Amor con amor se paga2


彼らは出会った当初からその姿を変えていなくて、
でも、ずっと一緒にいた私には実感できなくて。
その代わり、「もうそんな年かぁ」と成長を驚かれることはしばしばで、
早く大人になりたかった私は、それを褒め言葉として受け取っていた。

一人前になったら大人の会話に混ざれると思っていた。
わからないことなんてなくなるんだと思っていた。
頼られることも増えて、トーニョの仕事を手伝えると思っていた。
南イタリアにもベルギーにも自由に遊びにいけると思っていた。
約束された未来にも私はトーニョの傍にいるはずで、
いつまでもこの幸せは続くと思っていた。

人間(ヒト)と国家(くに)の違いを、知識として説明されて、
わかった気になっていても、結局わかりきれていなかったんだと思う。

それを思い知るきっかけとなったのは、
私の年齢がようやく二桁に至ったある年、
世界的な恐慌により国の経済が打撃を受けたのに伴って、トーニョが風邪で寝込んだときのことだった。

酷く咳き込んで、辛そうにしているトーニョを見て、
今こそ傍にいよう、張り付いて看病しようと思った。
私は自分が風邪を引いたときにされたように、
額に濡らしたタオルを乗せて、取り替えて、スープやお粥を作って運んだ。

『ほらトーニョ、お粥さんやで』
『熱下がらんなぁ。なんか欲しいもんとかある?』
『ほな うちはずっとここにおるから いつでも呼んでや』
『習い事なんて一週間くらい全部サボったって かまへん」

トーニョの存在が重大であるということはわかっていて、
大人たちは不況の対応にあくせく働いて忙しそうで、
私が彼の看病をするという理由だったらいくらでも両親を説得できると思った。

『だったら、尚更行かな』

トーニョは低い声で呟いて、ふらつきながら起き上がった。
止めるまもなく私の家に『迎えに来たって』電話をかけた。
私は何が悪かったのかわからなかった。
どうせ家に帰っても両親は忙しいに決まっていて、
学校の宿題を放り出しても、勉強なんて後でいくらでも追いつけばよくて、習い事だってそう。
何よりも最優先して他の予定を潰すことになんの支障にも感じなかった。

『嫌や! うちだって トーニョが心配やもん。ちゃんと看病できるもん!』

叫ぶと、その声が頭に響いたらしく、トーニョは顔を顰めた。
慌てて泣き声を飲み込んで口を噤んだ。

『伝染ったら大変やし、堪忍したって』
『頼むわ、言うこと聞いてぇや』
『ティアはトーニョのお願い聞いてくれるええ子やろ? なぁ?』

叱りつけるわけではなく、ただ つらそうに だるそうに頼み込まれて、
それ以上我が儘を押し通すことができなかった。
しぶしぶ私が言うことを聞くと、トーニョは倒れるようにベッドに入った。
父の部下の人に言って薬や食べ物を揃えてもらって、
私も、日常を犠牲にすることは許されなかったけれど、それでも最大限の時間で看病して、
ようやくトーニョの体調が回復し始めたのは、季節が一つ巡った頃だった。
カレンダーを見て呆然とする私の隣で、トーニョはなんでもないことのように笑った。

「ティアの看病と、ティアのおとんのおかげやで」

忘れていたことを思い出さされた気分だった。
彼はスペインというこの国なのだ、と。
大臣となった父が経済対策に力を入れていたことは私も知っていた。

そのとき、“時間の流れ”という大きな違いが、はっきりと見えた。

家中のアルバムをひっくり返してみると、
写真の中でトーニョは私が生まれる前から変わらない太陽の笑顔を浮かべていた。
図書室で文献を調べれば、彼に似た人物が映っている挿絵があった。
トーニョとベルねぇがつい昨日のことのように語っていたのは、
私の祖父が生まれるよりずっと前の出来事だ。

何もかも現実味がないだけで、知っていたのに解ろうとしなかった事実だった。

親子みたいだと言われたことがあった。
出かけ先で、保護者として見守ってくれた。
いいお兄さんやねぇと声を掛けられるようになった。
抱き上げてくれることが減って、手をつなぐようになった。
追いつくことはできないけれど、たしかに身長差は縮まっていた。
いつのまにかロマにぃは私を「チビ」とは呼ばなくなっていた。

トーニョもロマにぃもベルねぇも、私の身長が半分の頃から変わらない姿で、
私は変わった。知らず知らずのうちに変わっていた。
身長が、服装が、交友関係が、学ぶ内容が、すべてが。
進級して、進学して、そして、いつか。

背伸びをしているつもりだった。
視界が広がると共に知りたくなかったことがわかってきて、
視線が近くなると共に距離が遠ざかったような錯覚を受けた。

ただ、私にとって生まれてからこれまでの人生すべては、
トーニョにとってほんの瞬く間だったのだ。

彼らは私と同じように喜んで、怒って、悲しんで、苦しんで、笑う。
同じように感情があり、体温があり、痛覚がある。
それなのに、何が違うのだろう。どうしてこんなにも違うのだろう。

*
*
*

胸が膨らみ始めた頃、私は人並みに思春期を迎えた。
トーニョを異性として意識して、ちょっとしたことにどきどきするようになった。
第二の父親ではなく、年上の男性として見なしたのは、やはり外見のせいだったんだろう。
出かけるのがデート気分になって、少しでもかわいい格好をしていこうと思った。
終わらない初恋が、たしかな恋心へと育っていった。

そんな私の変化を見透かすように、釘を打つように、
トーニョは食事中に何気なく聞いてきた。

『ティアは学校に好きな子とかおらんの?』

正直、なんでそんなことを聞くんだろう と思った。
私は私なりにいつでも愛を表明しているつもりだった。

『おらんよ? うちはトーニョのお嫁さんになるんやもん』

昔から何度も言っていたことだった。
一度も否定されたことはなかったし、私の気持ちも変わらなかった。
トーニョよりかっこいい人なんていない。
私にとって当たり前のことだった。
それなのにトーニョは、平然と言い放った。

『国と人は結婚できんよ』

楽園にひびが入る音を聞いた。
どうして。

『なんで 今更 そんなこと言うん?』
『ほんまのことやん。ティアも もう大人なんやし、わかるやろ?』
『わからんわ!』

まるで子供の癇癪のように怒りで黙りこくった私に、トーニョはただ苦笑いするだけだった。
その日、私が帰るとき、トーニョは別れの挨拶に「キスしたって」と言わなかった。
悔しくて、悲しくて、手招いて、背伸びして、腕を絡めて、頬でも額でも瞼でもなく、口にキスをした。
なんでもないことのようにかわされるのを覚悟していたのだけど、トーニョは困ったような表情で言った。

『それはあかんやんなぁ?』
『なんであかんの。うちはトーニョが好きやねん』
『俺も好きやで』

今度は"いつもどおり"の表情だった。
保護者が子供の戯言に答えるような態度でしかなかった。
手が届かないのだと、唐突に悟った。
声を上げて泣いた私に、トーニョは一言謝罪した。

『ごめんなぁ』

失いたくなかった。
でもそれはあまりにも途方のない願いだった。
その幸せはあまりにも私に不相応なものだったと気づいてしまった。
もう子供ではいられなかった。

こんなにも愛し、愛されているのに。



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