07.実感は時間をかけて築くもの


夕食を終えたころ、私はくノ一教室の長屋に招かれた。
山本シナ先生が女の子たちを集めて事情を伝える。
私がよろしくお願いしますと頭を下げると、みんなもよろしくお願いしますと声を揃えてくれた。
いい子たちだ、と微笑ましく思う。
それから、「お疲れでしょう」と言われ、早めに就寝することになった。
疲れているつもりはなかったのだけれど、
あてがわれた部屋でひとりになって、途端に激しい疲労感と睡魔に襲われた。
どうやら知らぬ間に張り詰めていた糸が切れたらしい。
今日はあまりにも色々ありすぎたのだから仕方ない。
それでも、私を包んでいるのが恐怖ではなく安心でよかった。
横になって目を閉じると心地よくて、微睡む間もなくすぐに眠りの波にさらわれてしまった。

よく休めたせいか、次の日は染みついた習慣どおりの早朝に目覚めることができた。
いつもと違う天井を見て、昨日のとおりだと感じる。
足は骨折したままだし、借り物の寝間着、借り物の部屋だ。
そんなふうに頭の中が整理できると、腕を伸ばして大きく伸びをした。
着替えをして身支度をし終えるころには、くノ一の長屋も賑やかになっていた。
私を起こしに来た子は、私がすでに居直っていることに驚いていた。

「おはようございます」
「真珠さん…朝が早いんですね。もう少しゆっくりなさっていてもいいのに」

それは、お姫様が雅に朝寝坊するものだからだろうか。
そんなイメージが定着してしまっているのかな。
期待されても何も出せないことが申し訳ない。
それでも、みんなに悪意はないのだからどうしようもない。
わだかまりは残るけど、私の自業自得というところもあるし、だんだん勘違いされることにも慣れてきた。
恥ずかしいし、肯定は絶対にしないけど、あえて否定することもない。
いつか気兼ねなく笑顔でお話できるようになれたらいいな、とは思う。

夕食と同じ理由で、朝食も部屋まで運んでもらってしまった。
いつまでも甘えているわけにはいかないので、昼食は自分で食堂に行くと告げた。
松葉杖で歩くのは時間がかかるだろうけれど、時間ならいくらでもかけられる。
授業で生徒に私のことを伝えてくれるとのことだから、敷地内を歩いていても咎められることはないだろう。

慌てることはないと思ったから、午前中は自分の部屋の中と、くノ一教室の敷地内を把握することに使った。
生活に必要なことは覚えられるように。
少しでも人に聞くことが減るように、迷惑をかけないようになりたかったから。

長屋は静かだった。松葉杖をついて、人のいない廊下を歩いた。
移動はどうしてもゆっくりになってしまうけれど、それは一人でいろんなことを考えるのにちょうどよかった。
私は自分の目で見たものはできる限り受け入れる主義だけれど、それでも、実感というのはいくらあっても足りない。
時間をかけて築いていくものなのだ。
気候は穏やかで、空気は澄んでいて、深呼吸すると癒されるようだった。。

お昼にはまだ早いくらいの時間に食堂に向かい始めた
昨日案内された道順は覚えている。
お世話になる身としては、教職員の方々にも頭を下げておきたいところだが、
まずは、すでに二食をご馳走になったことのお礼を言うために、食堂を目指した。

「ごめんください」

ようやくたどり着いて、食堂のおばちゃんに声をかける。
おばちゃんは白い割烹着を身につけ、昼食の準備をしているところのようだった。

「あら、あなたは?」
「おはようござます。昨日から学園にお世話になっております、藤森真珠と申します」
「ご丁寧にどうも。ああ、あなたがねえ…」

おばちゃんは意味ありげに私を見た。
学園長先生から聞いていたのか、それとも噂かはわからないが、認識されていてよかった。

「ご挨拶が遅れてしまいましたが、昨晩も今朝も、ご馳走様でした」
「そんなのいいのよ、みんなと同じもの出しただけだもの。お口にあったかしらねえ」
「はい、とっても美味しかったです」

