「では、入門票にサインしてください」
小松田さんは、二人が連れてきたわたしを見てびっくりして、
いろいろと慌ててから、とりあえず学園長に会わせるという説明で納得したらしく、
上記のようなお決まりの言葉を手渡してくれた。
わたしはひとつひとつパズルのピースが埋まっていくみたいに現実感というものを手に入れて、嬉しくなった。
微笑んで頷き、入門票に名前を書くと、わたしを乗せた荷車を通すために大きな門が開いた。
伊作君が荷車を押したまま、わたしは忍術学園の敷地内に入った。
敷地内にはもちろん生徒――すなわち忍たまたちの姿があった。見覚えのある人も、いる。
当然わたしは目立ち、たくさんの好奇の視線を浴びて指をさされて何か言われるのはこそばゆかった。
今にも誰か近づいてきそうで怖くて、微笑を湛えて乗り切った。
ちなみに仙蔵君は先に行って学園長に話を通してくれるらしい。
なんだか二人には、何から何まで本当にいろいろと申し訳ないなあ、と思う。
動けないとはいえ、自分が動かなくて代わりに他の人に動いてもらうなんて。
絶対にお礼をしたいけど、言葉を繰り返せばいいってものでもない。
今のわたしの財産と言えば、限られている。
荷車の上で手持ち無沙汰で考えて、扇子を一度開いて、閉じた。
「伊作君」
「なんですか」
「わたし、やっぱりあなた方にお礼がしたいです」
その背中に話しかけると、困ったような声が返ってきた。
「お礼されるようなことは……」
「命を救われました。怪我の手当てをしてもらいました。
ここまで連れてきてもらいました。だから、これをもらってくれませんか」
伊作君はわたしを振り向いて、扇子を見ると、きょとんとした。
わたしは説明を重ねた。
「金銭は持ち合わせていませんけれど、これは差し上げられるくらいの価値があります」
「そんな……いただけません。お礼なんて気にしなくていいって言ったじゃないですか」
「どうかもらってやってください。あなたたちのおかげで、わたしの生きる希望は幾千にも広がったんですよ」
あのまま山賊に囚われていたならば、活路は皆無に等しかった。
限りなくゼロに近い可能性に賭けようとしていたわけだけれど、
いざとなれば自害することも、泥の上を這い蹲ることさえ覚悟しなければならなかった。
わたしは本当に救われたのだ。
「本来の用途は失ってしまいましたから、こういうふうに役に立つならわたしはとても嬉しいです」
「本来の用途?」
「……舞に用いる予定だったんですが、もうその舞台に立つことはありません」
わたしの価値の一つだった舞だけれど、もうこだわる必要はない。
伊作君は考え込むように目を閉じてから、頷いた。
「――わかりました。
じゃあ、いつかあなたが舞うところを見せていただけませんか」
「舞を、ですか?」
そんなことがお礼になるだろうか、わたしは何も損をしないのに。
「ええぜひ。足が完治したらですけどね」
「……そんなことでよければ喜んで」
「約束ですよ」
伊作君は朗らかに笑い、学園長の庵の前に着くと車を止めた。
障子は開け放たれており、学園長とヘムヘム、それに仙蔵君が部屋の中にいた。
仙蔵君へのお礼は別に考えなくてはね。
三人がこちらを向いたので、伊作君は学園長に挨拶をした。
わたしも荷車の上で居直って、床に手を添えてお辞儀した。
さあ、仙蔵君はどんな説明をしてくれたんだろう。解釈の自由に任せるわ。
「学園長殿。はじめまして、藤森真珠と申します。
この度は貴殿の許可なく学園の敷居を跨いだ無礼をどうかお許しください」
「そんなことはよいよい。顔を上げてくだされ。怪我をしているんじゃろう、楽にしてかまわん」
多少敬語が混ざっているあたりで、やっぱり元・姫説が生きているらしいと察した。
わたしの態度も硬すぎるのかな。でもなあ、習慣に任せるのが楽だ。
この学園にはいろんな人がわりと自由に出入りしてるって知ってるけれど、
わたしが無礼を働く理由にはならないと思うんだ。
こうなったら相対的にでも学園長を上座に押し上げないといけない。
顔だけを上げたが、正座は崩さず手も床に添えたままだ。
「伊作君に大変丁寧な治療を施していただきました。
しかし動くには不自由ですので、この座にあることをお詫び申し上げます」
足は痛いが、その痛みがあるということに慣れてきた。
喉の奥に悲鳴を閉じ込めて、嫌な汗が滲もうとも表情に出ないように過ごしてきた。
「……真珠さん。無理しないでください。
骨にひびが入ってるんですから、痛くないわけがありません。
ここは保健委員として見過ごせませんよ」
「いいえ、わたしはお願いをする身ですから」
伊作君が心配してくれるけれど、まだ大丈夫だ。
わたしも相当頑固だな、と思いつつ、ふたたび学園長に向き合った。
さっきよりも深々と頭を下げる。
「学園長殿、お願いです。どうかわたくしをしばらくこの忍術学園に置いていただけませんか」
「――事情をお聞かせ願おう」
「事情といっても、帰る家がなくなった、それだけです。
言葉を尽くして信用してもらえるかわかりません。調べたければご自由になさってください。
行く当てがなく、わたしという小娘は一人で生きていく術を持たないのです。
せめて足が治るまで居候……衣食住を貸し与えてくださいませんか」
ここは全寮制の学校だから、部屋が余っていたりしないだろうか、と期待する。
敷地内なら安全で、山賊に襲われる危機を味わうこともない。
これで断られたらどうしよう、と思考がめぐる。
平穏を手に入れられるのだったら、他には何もいらない。
「もちろん、ただでとは申しません。この着物を献上します。
見てのとおりの品です。盗品などではありません。今のわたしの財産のすべてです」
着物の価値を、家賃として計算したらどれくらいになるだろう。
わからないけれど、せめてしばらくの命をつなぐために。
「財産のすべてだというなら、自分で持っていたほうがいいのではないか?」
「けれど他にお支払いするものがありません。
できることがあるならば働きますが、しばらくは迷惑をかけるばかりでしょう」
「しかし衣食住をといっても、そう特別扱いはできぬ」
「特別扱いなんていりません。煌びやかな衣装よりも生きる場所が欲しいだけなんです。
そして、わたしは此処以上に安全な場所を知らない。多くは望みません。だからどうか」
「うむ……」
学園長は考え込むそぶりを見せてから、すぐに大きく頷いた。
「よし、いいじゃろう。その着物は預かることにして、居候を許可する!」
「ありがとうございます!」
こうしてわたしは、生きる場所を確保したのだった。