御伽噺症候群


*メルヘンシンドローム*


ふわふわ、ごわごわ、もふもふ。

惰眠を貪る。

春の陽気のような心地よさで、
吸いつくような睡魔が私を放さない。
朝なのか昼なのか夜なのか此処がどこなのかもわからず、
ひたすら浮上と沈没を繰り返していた。

ふっと目を開けてみる。知らない場所だ。
あれ? まだ夢の中なのかな?

部屋にはアンティークのような美しい家具が並んでいて、けれど、遠近感がおかしい。
見渡すだけで目が回る。見上げるだけで首が痛い。
何もかもが"聳え立って"いる。
まるで童話や御伽噺の『巨人』の部屋だ。
ただし『怪物』が住んでいるにしては、作りが少し上品すぎる。

私は、ふかふかの山の上で、
毛糸ほどの太さの糸で編みこまれた、厚手のタオルケットが掛けられて寝ていた。
巨人がいたとしたら、ハンカチサイズだ。

衣装もコスチュームっぽいひらひらのドレスになっていて、まるで不思議の国のアリス気分だ。

これは夢? それとも現実?
どっちにしろ、ちょっと探索してみなきゃわからない。
出入り口はどこにあるんだろう。
まずはこのベッドから飛び降り自殺か……と思い悩んでいたところで、
がちゃっとドアが開いて、――そう、正面のあの巨大なドアが、いとも軽く開いたのだ。
そもそも開くためのものだったのか、なんて感動している間もなく、私はびくっと体を揺らした。

「おー、やっぱり起きてたか」

部屋に入ってきた巨大な人影は、声は、青年のものだった。
金髪碧眼で、外見年齢は20代前半。
見た目はあくまでも『人間』に見える。
問題は大きさだ。

こちらに歩んでくる彼は、この巨大な部屋の中、数歩で私のすぐ前に歩んで来れてしまうような、『巨人さん』なのだ。
その小指は私の腕よりも太い。
思わず「ひぃっ!」と小さな悲鳴が漏れた。
それには気づかなかったようで、彼はベッドのすぐ前まで来ると、意外なほど好意的なことを言った。

「気持ちよさそうに寝てたな」

なんなの、これ。夢ってことでいいの?
夢だとしたら、
「私の深層意識ってこんなにメルヘンなところがあったんだー、びっくりー」と笑い飛ばすのに、
さっきまで夢かもしれないと思っていたくせに、
視界が鮮やかすぎて、自分の想像力の豊かさに感動することもできない。

首が痛くなるほど遥かな頭上を見上げれば、きらきらひかる金色の髪と新緑の瞳がそこにある。
作り物でも間違いでもなく、――認めよう。巨人さんである。
「怪物」っぽい外見じゃなく、むしろかっこいいという点だけは好ましい。

でも、やっぱりこの巨大さは恐ろしい。
てのひら一つでひとたまりもなく潰されてしまいそうだ。
身を竦ませて怯えきっている私を見て、彼は片眉を上げる。

「怖い夢でも見たのか?」

紳士的に声をかけて、私に手を伸ばした。
怖くてどうしたらいいのかわからず、抵抗もしなかったら、大きな掌に、ふわりと掬い上げられた。
掌に乗って、胸の高さまで持ち上げられて、緑の双眸と目が合う。

「ん?」

彼は親切げに小首を傾げた。
凛々しい太い眉が特徴的なお兄さんだ。
取って食われはしないかも と 思った。

「――ここ、どこですか」
「俺の自室だが?」

さも当然、と言わんばかりの表情だ。
私がここにいることに対して驚きも罪悪感も見られない。
誘拐ですか?と聞く勇気はない。肯定されたらどうしてくれる。

「私はどうしてここにいるんでしょう」
「お前が勝手に入って、テーブルの上で寝ていたんだろ?
気持ちよさそうだったから移動させてタオルを掛けてやったんだが」

勝手に入っただなんて、勿論記憶にない。
っていうか不法侵入なら、お兄さんはなんでそんなに平然としてるの?
ジャックと豆の木のジャックは巨人の部屋で……悪さをしたからか。
……そりゃ、害を成すことなんてできないけど。

「あなたは どちら様、ですか」

いっそ『何』と聞いたら、『巨人』とでも答えてくれるかもしれないと思ったんだけど、失礼かもしれないからやめた。
『誰』『何者』『どちら様』の中では一番丁寧な質問を選んでみたつもりだ。
彼はきっぱりと、こう答えた。

「イギリスだ」
「……へ?」

あれ? 出身地を聞いたつもりはなかったんだけど、うまく伝わらなかったな。
そういえば言葉が通じるようだったから油断していたけど、
見た目が西洋人の このお兄さんが日本語を話せることが意外だ。
聞き間違いや行き違いもありえることだった。

