06.自分を大切にするってどういうことだろう


それから、ヘムヘムはくノ一教室に山本シナ先生を呼びに行った。
わたしは女だからくノ一にお世話になるのだ。
そのあいだに、伊作君は医務室に松葉杖を、
仙蔵君は着替えを貸してくれると言って、取りに行った。
そうして取り残されて彼らを待っていると、学園長は参考までにとわたしに尋ねた。

「ちなみに、何か特技などはあるかの?」
「特技……ですか?」

社交の場でよく投げかけられるような質問だけれど、
この場合は純粋にわたしの能力を測られているのだった。
だから自慢も謙遜も必要なくて、挙げられるだけ挙げてみることにした。

「ええと、まず、読み書きそろばんはできます。
裁縫と料理の心得もあります。大人数分を一度に作ったことはありませんが……。
殊に人前で披露できるような特技は、茶道、華道、香道、書道、舞、琴くらいです。
あとは……武道では、薙刀、弓道、それに合気道を、形だけ習っていました」

日本古来の伝統文化が好まれる旧い家だった。
わたしは女だから、特に武道よりも芸道に重きを置いていた。
花嫁修業も受けていたので、京料理や和菓子も作れる。
他にも何かないかと悩みながら、ふと学園長を窺うと、アニメみたいにひっくり返っていた。

「どうかしましたか?」
「い、いや……。それだけできれば十分じゃ」
「そうですか? いまいち役に立たないことばかりな気もしますが」

我ながら偏っていると思う。屋敷を出たわたしの価値の、なんと薄っぺらいことか。
美しい所作は、良家の中で地位を確保するのには必要だったとしても、
命の危機が訪れたとき、明日生きる道を見失ったとき、助けになるようなものではない。
わたしの言葉に、学園長は何故か眉を顰めた。

「遊芸は忍者八門にも数えられるほどじゃ。
忍たまたちがたまには忍術以外のことを学ぶのもよい。
それに、何事もそつなくこなせるならば遜色なかろう」
「……まあ、器用なほうではあるので、励みます」
「うむ。だがしばらくは学園に慣れ、静養することに努めなさい」

釘を刺されてしまい、わたしは頷くのを躊躇った。
存在価値を、居場所を確保するために尽力するつもりだったのに。
けれど、自由に歩けないというのは大きなハンデだ。
仕方ないから、足が治るまではお言葉に甘えていよう。

それから、山本シナ先生がやってきて、わたしのことを頼まれた。
先生はくノ一教室の長屋で物置になっている部屋を一つ、わたしのために空けてくれるといった。
けれど、その部屋を掃除するのには時間が掛かるから、
それまで六年生の二人と学園内を見学して時間を潰すように、とのことだ。
他の先生方には学園長から話しておいてくれるらしい。

わたしはもう一度頭を下げてから、伊作君が持って来てくれた松葉杖に支えられてその場を辞した。
伊作君が、わたしの怪我が悪化していないかどうか見たいと言ったので、まず医務室に行った。
新野先生は不在だった。
ふたりには入り口で待っていてもらい、重い着物を着替えてしまうことにした。
学園長に献上すると決めた品であるしね。

仙蔵君の貸してくれた着物は綺麗なものだった。
忍者は変装用に女物の着物を持っていたりするのね。
それを着て、濃い目だった化粧を落とし、髪もほどいて、鏡を見ると、いつものわたしがいた。
晴れ着から解放され、肩の荷が下りたような気分だ。

戸に向けて、もういいですよ、と声をかける。
伊作君は医務室に入ると救急箱を持って、座ったままのわたしに向き合った。

「その着物もよく似合いますね。仙蔵のだと思うと、なんだか変な感じがしますけど」
「仙蔵君が着たらさぞかし美しいんでしょうね。見てみたいものです」

間接的にならば見たことはあるのだけれど、実物を見ることは文字通り次元が違う。
そんな夢か幻みたいなことが現実に起こったらきっと感激してしまう。

「頼んでみたらどうですか?」
「ふふっ怒られそうですね」

冗談に笑ってみるけれど、本人の前で言えるわけがない。
伊作君に比べ、仙蔵君がわたしを助けてくれたのには、
義務とか義理とか、そういう優等生さを感じるのだ。
どちらにしろ優しさだし、本当にありがたいことだったけれど、
同時に、わたしの一挙一動を観察し、冷静に分析していることもわかる。
忍務の最中の人に馴れ馴れしくするのは躊躇われてしまう。

「山本シナ先生が、生活に必要なものはくノ一で用意しておいてくれると仰っていたので、
それまでのあいだだけお借りしていたいと思います」
「そうですか。普段は使わない着物ですから、かまわないと思いますよ」

伊作君が包帯を解くと、患部の腫れが退くどころか悪化していたらしく、むっと表情を変えられた。
傷の治りが遅くなるのは困るなあと、ただ漠然と思ったら、
新たにきつく包帯を巻かれ、しっかりと固定されて、「自分を大切にしてください」と言われた。
自分を大切にするってどういうことだろう。生きることに貪欲になるってことじゃないのかな。

