Amor con amor se paga1


私が彼と初めて会ったのは一歳の誕生日を迎える前だったという。
もちろんそのときのことは覚えていないんだけど、
たしかに、私の記憶の始点にはすでに彼がいる。

彼の名はスペイン(Espana)。
親愛なる我が祖国である。

当時 私の祖父はこの国の首相であり、彼の上司だった。
父は有力議員の下で経験を積みながら、将来を有望視されていた。
つまり国政に大きくかかわる立場にあった我が家は、祖国とも親交が深く、
パーティで挨拶を交わすことは当然、食事会として私邸に招くことも、彼の家を訪れることもあった。

外見は人間と変わらず、20代くらいの男性に見える。
人を模した名はアントーニョ・フェルナンデス・カリエドと云い、
幼い私はそちらしか理解できず、舌足らずに「トーニョ」と呼んでいた。

手を伸ばせば抱き上げてくれる暖かい腕が好きだった。
太陽のような明るい笑顔を、兄のように慕った。

『子供はかわえぇなぁ』

父や祖父はよくトーニョを 招き、私は会うたびに遊んでもらっていた。
トーニョが子供好きとか、私が駄々をこねたからだけではなく、私がトーニョに懐いたのは必然だった。
それは父と祖父の策略だったのだ。
私は生まれた瞬間から、国にかかわる将来を期待されていた――サラブレッドだった。
幼いうちから"スペイン"の特別になっておくのは好ましいということだったのだろう。
そのときの上司の意向に"国"は従うものだ。
当時はそんなことを考えもせず、ただ純粋にトーニョに遊んでもらうことを楽しんでいた。

きわめつけは、小学校に上がった直後、両親が共に一ヶ月ほど国外へ出張に行くことになったときのことだった。
一緒に連れていくのでも、親戚でも友人でも託児所でも、頼るあては他にいくらでもあっただろうに、
いくら遠くない場所に住んでいたとはいえ、これ幸いと両親はわざわざ彼に相談し、
『ほんなら うちに預けたらええやん!』という期待通りの気さくな反応に笑みを浮かべた。

『かまへんかまへん、男の一人暮らしなんて寂しいだけやん』
『ガキの面倒見るんは慣れとるんやで』
『……懐かしいなぁ、昔 手のかかる子分と暮らしとってな』
『ティアは素直でええ子やなぁ』
そう言って、トーニョはいつものように私を歓迎してくれた。

頭を撫でてくれた。抱きしめてくれた。額にキスしてくれた。
料理を作ってくれた。作り方を教えてくれた。一緒に作った。
同じシーツに包まってシエスタした。麦藁帽子をかぶって畑仕事をした。
思い出話をしてくれた。他国について教えてくれた。
トーニョが仕事をするときは、私も勉強をした。

『なぁなぁ トーニョ、これは? これは?』

それは最高の英才教育だったと思う。
国の歴史を、トーニョは当然誰よりも詳しく知っているし、
自分のこととして語るから、教科書みたいに飽きないし、聞いていてとっても楽しい。
過去の出来事は、まるで遠い国の物語のようだった。
政治、経済、言語、文化についても、聞けばなんでも答えてくれた。
他国ついても、トーニョの口から語られる主観を聞くのは楽しくて、わかりやすかった。

何よりも、トーニョに懐くということは、
"スペイン"を好きになるという、文字通り『愛国心』が育まれることだった。
たくさん勉強したらトーニョとずっと一緒にいられる と やる気に繋がった。

両親が帰国し、別れが寂しくて涙に暮れる私に対し、
トーニョは『いつでも遊びに来たって』と頭を撫でた。
その言葉を鵜呑みにして、嬉しくて、
学校の勉強も習い事もいい子にこなし、時間を作って 用事もなくトーニョの家に遊びに通った。
両親は何かと忙しく、家にいても一人になるだけだったから、彼の傍は居心地がよかった。

『うち、トーニョのお嫁さんになるねん!』
『ホンマ? 嬉しいわぁ』

甘えれば甘えただけ愛を返してくれた。 祖父が政権を離れても、彼が許す限りその交流は続いた。
自由に出入りを許されて、週末や長期連休に泊り込むこともしばしばだった。

そんな日々の中で、トーニョの知り合いの他の『国』とも出会いを果たした。
特によくトーニョの家に来ていたのは、「ロマにぃ」と「ベルねぇ」だった。
イタリア=ロマーノとベルギーは、それぞれ”スペイン”の元子分だ。
ロマにぃは初対面以来ずっと私を「ちび」と呼んでいた。
トーニョの家に自分よりも格下がいることに得意げだった。
ベルねぇとはよく一緒にお風呂に入ったし、服や化粧品の買い物にも行った。
兄弟姉妹に憧れている私にとっては 本当にお姉ちゃんだったらいいのにって思うくらいだった。

それは きらきらひかる 素敵な思い出。
楽しくて嬉しくて、何もかも物珍しくて、笑っていた記憶しかない。
彼らはそれぞれの形で私を可愛がってくれて、私は幸せだった。

『ティア、一緒にワッフル作らん?』
『作る作る!』

私が人間(ヒト)で、彼らが国家(くに)であると意識する瞬間はそんなに多くなかった。
難しい顔でよくわからない話をしているな と思っても、
幼い私と大人の彼らの思考範囲や知識が違うのは当たり前のことで、
馴れ馴れしいほどの言葉遣いも注意されたことはなかった。
いつか大きくなったら彼らの隣に並べるんだと、無意識に信じていた。
まるで家族のように、身内のように、時間を過ごし、愛情を授かり、慕った。

両親や家柄じゃなくて私自身を見てくれる。
腫れ物扱いされるわけでもない。私の好奇心に応えてくれる。
特別であることに理由をつけるなら、そう。
そして何よりも、大好き。大好き。
そこは、他の日常から切り離された、私が心安らげる居場所だった。



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