野良猫の飼い主


「血の臭いがする」

ティアはヒソカを見て顔を顰めた。

「人を殺してきたからね◇」

その言葉に、ティアはまた嫌な顔をするけれど、違うと首を振った。

「これはヒソカの血の臭いだ」

言い当てられて、ヒソカは目を瞠く。
怪我にかまわず遊びすぎたせいで胴体に浅くない切り傷が今も脈を打っている。
口角が吊り上がる。

「君は、相変わらず未熟なのに美味しそうだね◆」

他人ならばぞっとするような笑みを向けられて、
ティアは気味悪がるでもなく、ただ感情のない目でヒソカを見つめた。
まるで無機質なガラス製のドールアイだ。

ティアがヒソカと共に流星街を出てから何年経っても、捨て猫のような身なりは変わらない。
金がないのではなく、食事にも服装にも無頓着で、地味を好むのだ。
手足は栄養が行き届いていないのではないかと思うくらい細い。
絶をしているわけではなくとも、纏うオーラは薄く、目立たない。
歩き方はふらふらとしていて、物乞いと勘違いされることさえある。
ピエロのようなメイクで目立ちに目立つヒソカとは正反対だ。

しかし、それもスリには最適なのかもしれない。
机の上には分厚い革の財布がごろごろと転がっていた。
彼女は一応念能力者だが、略奪ではなく道行く人々の財布を掠め取って金を稼いでいる。
その仕事は一瞬で、オーラも気配もない。誰にも気づかれることなく、完璧に成功する。
本気を出せば、命ごと盗み取れるはずだが、無駄な戦闘も殺生も好まないのだ。

ただ生きている とヒソカは思った。
自力で金を集めてきているのだから植物のようだとは言わないが、
生きるために ただ、生きている のだと思った。

無駄な戦闘も殺生も好まないが、ヒソカを窘めるようなことはしない。
今のように、怪我をしているとわかっても治療を申し出たりさえしない。
ティア自身必要最小限とはいえ、追い詰められて人を殺したこともある。
血の臭いが付くことを厭うが、洗い流してしまえば翌日には何事もなかった顔をしている。

五感が鋭く、絶は完璧で、才能としては良い物をもっていると思う。
念を習得するのも早かったし、実は戦闘用の能力も持っている。

だがその刃は手入れされずに先が鈍ったままだ。堅気でない以上、身を守る術はいくらあってもありすぎるということはないはずなのに。「君はいつになっても青い果実のままだ。いつになったら熟してくれるんだい?」

普段は何も感じていないかのように表情がないが、ヒソカの疑問を受けて、ティアは考え込むように瞳を揺らしてから、ゆっくりと口を開いた。
声を発するための酸素を静かに吸い込んで、出てきた言葉は凛としていた。

「熟れたら、ヒソカに命ごと摘み取られる」

なるほど、と思わなかったわけではない。
たしかにヒソカは彼女が熟達するのを待っていた。
成熟したティアと殺し合いをしてみたい。
彼女を傷つける事に容赦はしないだろう。
苦痛に顔を歪め、悲鳴やうめき声を上げる姿を想像すれば興奮する。

しかし危険を避けるために普段から危険を享受するのでは本末転倒ではないか。
ただのスリと言っても、ヒソカと近しいせいで危険は絶えない。
ティアは抵抗することに重きを置かないから、
痣を作ったり、骨が粉砕したり流血して数針縫うような怪我も平気でしてくる。
強ささえあれば身を守れたことも無数だ。
彼女ならその才能がある、そう思ったからこそ連れて来たのに。

「そうとは限らないし、そうとなったら抵抗すればいいじゃないか◆
逃げられるものなら逃げてもいい◇」

そうなったら逃がすつもりはないけれど、
警戒されて逃げられても困るので、ぬけぬけと嘘をついた。
自分から逃れることができるくらいに成長したなら、それはそれで面白い。
そしてティアが発した言葉こそ、ヒソカが予想していなかったものだった。

「そうしたら一緒にいられなくなる」

一瞬 驚いてから、ヒソカは声を上げて笑った。
わざわざそのために、実を結ばぬ徒花を選んだのか。
――つまらない。

「現状維持を僕が許すとでも?」

狂わしい殺気と共に、トランプの鋭い刃をティアの頬に当てる。
赤い雫が宝石のように煌めいたが、少女は無表情でヒソカを見上げるだけだ。
手品のように枚数を増やし、瞳すれすれに立てるが、やはり動じない。
切り札の念能力を発動するそぶりも見せない。

「……もう壊れてる」

掠れた声がそう言ったので、乱暴する気が失せた。

「君は本当に愚かだ◆」

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