よし、と伊作君が救急箱を閉まったころ、廊下から良い香りが漂ってきた。
仙蔵君がお膳を一つ、運んできた。

「真珠さん、お腹が空いていませんか?
食堂のおばちゃんに事情を話して食事をもらってきたんですが」

尋ねられて、わたしは自分の空腹をにわかに自覚した。
そういえば昼食は結局抜いてしまったんだった。
気づいて先回りで動けるのは仙蔵君の優秀さを感じさせる。
三日以上の飲まず食わずも一度覚悟したから、
その反動で、食べ物があまりにも尊く感じた。

「ありがとうございます。わざわざ運んできてくれて……」
「移動が不便なこともありますが、今食堂に行くと騒ぎになります」
「なぜですか?」
「あなたはすでに注目の的ですから」
「そうなんですか?」

わたしが驚くと、隣で伊作君も仙蔵君に同意する形で頷いた。

「さっきの着物の姿を目撃されてから、噂に尾鰭がついています。
明日の授業の始めに生徒に説明がなされると思いますから、
それまではあまり表に出ないほうがいいでしょう」

やっぱり目立つ衣装では碌なことがなかった。
こういう華美さは忍にそぐわないから、特に物珍しく思われるのかもしれない。
イレギュラーで異分子のわたしが変な目で見られるのは当然のことだから、素直に忠告に従う。

「ところで、お二人の食事は?」
「これからです」
「あ、それなら僕たちも持ってきて此処で食べようか」
「医務室でか? 私はかまわないが、真珠さんはいいですか」
「ええ……お二人がかまわなければ、わたしはとても嬉しいです」

すると二人は目配せをして頷いた。
そのとき、騒がしい足音が駆けてきた。

「いけいけどんどーん!」

聞き覚えのある声と言葉に、デジャブする記憶。
それが正解に近いってことをわたしは推定できるようになった。
障子の戸が勢いよく開かれる。

「いさっくん! せんぞー! お姫様を匿ってるって本当か!?」
「こへ……」

まさに好奇心の塊!という様子で、きらきらと目を輝かせている。
そんな小平太君に、仙蔵君は呆れるような、面倒そうな目を向けた。
わたしはひと先ず挨拶をすることにした。

「こんにちは。藤森真珠と申します」
「こんにちは、真珠姫。私は七松小平太です」

小平太君はわたしを見ると、丁寧に頭を下げてくれた。
わたしは、七松小平太君ですね、と確認をする。
どうやら自己紹介された名前を繰り返すことが好きになったみたい。
たしかめて、否定されないのが楽しくて嬉しいのだ。
それにしても、どうやらまた厄介な説明をしなくてはいけないらしい。

「ところで、わたしは姫とかではないんです」
「ええー!」

告げると、小平太君は不満げな声を上げた。
わたしの今の格好はかなり普通になったはずだが、
仙蔵君の着物を借りているのだから着替えたことは明らかで、
つまり事情があると語っているようなものである。
それを踏まえて、すべてをわかってもらうのはさすがに骨が折れる。
ああ、目立つ着物は到着前にどうにか隠してしまうべきだった。
二人が恭しく振舞ってくれることも誤解を増長させるんだろな。
もしかして現時点で学園中がわたしの身分を誤解してしまっているんだろうか。

「なんだ、何か期待していたのか?」
「当然だろ!? お姫様を守るのは忍のロマンだ!」

堂々と宣言する小平太君に、複雑な気分になる。
いつか彼らが学園を卒業して忍者になったらお城に仕えて、
本当のお姫様を守ることになるかもしれないのはわかる。
けれど残念ながらわたしはそれではない。

すると、小平太君はわたしに話しかけた。

「ところで姫」
「……わたしの話、聞いていましたか?」

聞いていましたよ、という返答を聞いて頭が痛くなる。

「じゃあ、どうして姫と呼ぶんですか」
「え、嫌ですか?」
「不当です」

お姫様じゃないって言っているのに、勘違いなのに、嘘なのに、どうしてわかってくれないんだ。
咄嗟に自分の放った偽りが膨らんでいくのが歯がゆかった。
役立たずなのに、敬意を払われてしまうと逆に心苦しいくらいだ。

それなのに、小平太君は少し考えてから、

「だってあなたは美しいから」

と言った。
屈託のない満面の笑顔に、さすがに顔が熱くなった。
悪意がないからきっと謙遜が通用しない。
今のわたしを見てそう言っているのならば、言い返すことができない。
背景を慮らずに、わたし自身を見てそう言っているのならば。

「でも、それでもわたしは……」
「まあまあ、そんなにカリカリしなくても、あだ名みたいなものだと思えばいいじゃないですか」

見かねた伊作君がわたしを宥めた。
フォローを入れられるほど取り乱してしまったことを反省した。

「あだ名?」
「真珠さんは不当な敬意が嫌いみたいですけど、ただのあだ名なら問題はないでしょう?」
「ええと、まあそうですね」
「それならよかった!」

小平太君は憎めない笑顔で笑ったから、わたしは諦めた。
抵抗はあるけれど、あだ名で呼ばれるっていうのもいいことかもしれないね。
そういえば食事が冷めてしまう、と思い出し、一緒に食べようと決まって、三人は食堂にお膳を取りに向かった。



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