれないと慌てて自宅を出た。
「あ、」
我ながら間抜けな声が出たと思う。
「何かしたんですか?」
菊地原がそう尋ねた。
「いや、何もない」
やらかした。そんなことを伝えるつもりは毛頭なかった。なまえが作ってくれたお弁当を忘れてしまったのだ。今日の昼は仕方ない、何か買うかと一人こっそりと落ち込んだ。
ボーダー本部の目の前まで結局来てしまった…。私はどこから見ても不審者であろう。しかし、入り口がどこなのかよくわからない…。困ったなぁなんて声をあげたくなったその時だった。
「奥さん、何かお困りですか?」
誰だかわからないけどボーダーのエンブレムを付けた人と会えた。
「あの、風間蒼也に用があるんですけど」
「関係者ってことにしときましょう。俺が風間さんのとこまで案内しますよ」
「本当ですか?ありがとうございます!」
「いえいえ。こっちですよ」
私は迅さんという隊員さんに着いて行くことにした。優しい人と会えてよかった。そして自意識過剰なのかもしれないが、たまにすれ違う人が私の顔をまじまじと見てくるような気がするのだ。まぁ、きっと気のせいだとは思うのだけども。どこか拭えない違和感のまま迅さんについていくと、私はようやく蒼也さんを見つけた。蒼也さんは戦っていた。きっと一緒に戦っているのが以前話に聞いた菊地原君と歌川君なのだろう。しばらく見ていると、蒼也さんが勝敗を決めた。仕事中の蒼也さんってこんなにかっこいいんだ…。なんて一人感動していると。
「なまえ、何でここにいるんだ」
「蒼也さん」
戦っていた部屋から出てきた蒼也さんが私に声をかけた。蒼也さんの後ろには先ほど共に戦っていた2人もいる。
「お弁当忘れてたから届けなきゃって思って」
はい、とお弁当を蒼也さんの手に渡した。
「え、もしかして」
「え、風間さんの奥さん?」
後ろの二人が珍しそうな顔をしてこちらを見ている。
「そうだ。俺の妻のなまえだ」
「いつも主人がお世話になってます…」
よく考えたら結婚式は親族だけの小さい式だったから、蒼也さんの職場の方と会うのは初めての事だった。
ド、ドウモと緊張している菊地原くんと歌川くんを無視して、蒼也さんは迅さんに向き直る。
「迅お前わかってて入れたな」
「さぁ?何のことだか」
蒼也さんは迅さんに次はないと思えと一言告げて私に向き直った。
「蒼也さん?」
「この辺は危ないから届けに来る前に俺にまず連絡してから。ネイバーが出ることもあるんだから気を付けろ」
「あ、そっか。そうだよね。ごめんなさい」
「一人で帰すのも怖いから昼休みに送っていく。昼は一緒に食べるか」
蒼也さんの顔を見る。優しい顔をしていた。
「うん。じゃ蒼也さんのこと待ってる」
「もう間もなく昼休みだ。少しだけ待っててくれ」
待たせてすまない、行くぞ、と風間隊の二人に声をかけて蒼也さんは部屋を出た。
蒼也さんのことを待っている間、私は迅さんと話しながら暇をつぶしていた。
「どうして迅さんは私が蒼也さんの妻だってわかってたんですか?」
「ん?それはねぇ…風間さんの待ち受けかな」
「蒼也さんの?」
そこで蒼也さんが私を迎えに来る。
「待たせたな」
「ううん。じゃ、迅さんありがとうございました」
「はいはい、またおいでね」
柔らかく手を振る迅さんを部屋に残して、私たちは二人並んで食堂へ向かったのだった。
「そういえば、届けてくれてありがとう」
「どういたしまして。おいしく食べてね」
蒼也さんが水をとってきてくれているうちに私はそっとテーブルの上に置きっぱなしのケータイの待ち受けを見た。
「え!?」
そこには二人で撮った写真が。…あの蒼也さんもこんな待ち受け設定したりするんだなぁなんて思って。そっと気づかれないようにケータイを戻した。
あなたはあまり甘すぎる時間を好まない。
起き抜けのキスも行ってらっしゃいのキスもおかえりのキスの習慣もないけれど。
私を見るあなたの顔が少しだけ柔らかいような気がするのは、どこか気のせいじゃないような気がしているの。
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