「えっと、じゃあ、あなたのお名前を教えてください。わっつゆあねーむ!」
「だから『イギリス』だ」
「えーっと……」

今度はちゃんと通じた……よね?
国名を個人名につけるのってありなのかな?
海外……ましてや巨人さんの命名事情なんて知らないから、ありなのかもしれないけど。

「――変わったお名前ですね?」

彼は苛立ったように、声を荒げて主張された。

「正式名はグレートブリテン及び北アイルランド連合王国!
かつて七つの海を支配したこの俺を知らないのか!?」

至近距離で開いた口に、飲み込まれそうだと、ぼんやり思った。
鼓膜を震わす大きな声にびくっと震えた。

イギリスの正式名称はたしかにそんな感じで長いけど、
もし本当に彼がグレートブリテン及び(略)っていう名前が本名なら長すぎるし、
そんなにしっかりと子供に国名を名付けた親は愛国心ってレベルじゃないだろう。

「ええっと、イギリスという国は知っているんですけど」
「だから、それが俺だ」
「――国、ですか?」
「あぁ」

国の化身?……みたいな。
うん、まぁ、巨人さんだし、いろいろとメルヘンすぎて感覚が麻痺してきた。

「あー、そうだ、タオルありがとうございました。お優しいんですね」

どうせなら起こしてくれればよかったのに と思わなくもないけど、
目覚めのタイミングで巨人さんを目にしたらびっくりしすぎてショック死する。
機嫌を取るに越したことはないから、一応お礼は言っておこう。

「べ、べつに……俺は紳士だからな!」

予想外に反応が可愛くてびっくりした。
そっか、英国といえば紳士か。
自分で言わないほうが美徳なのに、と思ってしまうのは私が日本人だからかなぁ。

「それに、妖精さんは大切にするものだしな」
「妖精さん?ってもしかしなくても私のことですか?」
「当たり前だろ? 東洋人みたいな黒髪の妖精さん(fairy)は初めて見たが……」

人間のことを妖精さんって呼ぶのか? 女の子のこと?
巨人さんから見ればてのひらサイズだし、
そういうこともあるのかもしれないけど、なんか恥ずかしい。

「いや、あの、東洋人みたいな、っていうか、ただの日本人です」

イギリスさんはきょとんとした表情で私をまじまじと見る。

「日本人はたしかに小さいけど、掌には乗らないだろう」
「いや、だから私もなんでここにいるのかどうかもわからないんですけど、本当なんです」
「じゃあこの羽は作り物なのか?」
「羽? ――……っ!」

イギリスさんの手が伸びて、何かを引っ張ると、私の背中に引きつるような痛みが走った。
痛がると、すぐにやめてくれたけど。
背後を見ようと頑張って首を捻っていると、
イギリスさんは鏡(巨人サイズの姿見)の前まで私を運んでくれた。

――羽だ。薄くて軽くて透明で、きらきらと光に反射する。
衣装と相俟って、それこそ"妖精さん"の羽だ。
くるりと後ろを向いてみると、衣装についているようにも見えるけど、
さっきの痛みからして、本当に私から生えているらしい。
衣装に穴が開いているように見えないのは一体どういう構造なんだろう。
痛覚もあったし、動かせるのかと思ったけど、そんな場所の筋肉の動かし方がわからなかった。

「きょ、巨人さんは」
「巨人さん?」
「あ、ごめんなさい。イギリスさんは」
「っていうか俺は巨人じゃねぇぞ」

今まで他に"妖精さん"を見たことがあるのか聞こうと思ったのに、否定されて混乱する。

「え……いや、私にとっては十分大きいです」
「そりゃ妖精さんから見たら、な」
「だから私は人間で――……えっ、もしかして私が縮んでいるんですか!?」

うわっ、その可能性は考えなかった!

「さあな。お前、本当に日本人……人間だったのか?」
「はい。イギリスさんは普通の人と同じ大きさなんですか?」
「あぁ」

じゃあこの部屋も、大きさは普通ってわけか。
思い込みって怖い。周りが異常なんじゃなくて私が異常なのか。
いや、それでも、彼の言うことが本当なら、イギリスさんは"国"なんだから、それはそれで異常なのか……。
いろんなことがありすぎて、展開についていけなくて、
頭を悩ませている私は、難しい顔でもしていたのだろうか。
イギリスさんは気楽そうに言った。

「とにかく、今お茶を入れてやるから、スコーンでも食べて落ち着け」
「はい。ありがとうございます」

*
*
*

「うぐっ」

――そして、私は、お礼を言ったことを後悔するくらい超絶的な味覚と遭遇した。




 main 
- ナノ -