荒北:ログインユアハート
side 荒北靖友

「お茶でも飲んで行きませんか」

俺の腕を掴みながら彼女が発した言葉を飲み込むまで10秒。

「…じゃァ…そうする…かなァ」

なんて、ダサい返答をした俺に、静かにコクンと頷いた彼女に連れられて、いつもは下から見送るだけだったアパートの階段を二人で登る。

彼女が俺の手からスーツをとって、ハンガーにかけてくれている。その姿を盗み見ると、肩が一回静かに上下に動いた。恐らく、深呼吸。

「…っ、マジかヨ…」

小声で、彼女に聞こえないように吐き出した声と息。

彼女は意味もわからず男を部屋にあげるようなそんな性格はしていない。どう思われるかを理解した上で、恐らく俺の腕を掴んでくれたのだ。先程、俺に見えないように息を整えていたその姿が、それを証明していた。

「どうぞ」

黄色いクッションをローテーブルの片側に置いて笑いかける彼女の頬は心なしかピンクに染まっていて、言われるがまま、そこに腰かけた。

「すげェ綺麗にしてンね」

予想もしていなかった状況にどうにか平然を保とうと、ボーッと部屋を見渡してその言葉を発する。正直、話題なんてなんでもよかった。他のことを考えていないと、らしくなく顔に熱が集まりそうだったし、なんならもう彼女のことをそのまま勢い余って抱きしめてしまいそうだ。

「お待たせしました」

そう言って彼女が出してくれたマグカップは2つとも随分と可愛らしいもので、良かった、ここで青のマグカップとか出されたらなんとなく過去の男がチラついてどうしようもなくなるところだったとか、くだらないことを考えた。

それから明日のデートの話をしたけれど、全く内容は頭に残っていない。彼女の部屋で彼女の隣に座ってお茶を飲んでいるという事実、彼女が俺を部屋に上げてくれた意味、全てを鑑みてもそろそろ思いをいい加減伝えなければいけないんじゃないかという迷いで頭はいっぱいだった。

トン、と彼女がテーブルにマグカップを置く、その瞬間彼女の腕がお菓子の入った皿に当たった。

条件反射でその皿を手が追う。

でも、俺の手に当たったのは皿ではなくて、もっと柔らかく暖かいもの。

「……荒北くん、ごめ…」

それが彼女の手だと気がついたのは、彼女の揺れる瞳がこちらを見てすぐのこと。

退かさなければ、わかっている。

「……わ、り…」

でも動くのは親指だけで。

真っ直ぐこちらに向けられた彼女の瞳に吸い込まれるように。

「…亜梨沙チャン」

気がついたら俺の顔は彼女の顔のすぐそばまで近付いていて。そのことを頭で冷静に認識したその瞬間、彼女の瞳がゆっくり閉じられた。

「っ…」

静かに、重なった唇。

ゴト、と音を立てて、触れていた手から皿が落ちた。

クッキーの袋がカサカサと音を立てて、床に散らばったことがわかる。

そんな音を聞きながら、触れるだけだった手の指に、指を絡ませてみれば、彼女の指がそれに応えるように動いて、小さな力で俺の手を握り返した。

「っ…」

ほんのわずかな時間が、長い長い幸せな時間に感じた。

名残惜しく彼女の唇から離れると彼女は下を向いていた。

揺れる髪から覗く耳は真っ赤に染まって。

「…亜梨沙チャン」

絡められた指は、そのままだ。

「…荒北、くん」
「コッチ向いて欲しい…ンですケド」

彼女はぶんぶん、と首を横に振った。

「亜梨沙チャン」

触れたくて。

「こっち向いてヨ…」

目を見てちゃんと伝えねェといけない気がした。

「……俺の方、見て」

静かに、彼女の顔を隠す髪を掬って頬に触れれば、驚いた彼女がバッと顔を上げる。その瞳は今にも泣き出しそうなくらい潤んでいて、触れた頬はとても熱い。

「…っ、荒北く…」
「好きだよ」

どうにか発することができた4文字はちゃんと彼女に届いただろうか。

「亜梨沙チャン、付き合って欲しい」

用意していた言葉ではなかったけれど。カッコ良くもないかもしんねェけど。

「…っ」

今度は首を縦に何度も振る彼女の手をギュッと握ってみれば、しっかりと彼女からもそれが返ってきた。

「よろしくお願いします」

そう話した彼女と繋いでいた手に少し力を入れてこちらに引き寄せれば、静かに顔が上げられて、相変わらず潤んだままの瞳を見つめて頬を親指でなぞって。

「私も、好きです…」

小さな声で伝えてくれた彼女がたまらなく愛しくて、また彼女の唇に自分のそれを重ねた。

***

「荒北くん」

何度目かわからない口付けから唇を離して。

「…あ、あの」
「ん」
「その」
「ン?」
「よろしく、ね…」

照れ笑いをしながら首を傾げる彼女に、また顔に熱が集まってきそうになる。

「…こちらこそ、デス」

少しの沈黙、目と目が合って、思わずお互いの顔を見て二人で笑い出してしまった。

「っ、荒北くん顔真っ赤だよ」

楽しそうに俺の顔を見て笑う彼女の顔だって負けじと真っ赤だ。

「亜梨沙チャンもねェ」
「よかった…荒北くん、私のことなんとも思ってないのかも、とかちょっと不安になってた」
「…ンなわけないでしょォ?」
「だから、よかった」

彼女を紹介して欲しいと芽依チャンに頼み込んだということは、もう暫く黙っておこう。俺が、出会う前から気になってたなんて、聞いたらきっと驚くだろうか。

「今日は、帰るネ」
「え?」
「俺、このまま泊まって何もしないとか多分無理だからァ」
「…っ、えっと」

もう元から赤い顔はさらに赤くなったのかもよくわからないけれど、彼女はその意味を理解して下を向いた。

「……一応、今日は、やめとくネ」

今度は泊めて、と繋いでいる指を撫でながら伝えれば、彼女は小さく頷いた。

「明日、10:00で平気ィ?」
「あ、う、うん」
「おにぎり、食べたい」

リクエストすると、亜梨沙チャンは笑って。

「準備してあるよ、荒北くん、唐揚げも好きなんでしょう?」

やばい、幸せすぎるなァ…

「明日、楽しみだね」

そう言う彼女とまた何度か口付けを交わして。

「ンじゃ、帰るわ」
「うん、気をつけてね」

彼女からスーツのジャケットを受け取って袖を通し、玄関に立つ。

「荒北くん」

名前を呼ばれると同時に二の腕のあたりを引っ張られて。

「…亜梨沙チャン…」
「おやすみの、キス…なんちゃって」

悪戯に笑う彼女を静かに抱きしめてから部屋を後にした。

「荒北くん!」

階段を降りて帰路につくとすぐに後ろから声がする。

振り向けば、窓から手を振る亜梨沙チャン。

「また明日ね」

今日ここに送りに来た時はまさかこんなことになると思っていなかった。

彼女に手を振り返すと嬉しそうに笑っていて、噛み締めても噛み締めきれない幸せを胸に駅へ向かった。
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