これは社交辞令なんかじゃなくて、本当に本当の、心からの気持ちだった。
『おいしい』というのはこういうことだ、と思ったくらいだ。
今まで日常的に食してきた料理も、一級品だったけれど、比べることができない。
食堂のおばちゃんは、それはよかったわ、と笑った。

「ところで、なにかお手伝いできることはありませんか?」
「いいの?」
「はい」
「ありがとうね。じゃあ野菜でも切ってもらおうかしら」

足を怪我しているので、座ってもできる作業のほうがいいだろうとのことだった。
包丁を使うことは得意だったので嬉しい。
まな板をテーブルの上に持ってもらったのは少し申し訳なかった。
足が治ったら、もう少し他のことも手伝わせてもらおう。
調理台で手際よく大勢の分の食事を作っているおばちゃんを尊敬の眼差しで見た。

正午を告げる鐘が鳴ると、生徒たちが一斉に食堂に雪崩れ込んできた。
私は、野菜を切り終えて、することがなくなってからはずっと食堂のおばちゃんと雑談をしていた。
ランチを注文して席を選ぼうとした生徒は、私を見て一瞬止まる。
気まずい空気になってしまうので、愛想笑いをしてみた。
すると顔を赤くするから可愛い。あの制服はたしか三年生だ。

「あ、姫だ!」

聞き覚えのある声は小平太君だった。
相変わらずの呼び方に、内心で顔を引きつらせながらも手を振る。
あだ名だと認識していればいいけど、他の学年の子たちにはそうもいかないだろう。
誤解を広める原因になりそうで、ため息ものだ。

「こんにちは小平太君」
「こんにちは。姫はお昼食べないんですか?」
「食べますよ。これからです」

とにかく早く慣れることだと、自分に言い聞かせる。

「それじゃあ私たちと一緒に食べましょう。運んできて差し上げます。AランチとBランチどちらがいいですか?」
「それじゃあ、Aランチを」
「わかりました」

思わず頼んでしまうくらい、屈託がなくて元気な子だ。
小平太君が戻ってくる前に、伊作君と仙蔵君を見つけた。
ふたりは私に気づいて近寄ってきた。

「真珠さん」
「足の具合はどうですか?」
「すっかり大丈夫です」

社交辞令に沿った言葉を返すと、伊作君は複雑そうな顔をした。

「そんなにすぐに良くはならないでしょう。
お大事にしてくださいね。また医務室に来てください」
「わかりました。ありがとうございます」

午前中に散々歩き回った上に、実は躓きそうになったりもしたので、『お大事に』という言葉がぐさりと胸に突き刺さる。
心配かけてしまうとわかっているけど、口先だけで、笑顔を貼り付けて、嘘にまみれた自分が嫌いだ。
昼食は、と聞かれたので、小平太君が持ってきてくれていると告げる。
仙蔵君は私の真正面の席にお盆を置いた。

「此処いいですか?」
「はい。ああ、でも、小平太君が来ます」
「こへか……隣が空いていればいいでしょう」

そう言って仙蔵君は席に座り、伊作君も断りを入れてから私の隣に座った。
それから、見えた緑の制服を手招いた。食満留三郎君だ。

「伊作、その人は?」
「真珠さんだよ。ほら、授業の最初に説明があっただろ?」
「ああ、知り合いだったのか」
「真珠さんを学園に連れてきたのは私たちだからな」

ふうん、と頷いて、こちらを見た留三郎君と目が合った。

「はじめまして、用具委員長をしています、六年は組の食満留三郎です」
「はじめまして。藤森真珠と申します」

留三郎くんは伊作君の真正面に座った。
それから、小平太君が器用に二人分の運んで戻ってきた。
その後ろには中在家長次君も連れている。

「うわあ、知らないうちにみんないる!」
「小平太君、持ってきてくれてどうもありがとう」
「お安い御用ですよ、どういたしまして。それから、こっちは同じクラスの長次です」
「…………」
「長次君、はじめまして。私は藤森真珠と申します」
「…………」

ぼそぼそと何か言ってくれているけれど、少し距離があり、食堂が賑やかなので聞き取れない。
修行が足りないなあ、と思った。ちゃんと聞き取れるようになりたい。
小平太君は私の隣に座り、長次君は正面に座った。



 main 
- ナノ -